第1話 魔石を求めて
………………
冷たい湿気が肌……いや、表面を覆う。俺はゆっくりと意識を取り戻した。洞窟内は薄暗く、苔の発する微かな燐光だけが頼りだ。耳を澄ますと、規則正しい滴る水音と、どこかで微かに鳴く甲高い虫の声だけが響く。
(……夢じゃないのか)
そう呟こうとしたが、声にならない。喉がないのだ。代わりに粘性の液体が喉の位置にあった場所で揺れる。恐る恐る手を見下ろす……ない。あるのは深海のような青い半透明のゼリー状の塊だけ。
暫くの間、もぞもぞと体を動かすことで移動法を習得した。驚くほど柔軟だ。小さな水たまりに身を寄せると、栄養があるらしく体がぷくりと膨らむ。なるほど、これが食事か。
その時だ。足元が震えるような振動と共に、カサカサという嫌な音が響いた。
【危険感知】
本能のような声が脳裏に響いた。逃げろ、と。
(やばい!)
巨大なゲジゲジの鋭い顎が閃光のように迫る! 俺は咄嗟に体を平たく広げて地面に貼り付いた。顎が虚空を切り裂き、冷たい唾液が表面を焼く。
(……こいつ牙に毒を持ってやがる!)
カサカサッ!怪物は旋回すると再び突進してきた。
(喰われる!!)
暗闇の中をがむしゃらに駆ける。ただひたすらに、唯一の得意技である蠕動運動で前進するだけだ。
(どこか逃げ道は……!)
前方に仄かな光が見え始めた。同時に感じる生暖かい空気。
(出口だ!!)
最後の力を振り絞って加速する。後方からは迫り来るゲジゲジの気配。逃げ切れるだろうか。
(もう少し……!)
少しずつ光が強くなる。あと一押し!細い岩の隙間に身体をねじ込む。ぎゅっと圧縮された感触と共に、ついに洞窟の出口を突破した。
そして――
眩い光が全身を包んだ。
――外だ。
目の前に広がったのは古びた採掘場だった。岩肌にはいくつもの穴が開き、錆びた道具や木箱が散乱している。そしてすぐ近く――
そこには、一人の少女が立っていた。淡い色の髪の上に作業用のゴーグルを載せ、大きな耳がぴんと伸びている。陽射しで煌めく健康的な肌。短めのスカートから引き締まった太ももが露わになっていた。
彼女は足元に転がる青いスライム状の物体――つまり俺――を目にして眉を吊り上げた。
「……ん?なんだお前 普通のスライムじゃないな」
少女の足が一歩前に出る。途端に胸の鼓動が高鳴った。そうだ、今の俺はモンスターだ。殺されるかも……!
しかし次の瞬間、少女は屈み込み、指先で俺の表面をちょんとつついた。
「ふぅん…… いい触り心地じゃねえか」
弾力のある感触に彼女の瞳が丸くなる。
「とりあえず拾っとくか」
俺はそのまま彼女の腕の中にすっぽり収められてしまった。温かくて柔らかな匂いが鼻をくすぐる。
◇ ◇ ◇
俺は少女の腕の中で大人しくしていた。声を出そうとしても、「ぽよっ!」という奇妙な音しか出せない。この新たな身体でのコミュニケーションは至難の業だった。
「それにしても珍しい色だな 青いスライムなんて初めて見た」
歩く度に俺の体が揺れる。柔らかな胸の間に挟まれるような感じがして、妙な気持ちになる。生温かい体温と、微かに甘い汗の香り。そして衣服越しに伝わる女性特有の柔らかさ……
(って、何考えてんだ俺!落ち着け!)
