41
夏休みが始まると、受験生らしく塾の夏期講習に行く日々が始まった。俺は、学校主催の特別講習は物理だけ申し込んでおり、そこであずちゃんに会えることを期待していたけれど、彼女は別の曜日の物理の講習を受けているようで、一緒にはならなかった。夏休みが始まって1週間ほど経ったある日、同じく物理を受講している聡史と、講習会終わりにファストフードに寄った。
「それで、最近どうよ。色々。」
聡史に聞かれた。おそらくあずちゃんのことだろう。
「特に進展はなし。同じ講習会、受けてたら話したかったけど、そうじゃないし、夏休み前に受験対策で会ったときに、今まで以上に勉強に燃えてたから、わざわざ連絡して勉強の邪魔するのもなって思って。」
俺が話すと、
「えー、別に少し遊びに誘うくらい良いんじゃない?それじゃあ進展しないでしょ。ライバルもいるんだし。」
聡史は納得いかない様子だった。
「そうだけど…あずちゃんが勉強している姿って、すごい凜としてて、神々しくて…キレイなんだよね。なんか邪魔できないっていうか、邪魔したい気持ちがなくなっちゃうっていうか。…結局、あずちゃんが真剣に勉強している姿が好きなのかも。許されるならずっと、その横顔を見ていたい感じ。」
俺がそう答えると、
「…なんかすごいな。相当好きだね、それ。話せなくても良いんだ。」
聡史は驚いたように、俺のことを見ていた。
「まぁね。それくらい、本気ってことですから。」
俺はそう言って、軽く笑った。聡史は俺の答えを聞いてから、少し考えた後、
「でも、せっかくの夏休みだし、行動は起こした方が良いでしょ。例の花火大会でも誘ったら?浴衣姿見られるかもよ。」
聡史に言われて、あずちゃんの浴衣姿を想像したけど、絶対に可愛いだろうと思った。
「そうだね、誘いたいね…。」
でも同時に既に、笹井に誘われているかもしれないという悪い想像も働いた。文化祭、打ち上げと、誘いを断られているので、もう一度断られたら、さすがに心が折れそうな気もした。
そんな風に考えながら過ごしていると、あっという間に特別講習の最終日になった。講習後、6組の教室の前を通ると、なんとあずちゃんが勉強していた。相変わらず、その横顔はキレイだった。これはチャンスだ。この機会を逃しちゃいけない。
「あずちゃん、久しぶり。」
俺が、教室の入り口から声を掛けると、あずちゃんは俺の方に振り向いた。
「浪川君、お疲れ様。講習出てたの?」
そう質問され、
「うん。物理だけね。あずちゃんは?」
質問し返すと、
「私は、理系科目全部と、英語を受けてた。」
まさか、それだけの科目を受けているとは思わず、俺は驚いてしまった。
「すごい頑張るね。それだけやってたら、ほぼ毎日学校来てたんじゃない?」
「そうだね。毎日登校してるから、正直、本当に今が夏休みなのか、感覚が分からなくなってる。」
そこまで頑張れることを、すごいと思うと同時に、それほど勉強をしているなら、少しくらい遊んでもいいんじゃないかと思った。
「いやー、ストイックすぎるな。...何か夏休みっぽいことしないの?受験生だとしても。ストレスたまらない?」
俺が聞くと、
「夏休みっぽいことねー...これといって、やりたいなって思うこともないからなー。あ、アイスは結構食べてる。夏限定のやつとか。」
夏限定のアイスで夏休みを感じるという、あまりにも慎ましい答えに思わず笑ってしまった。
「アイスかー。流石に弱いな。」
そう言いながら、心の中で、彼女と、花火大会に行きたい気持ちが大きくなった。どうか一緒に行って欲しい。俺はあずちゃんに身体を向け直して、深呼吸をしてから口を開いた。
「...8/31の花火大会、一緒に行かない?夏らしく。」
断れませんように。俺はそう心の中で祈りながら、あずちゃんを見つめて話した。あずちゃんは驚いた表情をした後、少し考えるように黙ってから、話し始めた。
「...ごめん、一緒に行く約束、もうしてるから、難しい。ごめんね。」
やっぱりだめか。きっと笹井だろう。遅かった。俺は、恐らくがっかりしているのが表情に出ていたと思う。悔しい気持ちと、悲しい気持ちが同時に湧いてきて、つい、恨めしくなってしまった。
「...なんか、あずちゃんから、ずっと断られてるな。文化祭も、打ち上げから帰るのも、花火大会も。」
