【第8話】止まれない男と、隙間を歩くタヌキ(中編B)
◆◆◆
リィナは戸惑いながらも、そのレンガの壁の前に立った。
彼女の小さな手には、使い込まれた木の杖が握られている。
リィナ「あの……本当にいいんですか?人様のおうちの壁を、勝手に……その、剥がしちゃって」
直也「構わないさ。どうせその壁は『見せかけ』だ。汚れを落とすのと変わらない」
リィナ「わかりました……。えいっ、生活魔法『お掃除・塗装剥がし』!」
リィナの杖先から、シャワーのような光が噴き出した。
光は壁に吸い込まれ、そして――奇妙な現象が起きた。
ジュワァァァ……。
レンガの硬い質感が、まるで熱したフライパンに乗せたバターのように溶け始めたのだ。
いや、溶けたのではない。
「レンガの絵」が描かれた薄い膜が、ベロリと剥がれ落ちたのだ。
直也「……うわ」
ゼピュロス「なにこれー!壁紙みたい!」
剥がれた膜の下から現れたのは、レンガでも石でもなかった。
そこには、ただ「白い空間」があった。
色が白いのではない。絵の具を塗り忘れたキャンバスのような、情報の欠落した「白」だ。
そこだけ世界が切り取られ、ぽっかりと口を開けている。
ALMA『解析。空間座標の空白地帯です。視覚情報は「白」として処理されていますが、実際には「何もない」場所です』
直也「やっぱりな。あいつは壁をすり抜けたんじゃない。この『書き割り』の隙間に入り込んだんだ」
俺たちが普段歩いている街並みは、あくまで表面的な舞台セットに過ぎない。
その裏側には、こうした処理しきれない「余白」が広がっている。
ポン太はそれを知っていて、利用したのだ。
直也「行くぞ。あいつはこの先にいる」
リィナ「え、ええっ!?この白いところに入るんですか!?」
直也「怖いか?」
リィナ「こ、怖いですけど……直也さんが行くなら!」
リィナは怯えながらも、しっかりと杖を握り直した。
ゼピュロスはといえば、「探検だー!」と既に頭を突っ込んでいる。
俺も覚悟を決めて、その「白」へ足を踏み入れた。
ぬるり。
空気を抜けるような、水をくぐるような、奇妙な感覚。
視界が一瞬ホワイトアウトし、次の瞬間――俺たちは「路地の裏側」に立っていた。
そこは、奇妙な空間だった。
左右には、表の街の建物の「裏面」がそびえ立っている。
だが、その壁には窓もドアもなく、ただ灰色ののっぺりとした板が張り巡らされているだけだ。
地面は未舗装の土で、所々に表の世界では見かけない「ゴミ」や「ガラクタ」が積み上げられている。
直也「……まるで、遊園地のバックヤードだな」
ALMA『肯定します。ここは「見られること」を想定していない領域です』
そして、その薄暗い獣道の先に、見覚えのある茶色い背中があった。
ポン太だ。
奴は木箱の上に腰掛け、俺から巻き上げた金貨を指で弾いて数えていた。
ポン太「へっへっへ。チョロいもんだぜ。あの異世界の兄ちゃん、いいカモだったなぁ」
独り言まで聞こえてくる。完全に油断している。
俺の中で、ふつふつと怒りが再燃した。
直也「……おい」
ポン太「ん?なんだぁ?」
ポン太がのんきに振り向く。
俺たちの姿を認めた瞬間、彼の目が飛び出さんばかりに見開かれた。
ポン太「げぇっ!?だ、旦那!?なんでここがバレた!?」
直也「お前の安っぽい化粧を剥がしてきたんだよ!」
ポン太「壁の『認識阻害』を剥がしたのか!?あれ、教会の法術レベルだぞ!?」
ポン太は慌てて金貨を懐にしまい、逃げ出そうとした。
だが、ここは一本道だ。
直也「逃がすかぁぁぁ!!」
俺は地面を蹴った。
摩擦ゼロの靴底は、この裏道でも健在だ。
一歩踏み出しただけで、俺の体はロケットのように加速する。
ポン太「ひぃぃっ!来るなバケモノ!」
直也「誰がバケモノだ!金返せ!」
ポン太は身軽な動きで障害物を飛び越えていく。
だが、俺にはブレーキがない。
障害物ごと粉砕する勢いで、一直線に突っ込んでいく。
ALMA『直也さん、衝突コースです。減速不能』
直也「減速する気はない!そのままぶち当たる!」
俺は体を横に向け、ショルダータックルの体勢を取った。
狙うはポン太の背中。
人間ボウリングのストライクコースだ。
ポン太「ちょ、待て!タンマ!タンマだって!」
直也「問答無用!!」
ドォォォォォン!!