「あ また鳴いた 本当に可愛いなこいつ」
俺の反応が面白かったのか、より強く抱きしめてくる。待ってくれ、これ以上密着されると……!プルプル震える俺を見て、彼女はさらに笑みを深めた。
「さてと…… 私の家までもう少しだ 逃げるなよ?」
辺りはすっかり暗くなり、空には満天の星が輝いている。少女の住む小さな家が見えてきた。石と木で造られた質素な建物。藁ぶきの屋根が月光を浴びて柔らかく光る。
「ここが私の家だ 古いけど我慢してくれよ?」
彼女は小さな扉を開け、俺を抱えたまま室内へと入った。
ランタンの明かりが灯り、俺はようやく彼女の住まいをはっきりと見ることができた。石壁に囲まれた狭い空間に、藁を敷いたベッドと小さな机が置かれている。
「ほら 降ろすぞ」
俺は机の上に置かれた。揺れるランタンの炎が青い体を通して反射し、部屋中に神秘的な光を投げかける。
「へぇ やっぱり綺麗な色してるな 突然変異か?」
彼女はじっと俺を見つめた。その目に好奇心と僅かな興奮が宿っている。
「最近 スライムが減ってるみたいだからな 魔石の鉱脈も枯れてきてるし……」
彼女は思案げに呟く。どうやら生活が苦しくなっているらしい。
「そうだ……! お前 私の相棒になれ! 一緒に採掘場に行くぞ きっと役に立つはずだ」
突然の宣言に俺は驚愕した。待ってくれ、またあの危険な場所に行くのか?それにスライムの俺に何が出来るっていうんだ! 必死に意思を伝えようと体を震わせる。
(ぽよっぷるぷる!)
「大丈夫 怖くないから」
彼女は笑いかけてきたが、まるで意味が分からない。しかし逃げ出すわけにもいかず、俺は渋々同意することにした。
「決まりだな 今日はもう遅いし 休もう」
そう言うと彼女は服を脱ぎ始めた。俺は慌てて視線を逸らす。ぷにぷにの身体が勝手に震えた。俺の動揺を感じ取ったのか、少女はクスクスと笑った。
「気にすんなよ 別に恥ずかしくもないし」
そして彼女は新しい下着を身に着け、俺を胸元に抱きしめてベッドに横になった。俺の体が彼女の胸の谷間に押し付けられる。
「ふわぁ……あったかいなぁ おやすみ 青いの」
彼女の呼吸が規則正しくなる。俺は彼女の鼓動を直に感じていた。トクン、トクンという音が体内に響く。
◇ ◇ ◇
「ほら ご飯だぞ 野菜屑だけど食べられるよな?」
俺の目の前にはパンの欠片や野菜の切れ端が置かれた。なんとも侘しい食事だ。だが生き延びるためには仕方ない。ぷるぷると体を震わせ、それらを体内に取り込んだ。体が少し膨らみ、活力が湧いてくる。
「魔石って知ってるか? この辺の採掘場で掘れるんだが 最近あまり出なくなっちまってな」
少女は木箱から羊皮紙を取り出して広げた。そこには青い宝石のような魔石のイラストが描かれていた。
「よし 腹ごしらえも済んだし出発するか! お前の力 期待してるぞ」
少女は大きなつるはしを担ぎ、玄関に向かう。俺は不安に震えながらも彼女の足元について行った。
朝日が昇り、気持ちの良い風が吹いている。だが俺の心は重い。なぜなら坑道に行けば、昨日出会ったようなゲジゲジに出くわすかもしれないのだ。
そんな俺の心情などお構いなしに、彼女は鼻歌を歌いながら歩き続けた。そして目的の採掘場に到着する。
「さあ着いたぞ 今日の目標は魔石1個だ!」
半獣人の少女は意気揚々と宣言した。山肌に無数の穴が開いた荒涼とした場所。その中に大きな洞窟の入口があった。不気味な影が奥からこちらを見ているような錯覚を覚える。
「魔石を探すって言っても手探りじゃ限界があるんだよな…… だから お前が魔力に反応するなら助かるんだけど」
少女が期待に満ちた目で俺を見る。正直、そんな能力があるかどうか定かではない。だが試してみないことには始まらない。
「どこか魔力を感じるところに案内してくれよ!」
俺は彼女の命令通り、周囲を見渡した。すると不思議なことに、一部の岩壁が他の場所よりもわずかに輝いて見えるのだ。少女は俺の様子に気づき、期待を込めてつるはしを構えた。
「お なんか反応ありそうじゃん! この辺から掘ってみるか」
カン、カン、カン……鈍い音が採掘場に響き渡る。すると少しずつ岩が崩れ始め、中から緑色のゼリー状生物が次々と姿を現す。
「おぉ 魔分アリだな スライムが出てくるってことは期待できるぞ!」
少女の目が輝く。それはまさに魔石の存在を示す証拠なのだ。俺は自身の新たな能力を認識し、少しずつ自信が湧いてくるのを感じた。
この力を使えば、彼女の役に立てるかもしれない――そして、魔石が1個でも見つかれば、今朝の簡素な食事よりもまともなものを口にできるかもしれない。
「よーし 今日は魔石が見つかるまで帰らないからな!」
彼女の意気込みが込められた言葉が、朝日の差し込む採掘場に響き渡った。
◇ ◇ ◇
「おぉ!本当に見つけやがったな! しかも結構大きいじゃねえか!」
彼女は嬉々として拳大の結晶を掲げた。ランタンの光を反射して、幻想的な輝きを放っている。少女の大きな耳が機嫌良さそうにぴこぴこ動く。
「これなら高く売れるぞ ありがとな 青いの」
そう言うと少女は俺を優しく撫でた。彼女の手の温かさに、体がぽかぽかと温まってくる。
「明日 街に行ってこれを売ろう それから市場で色々買い込むか 久しぶりに肉が食えるぞ!」
(ぽよ!)