話しながら、自分のことを情けなく思った。こんなことを言っても、彼女が一緒に花火大会に行ってくれるわけではないのに。
あずちゃんは、また少し考えるような表情をしてから、俺に向かって話し出した。
「ごめん...。浪川君と私がどこかに一緒に行くと、たぶん、悲しむ人がいて...、私はその人からの誘いに乗りたいと思ってるから、ちょっと、お誘いに乗るのが難しいです。浪川君にそんなつもりはなくて、私が深く考えちゃってるだけなのかもしれないけど...。」
あずちゃんにそう言われながら、これはもう、ほぼフラれたようなもんだと思った。
「やっぱり、こうなるか...。」
俺は自嘲するように笑ってから、精一杯笑顔を作った。
「花火大会、楽しんできて。夏休みらしく。じゃあね。」
そう言って教室を出て行った。
なんとなく帰る気が起きず、そのまま3年5組の教室でぼんやりと過ごしていた。
これはもうあずちゃんのこと諦めるしかないか。もう、告白しても遅い気がする。何がダメだったんだろうか。笹井にあって俺にないものって何だったんだろう。とりとめもなくそんなことを考えていると、
「拓実、お疲れ様。」
誰かに声を掛けられた。声の方向をみると、愛理が立っていた。彼女と話すのは文化祭の打ち上げの帰り以来だった。
「お疲れ様。どうかした?忘れ物?」
俺が声を掛けると、
「そう、教科書忘れちゃって。」
愛理は苦笑いしながら、自分の机の中から教科書を取り出していた。
「そっか。」
俺がそう言って、ぼーっとしているのを見た愛理は、
「…何かあった?…拓実、落ち込んでる感じする。」
そう言って声を掛けてきた。愛理の言う通り、俺は落ち込んでいて、聞かれたことに対して誤魔化して答える気力が起きなかった。
「…なんか、もう、ほぼフラれた感じ」
俺が苦笑いするのを、愛理は驚いた表情で見ていた。
「...前に話してた人?」
愛理に質問され
「そう。でも、もう、難しいだろうな。別のやつと...たぶん付き合いそう。」
俺は投げやりに話していた。
「...あの子にとっては、そいつの方が大事で、俺の何かがダメだったんだよ、きっと。...何か足りなかったんだよな、俺には。」
そう言った瞬間、
「ダメじゃないよ!拓実は全然ダメじゃない。今のままで、充分最高だよ。足りなくなんかない。」
大きな声で言われ、驚いて愛理の方を見ると、彼女は今にも泣きそうな顔をしていた。
「その子が、拓実のことを選ばなくても...私は拓実を1番だと思ってる。ねぇ、もうバレてたと思うけど、私、拓実のこと好きだよ。1年生の時からずっと。拓実はやる気なさそうな時もあるけど、困ってる人がいたら助けてくれるし、何よりも優しい。私は、そんな拓実が1番好きだよ...まだ、その子のこと好きでも、私は拓実のことが好きだから、そのままの拓実が大好きだから...もし、少しでも、私のことがいいって思えたら、私と付き合って。ずっと待ってるから…じゃあ、またね。」
愛理はそう言って、最後に無理やり笑顔を作って、教室から走って出て行った。俺は、そんな彼女の後ろ姿を見つめていた。
告白してきた時の愛理の顔がしばらく頭から離れなかった。俺が別の人を好きだと分かっていても、伝えてくる姿に、心が揺らがなかったわけではない。でも、それ以上に、あずちゃんと笹井が付き合ったのかを、気にしてしまう自分がいた。生まれて初めて片思いをした相手のことを、やっぱりそう簡単には忘れることはできなかった。
夏休みが終わり、2学期になってから初めて、受験対策をやる放課後が来た。あずちゃんと会うのは、花火大会を断られた日以来だった。進路指導室の扉を開けると、彼女がいつものように勉強していた。俺が来たことに気づくと、少しだけ気まずそうな顔をしてからすぐに、いつもの表情に戻り、
「浪川君、お疲れ様。」
と挨拶してくれた。
「お疲れ様。」
俺も挨拶を返した。あずちゃんは普段通り、そのまま勉強を続けようとした。でも、俺は彼女が笹井と付き合っているのかが、どうしても気になった。勉強の邪魔だろうとは思ったけど、俺は口を開いた。
「彼氏とは順調?」
そう聞くと、あずちゃんは驚いた表情で俺を見た。
「...彼氏って...そんな...」
彼女は明らかに困っていて、目を泳がせて、それ以上、何も答えなかった。
これは、付き合っているけど誤魔化しているのか。
それとも、まだ付き合っていないのか?
