第9話(1)親切な関所と、泥だらけの裏契約 ―― 魂のアイロンがけ
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西の交易都市には噂も人も集まる。俺はこの世界の「癖」を掴みたかった。
「……なぁ、ALMA。あそこに見えるの、本当に街の続きか?」
俺は西の平原に立ち、遠くにそびえ立つ巨大な壁を見上げた。
少し前に通り抜けた港町ポルトマーレの外郭も十分に異常だったが、そのさらに奥、中核区画へと続く「内壁ゲート」は、もはや要塞か何かのように見えた。
目の前に広がるのは、なだらかな起伏を持つ平原だ。
だが、その景色には前に感じた「コピペ感」が、さらに露骨な形で漂っている。
右を見ても左を見ても、膝の高さまで伸びた草が、まるでメトロノームに合わせるように一定の周期で揺れている。
道端に転がっている岩は、どれも同じ大きさで、同じ角度で、同じだけの苔が蒸している。
それは、自然が作った造形物というよりは、設計図に基づいて配置された「環境オブジェクト」そのものだった。
俺たちが歩く街道だけが、定規で引いたように真っ直ぐ、地平線の彼方へと伸びている。
ゼピュロス「あはは!マスター、またそんな小難しい顔してる!せっかくのいい天気なんだから、もっと楽しもうよ!コーヒーなんて泥水でも飲んで、シャキッとしなよ!」
浮遊しながら俺の周りを回る風の魔剣娘が、相変わらずの調子で煽ってくる。
彼女にとって、この世界の異常さは「遊び場」に過ぎないらしい。
直也「泥水だと? いいかゼピュロス、よく聞け。コーヒーは俺に残された数少ない『個の不純物』……つまり、俺が俺であるための聖域なんだ。それを泥水扱いするのは、お前の性格が致命的にひん曲がっているのと同義だぞ。苦味も雑味も、この整いすぎた世界では貴重なスパイスなんだよ」
ゼピュロス「えー? ひん曲がってるのは、こんなペラペラな世界で本物を探してるマスターの頭の方だよ! 大体、そのコーヒーだって、リィナちゃんがちょっと魔法を使えば、もっと『正しく』美味しくなっちゃうんだから!」
直也「それが一番の恐怖だって言ってるんだ。……リィナちゃん、あいつに少し『お掃除』の加減を教えてやってくれ。できれば、その減らず口だけを綺麗に拭き取ってほしいんだが」
リィナ「ええっ!? ゼピュロスちゃんをお掃除なんて……そんな、分解しちゃうみたいで怖いです! それに直也さん、コーヒーのお味については、私もいつか『完璧に濁りのない一杯』を淹れられるように頑張りますから!」
リィナは困り顔で杖を抱え直した。
彼女の「善意」が、俺の愛するコーヒーの個性を奪う刃になる。この世界の優しさは、いつだって残酷なまでに鋭い。
港町での「超・滑走事件」以来、リィナは自分の魔法の威力に今まで以上に怯えているようだが、それでも彼女の根底にある「正しくありたい」という願いは、この世界のシステムと恐ろしいほど相性が良かった。
俺たちが進むにつれ、街道の様子は刻一刻と奇妙さを増していった。
平原の途中から、道端に立て札や道標、地面に描かれた矢印が急激に増え始めたのだ。
『ようこそ内壁ゲートへ。右側通行で、あなたの旅をより効率的に』
『迷いましたか? 正面に見えるのが正解の入口です。他を探す必要はありません』
『あなたの安全が私たちの喜びです。一列に並んで、周囲と歩調を合わせましょう』
『質問がありますか? 係員は、あなたが聞くべき答えをすべて持っています』
最初は丁寧な案内だと思っていたが、数メートルおきに、まるでリピート再生されるノイズのように同じ内容が設置されているのを見ると、徐々に胸が苦しくなってくる。
掲示されている内容はどれも「優しさ」に基づいているはずなのに、その過剰な丁寧さが、暗黙のうちに「それ以外の行動をするな」と強制しているように感じられた。
しかも、どの立て札もピカピカに磨き上げられ、フォントまで寸分違わず統一されている。
汚れ一つない看板が、どこまでも続く。
直也「……親切すぎて、逆に息が詰まるな。まるで見えない手に背中を押されてる気分だ」
ALMA『肯定します。これらの掲示物は、通行者の思考リソースを削減し、特定の行動パターンへと誘導するための最適化処理と推測されます。直也さん、血圧と不快指数がわずかに上昇しています。この領域の「正解率」は、外郭ポルトマーレを遥かに凌駕しています』
直也「だろうな。正解を押し付けられているんじゃない。正解しか存在しないように世界が塗り固められているんだ。……おい、ポン太。お前、さっきから黙ってるけど、この先について何か知ってるんだろ?」
俺は、一行の少し後ろをのんびり歩く茶色い獣人に声をかけた。
前にで半ば強引に仲間に加えたガイド枠のタヌキだ。
彼は、表の街道を歩くのを嫌がるように、常に道端のわずかな茂みや岩の影を選んで歩いている。
