89 最終話 2人の結論
その日、私は、ダンス大会に初めて行った日と同じ白いワンピースを着て、メイクを終えていた。陽介君と付き合い始めてからするようになったメイクも、今ではすっかり慣れて、初めの頃よりも短い時間で完成できるようになっていた。ヘアアレンジをどうしようか考えたけど、今日は、シンプルに下ろすことにした。陽介君の家に行ったときと同じく、また初心に立ち返りたい気持ちがあった。私は手首に付けてある、陽介君からのプレゼントのバングルを見た。
大丈夫。彼になら全部話せる。
私は深呼吸して陽介君が迎えに来る時間を待った。
いつものようにインターホンが鳴り、私が玄関を出ると、陽介君が立っていた。黒のシャツにグレーのカーディガンを羽織り、カーキのズボンを履いていた。手首にはバングルが光っていた。
今日もかっこいいな。
「お待たせしました。」
「うん。全然待ってないよ。」
そう言い合って、2人で笑った。手を繋いで陽介君の家までの道を歩いた。
「やっと暖かくなったね。春が来た。」
「そうだね。なんか、意外とあっという間だった気がする。」
季節が冬から春に変わるように、私と陽介君の関係性も変わった気がする。
より深く、相手を思うようになった。
「今日は白のワンピースだね。髪下ろしてるんだ。どっちも可愛い。大会の日のこと思い出した。」
「あの頃はもっと短かかったけどね。髪の毛。」
「ショートの時の白いワンピースを着た梓は天使みたいだったけど、今の髪の長さの梓は女神みたい。どっちにしろ、きれいで神々しい。」
また甘いことを言われて、顔が熱くなる。私はいつまでも彼からの甘い言葉に慣れない。
「...大袈裟だよ...。でも、嬉しい。ありがとう。」
私がそう返すと、彼は満足そうに笑った。
陽介君の家に到着して、彼が扉を開けると、家の中は静かだった。この家に彼と2人にきりになることを実感した。
「どうぞ、入って。」
私は深呼吸してから、彼の後について、中に行った。
「お邪魔します。」
そのまま一緒に2階に上がり、彼の部屋に入った。明日出発なので、部屋の中に置いてあるものが、前より少ない気がした。彼が遠くに行ってしまうことを改めて実感して、寂しさが込みあげてくる。
「飲み物、アイスティーでいい?」
「うん。お願いします。ありがとう。」
「座布団、座って待ってて。」
前にはなかったローテーブルと座布団が並べられていた。
私は机寄りの座布団に座って、陽介君を待った。
少しずつ緊張感が増してきて、自分の心臓の鼓動が聞こえた。
落ち着け、私。
扉が開いて、アイスティーが注がれたグラスを2つお盆に載せた陽介君が入ってきた。
「お待たせ。どうぞ。」
彼はローテーブルにグラスを並べた。
「ありがとう。いただきます。」
陽介君が隣の座布団に座ったので、私は用意していた紙袋を取り出した。
「リクエスト通り、トマトバジル味のクッキー作ってきました。」
そう言うと、彼がパッと笑顔になった。
「ありがとう。嬉しい。今、食べてもいい?」
「うん。ぜひ、どうぞ。」
そう答えると、彼は丁寧に袋を開けて、一枚食べた。
「やっぱりすごく美味しい。いくらでも食べられる。梓も食べる?」
「ありがとう。じゃあ、一枚だけ貰おうかな。」
そう言って手を伸ばそうとすると、陽介君はクッキーを1枚つまんで、私の口元まで持ってきた。彼の顔を見ると、彼の手から直接食べて欲しいようだった。顔が熱くなる。私は意を決して、クッキーを齧った。1枚が大きいので一口では食べきれなかった。
「うん、味見の時と同じ味。失敗してない。」
私がそう言うと、陽介君は満足そうに笑った後に、私の食べかけのクッキーを食べた。
なんてことを。
私は驚いて目を見開いていたと思う。
「...食べかけは汚いよ...。」
せめてもの抵抗でそう言うと、
「全然美味しかったけど?」
サラリと返され、また顔が熱くなった。
しばらくクッキーを食べていた陽介君は、
「...このままだと全部食べちゃうから、これくらいにしておく、後で噛み締めて食べます。」
そう言って紙袋にクッキーを戻していた。
続いて、私は自分の荷物の中から、包装紙に包まれたプレゼントを出した。
「陽介君。お誕生日おめでとう。喜んでもらえるといいんだけど。」
そう言ってプレゼントを渡すと、陽介君は満面の笑みで受け取ってくれた。可愛いな。
「ありがとう。開けてもいい?」
「うん。どうぞ。」
