【第8話】止まれない男と、隙間を歩くタヌキ(後編A)
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ポン太の背中を追って路地の奥へ潜ると、空気の匂いが変わった。石畳は途切れ、足元には“塗り残し”みたいな白い斑が点々と浮いている。
「おい、足元気をつけろよ。その『白いところ』を踏んだら、二度と戻ってこれねぇぞ」
ポン太の警告は、決して脅しではなかった。
俺たちが歩いているのは、表の街のきらびやかな景観とは似ても似つかない、灰色の荒野――いや、「工事現場の足場」のような場所だった。
頭上には、空がない。
あるのは、ぼんやりとした灰色の霧だけ。
そして左右には、表の世界を構成している建物の「裏側」が並んでいるのだが……。
リィナ「な、直也さん……。あのお家、ペラペラです……」
リィナが震える指で差した先には、立派な石造りの家の「裏面」があった。
だが、そこには壁の厚みがない。
まるでベニヤ板に絵を描いて立てかけただけのように、裏側は木の骨組みが丸見えで、中は空洞だった。
直也「……書き割り、だな」
ゼピュロス「かきわり?」
直也「お芝居で使う、偽物の背景のことだよ。前から見れば本物に見えるけど、後ろから見ればただの板だ」
俺は道端にある岩に触れようとして、手を止めた。
その岩も、裏側がスパッと切り取られたように無く、中が空っぽだったからだ。
ALMA『解析。この空間に存在する物質は、表層の「見栄え」だけにリソースが割かれています。内部構造、質量、質感などのデータが欠落しています』
直也「中身がないのは住人だけじゃなくて、建物もそうだったわけか」
改めて、背筋が寒くなる。
俺たちは今まで、こんなペラペラの張りぼての上で生活していたのか。
少し強く蹴れば穴が空き、壁に寄りかかれば倒れるような、脆い箱庭の中で。
ポン太「へっ、驚いたか? だが、これがこの世界の『素顔』だ」
ポン太は慣れた足取りで、骨組みだけの木の上をひょいひょいと渡っていく。
ポン太「表の連中は、綺麗に塗られた『絵』を見て満足してらぁ。自分が絵の一部だってことも知らねぇでな。……だが、俺たちみてぇな『はみ出し者』にとっちゃ、こっちの方が住み心地がいい」
直也「住み心地がいい? こんな殺風景な場所がか?」
ポン太「ああ。『役割』を押し付けられなくて済むからな」
ポン太は懐から出した煙管をくわえ、プカリと煙を吐いた。
ポン太「パン屋はパンを売る。宿屋は客を泊める。あの街じゃ、それ以外の生き方は許されねぇ。……だが、俺っちみてぇな商売人は、あそこじゃ息が詰まるんだよ」
直也「だから、この隙間を歩いてるのか」
俺は自分の足元を見た。
まだ摩擦は戻りきっていないが、ここの地面は未舗装の土や瓦礫のおかげで、適度な引っ掛かりがある。
ツルツルに磨かれた表の石畳よりも、このデコボコの地面の方が、俺の足には優しかった。
直也「……同感だ。俺も、あっちの『正解』だらけの世界より、このゴミ溜めみたいな場所の方が落ち着くよ」
リィナ「直也さん……」
リィナが俺の服の裾をギュッと掴んだ。
彼女もまた、あの完璧な世界で「失敗作」の烙印を押されていた一人だ。
この荒涼とした景色の中に、彼女も何か共感するものを感じているのかもしれない。
しばらく進むと、道が唐突に途切れた。
いや、途切れたというより、「崩落」していた。
直也「……おい、行き止まりだぞ」
目の前に広がっていたのは、巨大な断崖絶壁だった。
崖の下には、白い霧が渦巻いている。
そして、その霧の彼方に、うっすらと西の平原が見えた。
ポン太「行き止まりじゃねぇよ。ここが『滑り台』の入り口だ」
直也「滑り台?」
ポン太はニヤリと笑い、背負っていた風呂敷包みを解いた。
中から出てきたのは、巨大な一枚の枯れ葉だった。
乾燥して茶色くなっているが、大人が三人くらい乗れそうなほどデカい。
ポン太「こいつに乗って、この崖を一気に滑り降りる。西へ抜ける最短ルートだ」
ゼピュロス「わー!面白そう!葉っぱのソリだね!」
直也「待て待て待て。死ぬだろこれ。ブレーキはどうするんだ?」
俺は崖下を覗き込んだ。
角度は急だし、地面はゴツゴツした岩肌だ。
こんな枯れ葉で突っ込んだら、途中で葉っぱが破れて、俺たちは岩場のおろし金ですり下ろされることになる。
ポン太「ブレーキ? そんなもん必要ねぇよ。勢いで突っ切るんだ」
直也「それが一番怖いって言ってんだよ!」
ポン太は聞く耳を持たず、枯れ葉を崖の縁にセットした。
だが、葉っぱの表面はカサカサで、地面との摩擦が強そうだ。
これでは滑るどころか、途中で引っかかって転覆する未来しか見えない。
ポン太「んー、ちっと滑りが悪いな。これじゃあ途中で止まっちまうかもな」
直也「止まるならまだマシだ。転がるよりはな」
その時、リィナがおずおずと手を挙げた。
リィナ「あ、あの……滑りを良くするなら、私にお任せください!」
直也「え?」
リィナ「この葉っぱの裏側を、魔法でツルツルに磨けばいいんですよね? それなら得意です!」
嫌な予感がした。
さっきの悪夢――俺の摩擦を奪ったあの魔法が脳裏をよぎる。
直也「ちょ、ちょっと待てリィナちゃん! それはフラグ――」
リィナ「任せてください! えいっ、生活魔法『お掃除・ポリッシュ(研磨)』!」
葉っぱの裏側からザラつきだけが消え、表面が異様なほど滑らかに磨き上がっていく。
止める間もなかった。
リィナの杖から放たれた光が、巨大な枯れ葉を包み込む。
カサカサだった葉っぱの表面が、一瞬にして鏡のように輝き始めた。
物理的な凹凸が消滅し、摩擦係数が限りなくゼロに近い「超・滑走物体」が誕生した瞬間だった。
ズルッ!
ポン太「うおっ!? なんだこれ!? すげぇ滑るぞ!?」
まだ誰も乗っていないのに、葉っぱが勝手に動き出した。
地面のわずかな傾斜に従って、崖の方へとズルズル滑っていく。
直也「おいバカ! 待て! 乗る前に落ちるぞ!」
ゼピュロス「あー! 待ってー! 私の特等席ー!」
ゼピュロスが慌てて飛び乗る。
その衝撃で、葉っぱの加速が増す。
ポン太も慌てて飛び乗った。
ポン太「旦那! 早く乗れ! 置いてくぞ!」
直也「くそっ! なんでこうなるんだ!」
俺はリィナの手を引き、動き出した葉っぱの舟に飛び乗った。
全員が乗り込んだ、その瞬間。
葉っぱの舟は、崖の縁を越えた。
フワッ。
重力が消える感覚。
俺たちの体は宙に浮き、そして――奈落の底へと向かって、猛烈な勢いで落下を開始した。
直也「結局落ちるんかぁぁぁい!!」
◆◆◆(後編Aパートここまで)◆◆◆
次回の更新日3月3日(火)第8話後編Bパートになります。
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