花火大会に行くというチャンスがあって、何も関係性が変わっていないことなんてあり得るのか?
「え?花火大会、一緒に行ったのに、付き合ってないの?なんで?もしかして、あれ?まだ受験生だし、勉強が落ち着いたら、付き合いましょうとか?」
俺は質問を重ねた。あずちゃんは困惑した表情で黙ったままだった。これは、信じられないけど、まだ付き合ってないのかもしれない。...正直少しホッとしてしまった。
「...なーんだ。いじるチャンスかと思ったのに。」
俺はそう言って、軽く笑った。
「...浪川君、意地が悪いよ。」
あずちゃんは見たことないような恨めしい顔で俺のことを見ていた。彼女のそんな表情を見られて、少し嬉しかった。
でも、受験対策が始まってしばらくすると、いつも真剣な表情で、真面目に玉木先生の話を聞いてるあずちゃんが、どこか落ち着かなさそうに、壁にかけてある時計をチラチラ見ていることに気づいた。
そして、終わった後、急いで勉強道具を片付けて、帰り支度をする彼女を見て、直感的に、笹井に会いに行くんだろうと思った。
いつも大事にしてる勉強よりも、優先したいくらい、笹井のことを考えているのか。
俺は彼女の勉強の邪魔をしたくないと気を遣って、連絡すらできなかったのに。
笹井が羨ましい。彼女にとって大切な勉強より優先されてて。
そんなわけじゃないのは分かっているけど、当てつけみたいに感じてしまう。
自分の中に渦巻く黒い感情を俺は抑えることができなかった。
「...あずちゃん、なんか、ずっとソワソワしてたね。」
俺が声をかけると、彼女は図星だったのか、また目を泳がせていた。
「ちょっとね。色々予定があるから...。」
あずちゃんはそう答えて、片付けを続けていた。笹井に会いに行くんだろうという確信を得て、俺の中に嫉妬心が湧き上がった。
「じゃあ、浪川君、今日もお疲れ様。塾、頑張ってね。」
そう挨拶して、教室から出ようとする彼女の前に、気付いたら立ちはだかっていた。
「...会う約束でもしてるの?」
俺はあずちゃんを見下ろしながら聞いた。俺から威圧感を感じたのか、彼女が少し怯えているのが分かった。その様子をみて、少し胸が痛んだ。違う。彼女に嫌な気持ちをさせたいわけじゃないのに。笹井が羨ましくて、嫉妬して、行動を止めることができなかった。邪魔をしていることに、申し訳なさを感じたけれど、だからと言って彼女が出ていくのをそのまま見守ることもできなかった。
するとあずちゃんは深呼吸したあと、俺を強い眼差しで見つめてきた。
「...お願いだから、遅れたくないの。」
彼女の射抜くような視線に、笹井に会いたいという強い意志を感じて、邪魔をしても意味はないのだと思い知らされた。俺は自分が情けなくて、ため息をつきながら、彼女の前から横に移動した。
「じゃあ、お疲れ様。」
そう言って、走って教室から出る彼女を見送った後、自己嫌悪でしばらく進路指導室指導室から動けなかった。




