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DORAGON創世記譚 邪黒の剣  作者: 陸王壱式
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第2章 急  襲 ―5―

 村人から得た情報と紫眼に映る微かな邪黒の気配(いろ)を頼りに、ファーンは森の湖へと足を運んだ。それ自体は空振りに終わってしまったが、気の赴くまま森を彷徨(さまよ)い、誘われるように辿り着いた一画で、思わぬ収穫を得た。人外の力が色濃く残る血と怨毒にまみれた地で、邪黒の気配を鮮明に感じ取ることが出来たのだ。

 それを辿(たど)り、ここまでやって来たのだが、ナグの海が行く手を阻んでいた。

 定期船を使うことはできない。人族が多すぎる。人族は殺生を好む。その理由が、有益であろうと、無益であろうと、ファーンにとっては関心がない。死臭が……、そこに宿る理不尽な死に対する怨みが、穢濁(あいだく)となるからだ。穢濁は、壊疽(えそ)となり、身体を(むしば)む。そして、魔力(ちから)を弱体化させ、やがては精神をも侵すのだ。

 岬の先端に立つファーンは、音もなく息を吐きながら、そっと双眸を伏せた。

 切り立った乳白色の岸壁に、荒波が繰り返し打ち寄せる。波が波を打ち、時には、波頭が弾ける音が足元から地を伝って届く。大小様々な波の音は、荒々しいものもあれば、囁くような穏やかなものもあった。その音色に混じり、耳朶に響く。

―――主殿、それだけはなりません。


 ファーンは、伏せ気味にしていた双眸を、ユルドに向けた。

「主殿、それだけはなりません。今、それを使えば、御身に障ります」

 ユルドは、ファーンの左手の先を一瞥し、訴えるように見上げてきた。

 ファーンは掌を眺め、二度ほど握って、感触を確かめた。陶器のように白い指先が、青みを帯びた薄灰色に変色していた。感覚が鈍く、ごわつく感じがした。壊疽だった。

「障りがあろうと構うものか」

 素気無(すげな)く言い放つが、ユルドは尚も食い下がってきた。

「なりません。ただでさえ、この地の瘴気(どく)()てられておられるのです。どうか、お(いと)いください」

「ならば、他に海を渡る(すべ)があると言うのか」

 ファーンの語気が、少しばかり険を帯びた。

 ユルドが数歩下がる。ぴんと張っていた耳が哀しげに垂れていく。

 潮騒が、彼らの間を抜けた。何処から流れてくるのか、海鳥の甲高い啼き声が辺りに響く。

「一刻も早く剣を手に入れ、他の遺産も探さねばならん。幾ら、身体が朽ちようと、私自身が滅びるわけではないのだぞ」

「心得ております。ですが……いかに申されましても、承服致しかねます。障りはあるのです」

 一歩も引こうとしないユルドに、ファーンの(まなじり)は、鋭さを増した。我が身を案じるあまりの事と知りつつも、ユルドの強固な姿勢に苛立った。

 ファーンは、衣擦れの音も無く、ゆっくりと右の掌をユルドに向けた。募る焦燥が、そうさせた。

 ユルドは驚いたように目を見開き、ファーンの背に回り込んで、岬の突端に立った。ファーンの右手が、それを追う。

「お止めください。今、召喚を解除されては、主殿の御力になれません」

「何を以って助力とする。お前は、私の妨げになろうとしているだけではないか」

「違います。どうか、御心をお鎮め下さい」

 ユルドは耳ばかりか、尾までも(しお)れさせて、後ずさった。踏み出した後ろ足の足場が崩れ、背後を一瞥したユルドは身を竦めた。目を固く閉じ、そして、平伏する下官のように腹這いになる。