ポン太「へへっ、旦那。俺っちはただの商売人だからね。あんな立派なゲート、恐れ多くて正面からは近寄れねぇよ。お天道様の下を堂々と歩くのは、旦那たちみたいな『正しい旅人』の役目だ」
直也「正面はやめとけってことか?」
ポン太「あそこは『正しさ』の濃度が濃すぎるのさ。入る前に、魂のシワまでアイロンがけされちまうぜ。一度あそこの空気を吸っちまったら、もう二度と『裏道の汚れ』が恋しくなくなる。……旦那、あんたはそうなってもいいのかい?」
ポン太はそれ以上語らず、ただ胡散臭い笑みを浮かべて街道の先を指差した。
ようやく内壁ゲートの全貌が見えてきた。
門そのものの巨大さもさることながら、異常なのはその手前に形成された「検問列」だった。
数百人、いや数千人の人々が、乱れ一つなく、等間隔で整列している。
その脇には「誘導員」らしき、全員が同じ青い制服を着た男たちが、一定の間隔で配置されていた。
誘導員「ようこそ。右側の方はそのまま前へ。左側の方は笑顔で一列に。正解の道はこちらです」
誘導員「お手荷物は三番目のトレイへ。心に迷いがある方は五番目のカウンセラーへ。すべては皆様の幸せのために」
録音された音声のように、全員がまったく同じタイミングで、まったく同じ文言を繰り返している。
巨大な魔法掲示板には、持ち物点検の注意が十種類の異なる言い回しで、しかし一字一句違わぬ結論へと、延々とループ表示されていた。
列に並ぶ人々は、まるで工場で出荷を待つ製品のように整然としていた。
足音一つ響かない。話し声も聞こえない。
聞こえるのは、誘導員の機械的な案内と、並んでいる連中の、機械仕掛けのような完璧な呼吸音だけだ。
リィナ「……皆さん、すごく静かですね。まるでお葬式みたいです。あんなに親切にしてもらっているのに、誰も笑っていません」
リィナが不安そうに俺の袖をギュッと掴んだ。
彼女の指先がわずかに震えている。
ALMA『解析。対象群の生体反応が、検問所の周期信号と完全に同期しています。個別の意思決定プロセスが停止している可能性、95パーセント。……直也さん、ここでの滞在時間が長引けば、私たちの認識データにも「ノイズ除去」が強制適用される恐れがあります』
直也「ノイズ除去……つまり、俺たちの『ズレ』も消されるってことか。冗談じゃない。……これは『検問』じゃない。ただの『規格検査』だ」
俺たちが一歩近づくと、最も近くにいた誘導員がカチリと首をこちらに向けた。
その瞳には、人間らしい揺らぎが一切ない。まるでガラス玉を嵌め込まれた人形だ。
誘導員「新規の来訪者ですね。ようこそ。まずはあちらの『自己申告書』の列へ。正解の手順は、掲示板の1番から48番までに記載されています。一文字でも読み飛ばすと、親切なやり直しが適用されますのでご注意を」
直也「……48番まで、一文字も飛ばさずにか? それが『正しい』手順だと言うのか」
誘導員「はい。それが最も親切で、最も美しい手順です。皆様、そうされています」
俺は検問列の完璧すぎる秩序を見渡し、胃の奥が凍りつくような感覚を覚えた。
正面突破をすれば、俺たちもあの「正解」の一部として、個性を削り取られ、美しい歯車へと作り替えられることになるだろう。
直也「……ポン太。お前、さっき『正面はやめとけ』って言ったな。その意味が、ようやく胃にきたよ」
ポン太「へへっ。旦那も気づいたかい? あそこを通ったら、もう二度と『泥道』は歩けなくなる。あんたのこだわってる泥水みたいなコーヒーも、あそこじゃ『汚れ』として捨てられちまうだろうよ」
直也「……最悪の未来予測だな。じゃあどうする。何か別のルートがあるんだろ?」
ポン太はすぐには答えず、値踏みするように、そしてどこか楽しげに俺をじっと見た。
ポン太「あるにはあるが……旦那、俺っちとの『信用』はまだ貯まってねぇだろ? タダで裏道を教えるほど、俺っちも『親切』じゃねぇんだ。裏の入口へ行くには、それ相応の覚悟と、あとは……ま、条件ってやつが必要だ」
ゼピュロス「またそれ? めんどくさいタヌキだなぁ。さっさと案内しなよ! あんな人形たちの列に並ぶなんて、風が死んじゃう!」
直也「めんどくさいのはお前の性格だと言ったろ。……いいだろう、ポン太。条件を聞こうじゃないか。お前の言う『裏の入口』、見せてもらおうか」
ポン太はニヤリと口の端を吊り上げた。
その目は、整然とした検問所の明るい光を一切反射せず、どこまでも深く、濁っていた。
それは、この世界で唯一信用できる「汚い輝き」だった。
◆◆◆(魂のアイロンがけ)ここまで◆◆◆
次回の更新日3月10日(火)
第9話(2)親切な関所と、泥だらけの裏契約 ―― 泥濘の招待状
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