番外編:試食販売の前は通りづらい
スーパー等で行われている、試食販売の前を通るのが苦手である。
皆さまの中にも、そんな方がいらっしゃるのではないでしょうか?
こんなタイトルを書いている時点でお察しでしょうが、私はとても苦手なのです。
小心者ということもあり、話しかけられたり「こちらをどうぞ!」とにっこり笑って試食を渡していただくと「買わなきゃ!」という使命感に勝手に駆られてしまい、購入してしまうタイプの人間です。
はっきり断ればいい。
試食だけもらってもいいじゃないか。
頭ではそう思うものの、販売員さんの笑顔と丁寧な説明を聞いているうちに「やはり買わなきゃ!」に傾いていってしまうのです。
ですので申し訳ないと思いつつも、試食販売をしている場所は別ルートを通って買い物をしてしまいがちです。
そんな私が出会った、ある女性販売員さんとのお話を今回は語らせていただきましょう。
ある日の仕事終わりのことです。
くたくたの体を動かしつつ、スーパーで夕飯の買い出しをしている私の目に映ったのは、とある食品の販売員さん。
今回は試食が出せるものではない品だったため、代わりにその商品のイメージキャラクターの景品を持って、その販売員さんは周囲のお客さんたちに声掛けを行っておりました。
その商品自体は、そんなに頻繁ではないものの、我が家でも購入する品。
でも別に、今は買う必要はない。
そう判断した私はそのコーナーを避けつつ、買い物を進めておりました。
一通りカゴに商品を放りこみ、あとはパンを買えば買い物は終了。
いざパンコーナーへと向かえば、その先にはニコニコと笑顔で販売促進をしている女性の姿がございました。
そう、パンコーナーの前でその方はお仕事をしていたのです。
……いや、別に私を待ち受けているわけではない。
そう考えゆっくりと、目を伏せ気味にしつつ、私はパンを買いに進んでいきます。
そんな怪しいうつむき気味の女に、販売員さんは元気に声を掛けてきました。
「○○(商品名)がただいまキャンペーン中でして、ご購入いただくと、くじ引きが出来るんですよ」
販売員さんが手で示した先には、その商品のキャラクターである20センチほどの人形が、愛らしくちょこりと座っているのが見えます。
「特賞はこの△△(キャラクター名)のルームライトです! とっても可愛いでしょう?」
確かに可愛い。
有名どころである△△は、私も好きなキャラクターではあるのです。
でも、そこまで別に欲しいわけではない。
無難な会話で、私はこの場を切り抜けようとします。
「確かに可愛いですよねぇ。でも今日はいいかなぁと思っているので」
「そうなんですか? ちなみにくじに外れても、参加賞で△△のイラストが描かれたエコバックをプレゼントしております!」
あ、確かにこれも可愛い。
チャーミングな△△のアップの顔が描かれたエコバックは、ちょっと欲しいかも。
心が揺らいだ瞬間を狙ったかのように、販売員さんは人差し指をすっとルームライトへと移動させていきました。
吸い寄せられるように視線を向ければ、指先がルームライトのてっぺんへと近づいていきます。
△△の頭の部分を優しく撫でながら、彼女は私へとこう言ってきました。
「ここね、光るんですよ。……私の父の頭みたいに」
その言葉を聞いた瞬間、私の手はその商品を掴みカゴへと勢いよく入れていました。
「はいっ! お買い上げありがとうございます~。どうぞくじを引いてくださ~い!」
「えぇ、ルームライト狙いでいかせていただきます! 神様、いっちょお願いしますよ! お父さんカモ~ン!」
そんなテンションの私を、神はあっさりと見捨てます。
数秒後、私の腕には、結構大き目な真っ黄色のエコバックが掛けられていました。
負けた、くじ運に負けた……!
だけどなぜだか、後悔はない。
妙にさわやかな気持ちで、私は販売員さんにお別れの挨拶をします。
「お仕事、頑張ってください。あと、お父様によろしくお伝えください!」
「えぇ、もちろんですよ。父も喜びます」
互いに笑顔で別れ、私はレジに向かって歩きだしました。
その途中で、やたら黄色くて大きなエコバックを持っている人に出会います。
どうしたことでしょう。
どの人もなぜか満足げに、エコバックを抱えて歩いているではないですか。
そして互いのエコバックをちらりと見て、淡い笑みを浮かべてはすれ違っていくのです。
何という連帯感!
そしてなんという、驚異の参加賞率!