 それでもファーンは詰め寄り、逃れられなくなったユルドの前に片膝をついた。右手をユルドの額に押し当てる。

「私が……!」

 ファーンの指先が、ぴくりと動いた。

「私が、邪黒を取り返して参ります!」

 ファーンは沈黙した。語気を強くしたユルドの言葉を反芻していた。

 瞑目したまま喉の奥で小さく唸るユルドが、片目ずつ、恐る恐る開く。

 (おとがい)を上げるユルドの視線を受けて、ファーンは右手を引いた。

 ユルドは、主に悟られぬよう胸を撫で下ろし、ゆっくりと上体を起こした。

「主殿をお運びできる程の魔力(ちから)は、私にはありません。そうかといって、主殿にご無理を強いるのも従者として失格です。ならば、どうか、私めに機会をお与えください」

 ファーンは真っ直ぐに見詰めてくるユルドを、静かに見据えた。ユルドの堅固なまでの信念が伝わってくる。化身を解いて、島へ連れて行こうと言った時もそうだった。

 お前では無理だ、とファーンは言った。ユルドだけではない。並大抵の魔獣や獣神でも無理であろう。抱え上げる程度なら可能な筈だ。だが、海を渡るとなれば、話は別だった。

 重量に耐え切れないのだ。重量とは、肉体の質量を示すのではない。ファーンらにとっては、内に秘めたる魔力のことをいう。

 ファーンは、己の魔力を熟知していた。それゆえ、背に乗せて海を渡れるモノなど、殆ど存在しないことも分かっていた。当然のことながら、ユルドも承知していた。

 けれど、それでもユルドは、決死の覚悟でお連れすると言ったのだ。

 ファーンは、命を無下にさせることはできなかった。だから、己の魔力を使い、海を渡ると決心したのだが、ユルドは一向に折れる気配がない。

「……よかろう。やってみるがいい」

 ファーンは溜息を吐きながら、ゆっくりと立ち上がった。ユルドが、細身の身体をファーンに摺り寄せる。

「感謝致します、主殿。必ずや、このユルドめが、邪黒をお届けいたしますゆえ、どうか、暫し、お待ちいただきますよう……」

 ファーンは薄い微笑を浮かべながら、ユルドの眉間をゆっくりと撫でた。

「無理をするでないぞ」

 心地よさそうに細めていた目が開く。一瞬だけ向けられた視線を受け止め、ファーンはユルドの背を見守った。岬の突端に立つユルドの背は、すらりと伸びていた。

 ユルドが姿勢を低くした。四肢に力を籠める。そして、一気に跳躍した。それは、宙を舞う一本の弓矢の軌跡のようだった。白く輝く弧は、主に見守られながら、岬から姿を消した。


 あれから、一両日。いくら待てども、沙汰は無く、届くのは潮騒ばかりだった。

 釣り糸が切れたような感覚が届いたのは、昨日の夕闇迫る頃。まさかと思い、呼び寄せてみても、反応がない。ファーンは佇み、長い間、ユルドの気配を探った。しかし、水瓶の水を掻くが如く、手掛かりさえ、とうとう見つからなかった。

「……私の邪魔をする者がいる、ということか」

 ハシュレイ・カートナーが思い出された。一度は邪黒を奪い合ったことのある、あの黒づくめの剣士……。剣の腕は立つ。邪黒の力を使いこなせている様でもあった。だが、所詮は人族だ。ユルド程高位のモノを、そう易々と斃せる筈がない。 

「あ奴に組みするモノか、もしくは別のモノが目を付けたか……」

 ならば、他のモノを召喚し、追跡させるべきかと考えた。しかし、それをすぐに打ち消した。ユルドが何モノかによって滅ぼされたのは事実だ。結果は同じになる可能性が高いだろう。

 いづれにせよ、とファーンは思う。

「時が無い」

 これ以上、貴重な時間を無為に過ごす気など毛頭ないのだ。 

―――それだけはなりません、主殿。御身に障ります。

 ユルドの声が響く。

「許せ、ユルド」

 言って、ファーンは瞑目(めいもく)した。

 呼吸を整え、両手の拳を握った。しなやかな背に意識を集中させる。

 すると、しだいに鼓動が早まり、全身を巡る血液が熱を帯びた。呼吸は徐々に乱れ、浅くなった。額に珠のような汗が(にじ)む。背骨が軋みをあげ、激痛が走った。歯を食い縛り、痛みに耐えていたファーンの口から、呻き声が上がる。己を掻き抱くように上腕に爪を立て、ファーンは荒い呼吸を繰り返した。痛みは更に増した。脊髄に針を通されるような、脳髄にまで響く鋭い痛みだった。耐え切れず、膝が崩れた。