俺は賛成の意思を示した。この身体では言葉で返事ができないが、それでも少女は俺の感情を理解してくれているようだ。
「さぁ 帰ろうぜ 汗かいたし 水場で身体を洗いたいしな」
彼女は俺を胸に抱き、鼻歌交じりに歩き出した。山の稜線が赤く染まり、涼やかな風が汗ばんだ肌を撫でる。少女は疲れを微塵も感じさせない軽い足取りで丘陵を越えていく。明日、街に行くのを楽しみにしているのだろう。俺も一緒に行けるのかな……?
◇ ◇ ◇
「よし、着いたぞ。ここで汚れを落としてから帰ろう」
少女は水辺に荷物を置き、まず装備についた泥を落とし始めた。俺も浅瀬へ運ばれ、冷たい水に身体を浸す。採掘場でこびりついた砂や土が、ゆっくりと流れていった。
「お前もずいぶん汚れたな。ほら、じっとしてろよ」
大きな手が、壊れ物を扱うように俺の表面を洗っていく。スライムの身体は自分でもまだ勝手が分からない。触れられるたびに形が崩れ、また元に戻る。その様子が面白いのか、少女は何度も笑った。
「ははっ。本当に変なやつだな、青いの」
俺は抗議するように、ぷるぷると震えた。
「悪い悪い。からかいすぎた」
やがて汚れを落とし終えると、少女は岸に上がって荷物をまとめた。夜気は冷えていたが、不思議と気分は軽い。今日、初めて魔石を見つけた。明日はそれを街へ持っていく。少しずつだが、この世界で生きるための道筋が見え始めていた。
「明日は街だ。ちゃんと高く売れるといいな」
俺は肯定するように、ぽよんと跳ねた。少女は満足そうに頷き、俺を抱えて家路についた。
◇ ◇ ◇
高い石壁に囲まれた城塞都市の門前で、俺と少女は衛兵たちに足止めされていた。衛兵たちは猜疑心に満ちた視線を向けてくる。
「おい待て そこの半獣人 通行証を見せろ」
「は?そんなの持ってないけど」
鎧を着込んだ衛兵が厳しい口調で要求してきた。少女は困ったように頭を掻く。
「ならば通行税だ 銀貨5枚」
「えぇ!?なんでそんなに高いんだよ! 前は銅貨3枚ぐらいだったじゃねぇか!」
「国王陛下のご政令により改訂された 払えないのなら通さん」
少女は歯噛みしながら財布を確認する。中にあるのは銅貨が数枚ばかり。
「冗談じゃないぜ…… 魔石を売らないと食い物にも困るってのに」
「盗品かもしれんな…… 調べさせてもらうぞ」
衛兵の一人が彼女の荷物に手を伸ばす。少女は慌ててバッグを抱きしめた。
「これは真っ当に自分で掘ってきたもんだ! 勝手に触るんじゃねえ!」
俺は内心ハラハラしていた。もし彼女が捕まってしまったら一大事だ。何か手助けできることは……と思った矢先――
「それよりも問題なのは貴様が連れている魔物だ 認可を受けた使い魔でなければ処分するのが決まりだ」
衛兵の剣先がこちらに向く。彼らにとって俺は単なる害獣でしかないのだ。少女は咄嗟に俺を庇うように立ちはだかった。
「違う!こいつは私の相棒なんだ! 攻撃だってしないし すごく役に立つんだぞ!」
「黙れ半獣人!とにかく 中に入れることはできん 諦めて帰れ!」
少女は悔しそうに唇を噛んだ。そして一つ溜息をつくと、ゆっくりと踵を返す。俺は何も言えずにその背中を見つめていた。
「しょうがねぇな 今夜も野草粥か……」
彼女の声には明らかな失望が滲んでいる。普段は快活な彼女がこうして打ちひしがれる姿を見るのは辛い。せっかく苦労して手に入れた魔石なのに、それを売る権利さえ与えられないなんて理不尽すぎる。俺はどうにかできないものかと思考を巡らせた。 そのとき――
「おい待て!」