なによりあの、販売員さんの見事なトークスキルに私は驚きながら家路につきました。
玄関の前にたどり着き、今一度思い返すのは、店での出来事。
そうして鍵をカバンから出しつつ、私はぽつりと呟くのです。
「あかん。……パン、買い忘れた」
◇◇◇◇◇◇
翌日の昼休み、私は前日の出来事を同僚たちに話していました。
「凄いね。結構な人達がエコバック持っていたということは、みんなその人のトークで買わずにいられなかったってことでしょう?」
ミオナが興味深そうに、私へと尋ねてきます。
「そうだと思う。私も流れというか勢いで、ついカゴに入れちゃっていたから」
うなずくミオナを眺めつつ、フユミが笑いながら口を開きます。
「ぷぷぷ、とはちゃんはちょろいからねぇ。すぐに買っちゃうのが想像つくよ」
「厳しいな、フユミ。でも、事実だけに何も言えないわ」
「いや、少しは否定しなさいよ。でも、そんな面白い人だったら私も会ってみたいなぁ」
フユミの発言に、イチカが反応します。
「なんかフユミちゃんって、そういうの上手そう。試しに、とはちゃんに何か売りつけてみてよ」
「ちょっと待って。まず突っ込むけど、なんで私に『売る』じゃなくて、『売りつけ』前提で行われているの?」
「細かいことは気にしな~い。では、フユミさんどうぞ!」
イチカの掛け声とともに、フユミはしばし考えこむ様子を見せてきました。
やがて机にあった自分のペンを持ち、彼女は立ち上がります。
「コニチハ~。ワタシ、謎のインド人の『ペンウリーナ』イイマ~ス」
片言の日本語と共に、ペンを揺らしながらフユミは笑顔で私の席にやって来ます。
「ものすごく胡散臭いよ! ペンなんて買わないよ絶対!」
「そうだよ! 頑張って買わないようにして~、とはちゃーん!」
この状況で唯一の味方であるミオナが、楽しそうに応援してきます。
「ソナコト言ワナイデ~。今なら、インド人特典トシテ、ペンにアナタノ名前ト、カレーノ匂イヲお付けデキマ~ス」
「なんだよ、『インド人特典』って! 聞いたことないわ」
「よっ、さすがフユミちゃん! ナイススパイシー!」
今度はフユミ側にイチカからの応援が入ります。
いや、そもそも『ナイススパイシー』ってどういう意味だ。
少々混乱しながらも、私はフユミに宣言していきます。
「ともかくも、全く欲しいと思える要素がなかったよ。残念だったな、フユ……」
「そうナンですか~? 今ならナンと」
にんまりと笑い、フユミは続けます。
「コレでイラスト描ケバ、イチカチャンが褒メテクレルヨ。イカガデスカ~」
「なっ……!」
「アナタ、イチカチャンに褒メテもらった事、一度もナイデショウ? どうナンですか~?」
くそう!
ふざけた口調ながらも、人の心を読んだかのような見事なトークをかましてきやがって。
しかも何気に『ナン』を多用するあたり、こいつただものではない。
フユミの頭の回転の速さに驚きながら次の言葉を探す私に、イチカがとどめの声を掛けてきます。
「褒めるよ、めっちゃ褒めちゃうね~!」
「買います、負けました。ぜひ買わせてください」
両手を前に差し出し、私はフユミに頭を下げていきます。
「「ちょろい、ちょろすぎる」」
イチカとミオナの声が聞こえてきますが、そんな些末なことは気にしません。
きっとイチカをにらみつけ、私は言い放ちます。
「約束したからね! 絶対、褒めちぎってよ!」
「はいは~い! 私は約束を守る女だよ~」
手のひらに乗せられたペンをぐっと握りしめ、私は席に戻り絵を描き始めました。
昼休憩終了まであと数分、一気に描き上げ、私はイチカへと紙を差し出します。
時計と紙を交互に見つめつつ、イチカが口を開きました。
「おっ、いいねぇ、いいねぇ! 滑らかさが違うよ!」
「よし! ようやくイチカちゃんも、私の絵の良さに気づい……」
「線の細さはこのペンだから成しえるものなのだろうなぁ。いやぁ、実に素晴らしい!」
おかしい、何かがおかしい。
「あの、イチカさん?」
「よし! 以上を持ちまして、『ペンの褒めちぎりタイム』を終了とさせていただきます」
イチカは立ち上がると、食べ終えた食器を片付けに去っていきました。
呆然とする私の隣に、フユミがやって来ます。
「よかったねぇ。褒めてもらえて」
「違うじゃん! 褒めてるの、私のイラストじゃなくてペンじゃん!」
「いや、でもイチカちゃんは『めっちゃ褒める』という約束は守っているわけだからさ。……うぷぷ」
フユミは私の肩を叩きつつ、口元を押さえ肩を揺らしながら、席へと帰っていきます。
「大丈夫! とはちゃんの絵は面白いよ。じゃあ午後からも頑張ろうね」
褒めているんだかよくわからない慰めの言葉と共に、ミオナも仕事に戻っていきました。
取り残された私の耳に「一時になりました」とニュースの音声が聞こえてきます。
「くそう、くそう! 絶対に次こそは褒めてもらうからなー!」
私の絶叫が事務所内に響きました。
そんな自分にフユミがパンパンと手を叩きながら話しかけてきます。
「はいは~い。じゃあまずは仕事をしっかりこなして褒めてもらおうね~」
「わかったよ! しっかり働くよ! ちくしょぉぉ!」
――というわけで弊社、うるさいながらも午後もしっかり働いております。