 体躯を内へと抱え込むと、汗が滴(したた)った。白金の髪が、はらりと落ちて、苦悶の横顔を隠す。

 ファーンは奥歯を噛みしめ、一呼吸置いてから、一層 背に魔力を集中させた。

 次の瞬間、あろうことか、肩甲骨あたりで、何かが蠢き始めた。皮膚が、ぼこぼこと波打つ。それは、空気と光を求めた胎児が膜を突き破り、這い出ようとする様を連想させた。灼けるような熱と突き刺すような激痛に、ファーンは悲鳴をあげた。その時……! それは皮膚を貫き、服を引き裂いて形を成した。

 それは、肩甲骨の間から、象の牙を逆さにしたように垂れ下がっていた。岩のようでもあり、化石のようにも見える。湾曲した表面は、なめらかで、生成りの色をしていた。数は大小合わせて、四つ。ユルドが諌めて止まなかった翅翼(つばさ)である。

 ファーンは脱力し、地に両手を衝いた。胸に溜まった息を一気に吐き出す。ぽたぽたと無数の汗が流れ落ちる。背は、未だにズキズキと痛んだが、先程に比べれば、幾らかは和らいでいた。呼吸や心拍は穏やかになりつつあり、熱も引き潮のように収まっていくのが分かった。

 しかし、虚脱感は否めなかった。少しでも気を抜けば、意識を失ってしまいそうだった。

 ファーンはひどく緩慢な動きで破れたシャツを脱ぎ棄て、一呼吸ついた後によろよろと立ち上がった。

 強い潮風が吹き付け、長い髪が舞い上がった。ファーンの身体がよろめく。それを、一歩引いた左足で支えると、微笑を浮かべた。

「……気付けには丁度良い」

 深く息をして、潮風を全身に行き渡らせると、意識がより鮮明になった気がした。

 海原の彼方から、海鳥の啼き声が届いた。ユルドが嘆いているように聞こえた。

「案ずるなといっているだろう。この身が朽ちようと、私が滅ぶわけではないのだから……」

 ファーンは絶大な魔力を秘めていた。その魔力があれば、ナグ海だけではなく、大陸全土を渡れるだろう。だが、それは万全の態勢があっての話で、穢濁に汚染され、真の力が発揮できぬ現状では、ナグ海横断すら危ぶまれる。しかも、魔力を使えば使うほど、瘴気への抵抗力は失われ、壊疽も進むのだ。

 もう一度届いた鳥の鳴き声に、苦笑を浮かべる。

 そして、ファーンは空を仰ぎ見た。

「……我に加護を……」

 ファーンの願いに呼応するかのように、一陣の風が吹く。その風を受け、ファーンは舞い上がった。

 どこまで往けるのかは分からない。けれど、往かねばならぬ。そう言い聞かせて高度をとったファーン。その眼に映るのは、水平線の彼方にある小さな島。追い風に乗ったファーンは、その島・クィントローを目指し、羽ばたいていった。

こんばんは。2章5節をお届けいたしました。

ここまで、読んでいただいて、本当にありがとうございました。


さて、常連様も 通りすがりの方様も、いかがでしたでしょうか?

楽しんでいただけましたか?

下書きでは無口なファーンを、思い切って少しおしゃべりにしてみました。


次回から、いよいよ、起承転結の転の部分。3章突入です。

更新予定日は7月12日から15日とさせていただきます。

次回は、閑話休題的な話になるので、少し軽めの内容になると思います。


D創は、まだまだ続きます。地道にがんばりますので、今後とも、どうか、よろしくお願い致します。


それでは、みなさま、体調など崩されませんよう、ご自愛ください。


陸王一式


追記:翅翼は造語になります。実際にはない熟語です。





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