凛とした声が響き渡る。振り返ると、一人の女性が立っていた。濃紺の髪をなびかせ、煌びやかな装飾の施された鎧を纏っている。
「その魔石はどこで手に入れた?」
「……古い採掘場だよ 魔石の鉱脈を見つけたんだ」
「私は勇者として魔王討伐の任に就いている その魔石をあと5個ほど集めてきて欲しいんだが 報酬は1個あたり金貨1枚でどうだ?」
「はぁ!? き 金貨1枚って…… そんな大金!」
「国中で魔石不足が深刻になっているんだ 魔王の手先が買い占めているという噂だ…… まずはその魔石を譲ってもらえたら嬉しいが」
勇者は懐から金貨を1枚取り出し、少女の手に握らせた。それは間違いなく純金でできた本物の金貨だった。
「これだけあれば通行税は問題にならないだろう 魔石が掘れたらギルドに持ってきてくれ」
「あ……ありがとう! 必ず集めてくるよ!」
少女の表情がぱっと晴れやかになった。勇者はそれを見て満足そうに頷くと、くるりと背を向けて歩き去っていった。
「やったぜ! これでしばらくは食いっぱぐれないな」
少女は金貨を握りしめ、満面の笑みを浮かべている。俺もホッと胸を撫で下ろした。
「でも お金があってもお前は入れないからな…… 衛兵に処分されたら困るし 一旦帰るか」
確かにその通りだ。通行税を払えるようになったとしても、魔物である俺は街に入ること自体が禁止されているのだ。少女は俺の頭を撫でると、来た道を引き返し始めた。
◇ ◇ ◇
「うーん……やっぱり少し違う……」
彼女――魔王は深いため息をついた。部屋には様々なハーブや調味液が並んでいるが、どう組み合わせても納得がいかない。記憶を頼りに“鶏のから揚げ”を再現しようと試行錯誤しているのだが、なかなかうまくいかないのだ。
「下味に問題があるのか…… それとも 調理方法が悪いのか」
何度も作り直しては失敗作が積み重なっていく。彼女は棚から次々と材料を取り出していく。スパイス、発酵調味料、酒類……しかし、どの組み合わせが正解なのか分からない。
「衣の配合も大事よね…… はぁ……こんなことになるなら 異世界なんて行かなきゃよかったかも」
魔王は自嘲気味に呟きながら新しい実験を始める。まずは鶏もも肉に下味をしっかり浸透させるために漬けダレを作ってみる。醤油ベースに生姜汁とニンニクを加え、そこに独自のスパイスミックスを投入する。
「これで2時間ほど置いてみましょう その後は片栗粉と小麦粉を半々で混ぜた衣をつけて……」
彼女は手際よく準備を進めた。レシピを確認できれば話は早いのだが、異世界転移には大量の魔石が要る。市場では魔石不足が続いており、魔王軍としても自由に使うことができない状況なのだ。
魔王は再度ため息をつくと、揚げ油の温度管理に意識を集中させた。火力調整用の魔法具を使って適温を維持する。そして時間をかけて下味をつけた鶏肉を取り出し、衣をつけた。ジュワーという音とともに、黄金色に輝くから揚げが生まれていく。
「よし!今度こそ完璧なはず……!」
出来上がったから揚げを皿に盛りつけ、慎重に一口かじる。
「……あっつ! でも美味しい! でもまだ何か足りない……」
確かに美味しくはあるが、あの強烈な“旨み爆弾”に届かない。魔王は眉をひそめた。異世界のから揚げはもっとこう……凝縮された旨味が口の中で爆発するような感覚があったはずだ。
「これは長期戦になりそうね……」
魔王は次の鶏肉に手を伸ばしながら、遠い異世界への思いを馳せた。あのから揚げさえ再現できれば……