中身はニット帽だった。陽介君はダンスのレッスン中、ニット帽をよく被っているので、彼が使っている帽子のメーカーを調べて、選んだ品だった。グレーと黒の2種類を入れており、どちらかを洗濯している間にもう一方を使うことができるので、いつも、どちらかのニット帽をつけてもらえたら嬉しいと思って買ったけれど、常に私が選んだものを身につけていて欲しいという独占欲が渦巻いていることに途中で気づき、苦笑いしてしまった。
「すごい嬉しい。ありがとう。レッスンでつける。これならしんどい時も梓のこと思い出せそう。」
そう言って笑顔でニット帽に触れていた。
「喜んでもらえて嬉しい。ぜひ使って。」
大事そうにプレゼントを見つめる陽介君の姿を見ながら、私は今日、話すと決めていたことを言うことにした。背筋を伸ばして、身体を彼に向けた。
「...陽介君、今から少し、私の話をしてもいい?」
私が少し緊張してるのに気づいたのか、陽介君は、私を正面に見据えた。
「うん。どうぞ。聞きたい。」
私は深呼吸してから話し始めた。
「陽介君と付き合うようになって2ヶ月近く経つから、白状するけど、私、あまりにも恋愛というものに慣れてなかったから、告白してOKをもらえたら、お付き合いをするって流れが、たぶんちゃんと理解できてなかったんだよね。陽介君に好きって言えて満足していたというか。本当に恥ずかしいんだけど。
だから、陽介君から、一緒に出かけようって言われて、そうか、付き合ったら、デートするのかって、その時初めて気付いたんだ。私がそんな状態だったから、不慣れすぎて迷惑をかけることも多かったと思うけど、陽介君が、私のこと何度も褒めてくれて、好きだって言ってくれて...触ってくれるたびに、どんどん好きな気持ちが強くなってて。
この前、陽介君は、私が陽介君を好きな気持ちよりも、陽介君が私を好きな気持ちの方が大きいって言ってたけど....私も、本当にすごく、陽介君のこと大好きだよ。最近、陽介君のことを見ると、胸が苦しくなるくらい。苦しくなるたびに、陽介君のこと大好きなんだって実感してる。
いつも、本当にありがとう。陽介君の誕生日を一緒に祝えて、心の底から嬉しい。」
私が話すのを、陽介君は、温かく見守ってくれていた。ここまでは、ポジティブな気持ちを伝えるのでちゃんと話せる自信があった。
でもこの先を話すことを、ずっと躊躇っていた。彼を悩ませてしまうのが分かっていたから。でも、この気持ちを隠したままだと、いつか私が陽介君との関係を続けていくことが、苦しくなってしまう気がした。絶対にそれだけは嫌だった。
ことちゃんに背中を押されたことを思い出して、私は自分を奮い立たせた。
「それで...本当に、陽介君のことが好きすぎて….明日から、陽介君に会えなくなるのが...自分でもびっくりするくらい...寂しい。」
そう言った瞬間、自分の両目から大粒の涙が流れ出て、止まらなくなった。陽介君は心配そうな表情になった。
「...こんなこと、言ったら、陽介君を困らせるって分かってるから、自分の中で、処理しようって思ってたんだけど…あまりにも、悲しくて、寂しくて、」
途中から、しゃくりあげてしまって、うまく話せなくなってきた。
「…大好きな人が夢を、叶えるためだから、…応援したいのに、私が、ものすごく陽介君のことが好きだから、…寂しいのは、誤魔化せなくてっ」
そこまで言うと、陽介君は私を強く抱きしめた。私は彼の肩に顔を押し付けながら、大きな声で泣いてしまった。
「ごめん...私のことで困らせたくないのに、せっかくの誕生日なのに、泣いちゃって、ごめんなさい。」
「梓、謝らないで。寂しい思いさせて本当にごめん。俺のせいで悲しませてごめん。俺が原因だから、我慢しないでいくらでも言って。全部受け止めるから。梓が少しでも寂しいって思ったら、すぐ言って。メッセージでも電話でもなんでも。…他の誰かに言わないで、梓の寂しいって気持ちも全部俺だけのものにしたい。梓が俺のこと好きなのが分かるから。」
「すごく寂しい、寂しい...寂しい。大好きなの、陽介君のこと。こんなに、誰かを好きになる日が来るって...思わなかった。」
私がそこまで話すのを聞いた陽介君は、私の両肩を持って、私の顔を見つめた。彼の苦しそうな表情を見て、今回は、怖さは感じなくて、胸の中が彼への愛おしさでいっぱいになった。
「陽介君...大好き。」
「俺も...信じられないくらい大好き。誰よりも。」
そう言い合ってキスをした。とても長くて、お互いを求め合っているのだと思った。
しばらくしてから唇を離した陽介君は、目を伏せたまま口を開いた。
「梓、俺、たぶん、これ以上は我慢できないから、止めるなら...今だよ。」