鈍い衝撃音が路地裏に響き渡った。
俺の肩がポン太のわがままボディに深々とめり込む。
ポン太は「ぐへぇっ!」とカエルのような声を上げ、俺と一緒に地面を転がった。
摩擦ゼロの俺と、クッション性の高いタヌキ。
二つの物体は絡み合ったまま、土埃を上げて数十メートル滑走し、ようやくゴミ山に突っ込んで停止した。
直也「……捕まえたぞ、この詐欺師」
ポン太「……い、痛ぇ……。旦那、あんた体どうなってんだ……硬すぎだろ……」
俺は目を回しているポン太の胸倉を掴み、強引に立たせた。
遅れて追いついてきたリィナとゼピュロスが、俺たちを取り囲む。
ゼピュロス「あはは!マスターすごい!ストライクだー!」
リィナ「直也さん、乱暴は……あ、でもこの人はちょっと懲らしめた方がいいですね」
リィナにしては珍しく、少し怒っているようだ。
彼女が綺麗にしてくれた剣が、最初から『ただの枯れ木』だったと知って、騙されたことが許せなかったのかもしれない。
直也「さて、ポン太様。商談の続きといこうか」
ポン太「……へいへい。降参だ降参。金貨は返すよ。ったく、とんだ貧乏くじ引いちまった」
ポン太は懐から金貨を取り出し、渋々俺に返した。
だが、俺はまだ手を離さない。
ポン太「あ?金は返しただろ?離してくれよ」
直也「いや、もう一つ頼みがある」
俺は視線を、この薄暗い裏道の先へと向けた。
表の街の「整然とした狂気」とは無縁の、薄汚くて、でもどこか安心する土の匂いがする道。
直也「俺たちを、この『裏ルート』を使って西まで案内しろ」
ポン太「はぁ?何言ってんだ旦那。ここは一般人が歩く道じゃねぇぞ。足場は悪いし、魔物だって出るかもしれねぇ」
直也「構わない。表通りを歩いて、あのお人形さんたちみたいに『矯正』されるよりマシだ」
俺の言葉に、ポン太は少し驚いたような顔をした。
そして、値踏みするように俺の目をじっと見つめる。
ポン太「……へぇ。旦那、本気で言ってんのか?」
直也「本気だ。俺はこの世界の『正しい道』を歩くつもりはない。……お前と同じようにな」
ポン太はしばらく沈黙した後、ニヤリと口の端を吊り上げた。
その笑顔は、さっきまでの胡散臭い愛想笑いとは少し違う、悪友に向けるような不敵なものだった。
ポン太「……いいぜ。気に入った。変わり者は嫌いじゃねぇ」
直也「商談成立だな」
ポン太「ただし!ガイド料は別料金だ。……ま、今回は特別に『出世払い』にしといてやるよ」
ポン太はパンパンと法被の埃を払うと、ひょいと身軽に立ち上がった。
ポン太「ついてきな。ここから先は、地図にない道だ。……落ちても知らねぇぞ?」
俺たちは顔を見合わせた。
リィナは不安そうに、でもしっかりと頷いた。
ゼピュロスはワクワクした顔で浮いている。
ALMAは静かに明滅している。
俺は滑る足を踏ん張り、ポン太の背中を追った。
正規ルートを外れた、世界のアウトローたちが歩く隙間の道。
そこは、俺にとって初めて「息がしやすい」と感じる場所だった。
◆◆◆(中編ここまで)◆◆◆
次回の更新日2月27日(金)第8話後編Aパートになります。
感想を頂ければ励みになります。
よろしくお願いします。