彼が堪えている様子なのが分かった。
その姿を見ても、もう怖くはなくて、彼のことを好きな気持ちでいっぱいだった。
ずっと考えていた、陽介君とより先の関係に進むのはいつであるべきかの答えは、私の中で出ていた。
「...止めたくない。」
私がそう小声で言うと、陽介君はとても驚いた表情をしていた。
「...お願い、止めないで。本当に好きだから。たぶん、今なんだよ。今が良い。」
私がそう言うと、陽介君は強く私を抱きしめた。
「梓、好きだよ、本当に大好き。」
「私も、陽介君のこと、大好き。」
彼はそのまま私を抱えると、私をベッドの上に寝かせた。
触れる手は優しくて、胸がいっぱいになって、感じた温もりも、少しだけの痛みも全て、心の底から大事なものに思えた。
「梓、愛してる。」
「私も愛してます。陽介君。」
しばらく、現実か夢がわからない感覚のまま、まどろんでいた。陽介君の腕の中にいながら、ふと自分の手首と彼の手首についているバングルを見比べていた。
「...どうしたの?」
陽介君に聞かれ、
「...お揃い、嬉しいなって思って。」
そう答えると、彼が思い切り抱きしめてきた。
「あんまり可愛いこと言わないで、離れられなくなる。」
「...それは困るね。」
私は軽く笑った。
「なんか、何も着てないのに、バングルだけ付けてるのもおかしいなって思って、陽介君のお母さんとお父さん、何時頃帰ってくるんだっけ?」
「母さんは講演会終わるのが15時って言ってたから、16時過ぎかな。父さんは結構遅いと思う。」
時計を見ると、すでに15:30を指していた。
「陽介君、さすがに、そろそろ服着ない?万が一お母さんたちに見られたら、申し訳なさすぎて。」
「...それは分かるけど、離れたくない。梓、温かいから、このまま腕の中にいてほしいし。」
そう言って、陽介君はなかなか、私を解放してくれなかった。
「服、着てから、もう一度くっつけば同じだと思うから、今は服着よう。ね。」
何度もお願いしたら根負けしたのか、陽介君は腕を緩めてくれた。ベッドの下に置いてある服に手を伸ばそうと起き上がると、彼が背中にキスしてきた。
「っひぇっ」
変な声が出てしまい、抗議したくて彼の方を睨んだ。
「急にびっくりするよ。」
私が真っ赤な顔で言うと、
「ごめん、背中が白くてキレイだったからつい。」
笑いながら返された。もう、変なことをされたら困るので急いで下着をつけて服を着た。私の様子を見ていた陽介君も、ゆっくりと自分の服を回収して着始めた。身支度を整えてから、彼の方を見た。
「ちゃんと着たよ。どうくっつく?」
彼にそう聞かれ、このまま、正面から抱き合えば、なんだか、またそういう雰囲気になりそうな気がしたので、
「…座布団に隣同士で座って、手を繋ぐのはどう?」
「嫌だ。遠い。」
手を繋ぐのが遠い認定されるのは厳しすぎて苦笑いしてしまった。
「とりあえず、ベッドから降りた方が良いと思う。」
「ベッドから降りて抱きしめていい?」
「ちょっと抱き合うのは...。」
「じゃあ、俺の足の間入ってよ。後ろからなら抱きしめてもいい?」
「まぁ、それなら...」
陽介君がベッドから降りて、座布団の上に足を広げながら座ったので、その間に座った。座った途端、後ろから強く抱きしめられたので、やっぱり近くすぎる気がした。
「やっぱり、距離をもう少し取った方が...」
「一回言ったことを、すぐ覆すの良くないよ。初志貫徹しないと。」
「…この場合にそれ使うのアリなのかな?」
そう話しながら笑ってしまった。後ろから彼に抱きしめられながら、彼の体温を感じていた。
「...陽介君、私、すごい幸せ。」
「...俺も。誰よりも幸せな気がする。」
「向こうに着いたらすぐ連絡してね。毎日メッセージ送る。日記みたいな内容になるかもしれないけど。」
「うん。俺も必ず連絡する。テレビ電話もしたい。顔を見て声を聞きたい。どの時間帯なら電話できそうか確認するから、時差も考えて。」
こうやって、前向きに話ができるようになってよかった。寂しさはどうやったって消えないけれど、向き合うことはできる。
それに陽介君が自分に寂しさをぶつけていいって言ってくれたんだ。我慢せずに言おう。彼とならきっと大丈夫だ。
ふと彼の顔が見たくなって後ろを見ると、想像していた以上に優しい表情で私を見ていた。胸がときめいて、自然にキスをしていた。
「「大好き。」」
告白の時と違って、お互いにタイミングを合わせなくても、揃ったので、2人とも、思わず吹き出してしまった。




