【第7話】迷いの森に、道なんてあるわけない(前編B)
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俺の抱えた頭痛などどこ吹く風で、リィナは鼻歌交じりに鍋を取り出した。
「さぁ、美味しいシチューを作りましょう!毒消し草はないですけど、私にはこれがありますから!」
彼女は杖を振り上げ、毒々しいキノコが満載された鍋に向かって詠唱を開始した。
リィナ「美味しくなーれ、きれいになーれ!毒とか苦味とか、お腹壊しそうな成分、えいっ!」
瞬間、鍋の中がカッと白く発光した。
リィナの生活魔法「お掃除」だ。
物理的な汚れだけでなく、彼女が「不要」と認識した概念すらも拭き取る、世界の理を『頑固なシミ』扱いする暴挙。
光が収まると、そこには……依然としてド紫色で、不気味に泡立つ魔女の鍋のような物体が完成していた。
直也「……リィナさん?見た目が、ビフォーアフターで変化なしなんですが」
リィナ「完璧です!毒素と『嫌な味』だけをピンポイントでお掃除しました!見た目は……あ、うっかりしてましたね」
ゼピュロス「わーい!いい匂い!いただきまーす!」
止める間もなく、ゼピュロスが鍋に顔を突っ込み、猛烈な勢いでその紫色の液体を啜り始めた。
ゼピュロス「んー!うまーい!これ、見た目は最悪だけど味は最高だよマスター!」
直也「嘘だろ……?味覚センサー壊れてないか?」
俺は震える手で木のスプーンを持ち、紫色の液体をすくった。
鼻を近づける。
……匂いは、驚くほど芳醇なクリームシチューだ。
だが、視覚情報は全力で「これは毒物だ」と警鐘を鳴らしている。
意を決して、口に運ぶ。
直也「……っ!?」
美味い。
悔しいほどに美味い。
濃厚なミルクのコクと、野菜のような甘み。毒々しい見た目からは想像もつかないほど、優しく洗練された味が口いっぱいに広がる。
ALMA『補足。リィナさんの魔法により、毒性および雑味という「概念」そのものが除去されました。結果、栄養価だけが高い完全食へと変貌しています』
直也「……美味いけど、脳がバグりそうだ」
視覚と味覚の戦争。
俺はこの世界の「正しさ」が生み出した矛盾の味に、胃袋を掴まれながら戦慄していた。
◆◆◆
食後。
俺たちは荷物をまとめ、いよいよ出発することになった。
だが、ここで問題が発生した。
ゼピュロス「えー、歩くの?めんどくさいよー」
直也「文句言うな。地図がないんだから、慎重に進むしかないだろ」
ゼピュロス「だってこの森、どこまで行っても同じ木ばっかりで飽きるんだもん!ねぇマスター、風に乗っていこうよ!私が運んであげる!」
直也「却下だ。お前の制御で空なんて飛んだら、墜落死するか、木に激突してミンチになる未来しか見えない」
ゼピュロス「大丈夫だって!『ふんわり』運ぶから!リィナちゃんもその方が楽だよね?」
リィナ「はい!空のお散歩、楽しそうです!」
直也「リィナまで……待て、やめろ、嫌な予感が――」
俺の制止は、巻き起こった暴風にかき消された。
ゼピュロス「それじゃあ出発進行ー!『ストーム・フライト』!!」
直也「名前が『ふんわり』じゃねぇぇぇ!!」
視界が反転した。
体が浮き上がったかと思うと、次の瞬間には洗濯機の中に放り込まれた靴下のように、天地がわからぬほどの回転が襲いかかってきた。
ゼピュロスの風は、優雅なフライトなどではない。
ただの局地的な竜巻だ。
直也「ぎゃああああああ!!」
リィナ「わぁー、すごいですー!目が回りますー!」
ゼピュロス「あはははは!速い速い!障害物なんて関係なーい!」
木々の枝が頬をかすめ、森の景色が緑色の流線となって後方へすっ飛んでいく。
G(重力加速度)が胃の中の毒キノコシチューを逆流させようと暴れ回る。
ALMA『警告。直也さんの三半規管が限界値を突破しました。嘔吐まであと10秒』
直也「おろして……頼むから、おろしてくれぇぇぇ……!」
数分後、あるいは数時間後。
俺たちは森の少し開けた場所へ「不時着」した。
ドサッ、と地面に投げ出される。
直也「……オ゛ェ……」
ゼピュロス「到着ー!どう?歩くより全然速かったでしょ?」
リィナ「ふふ、ちょっと髪が乱れちゃいましたね」
ピンピンしている二人を尻目に、俺は大地に這いつくばり、回る世界と格闘していた。
このパーティが既に迷走していることだけは、確かな事実だった。
俺は霞む視界で、前方に広がる景色を見た。
そこには、奇妙なほど同じ形をしたねじれた木が、まるでコピー&ペーストされたかのように無限に並んでいた。
直也「……なんだ、ここ?」
生理的な吐き気が、別の種類の「悪寒」へと変わる。
俺たちの冒険は、まだ始まったばかりだ。
◆◆◆(前編ここまで)◆◆◆
次回は中編のAパートになります。
お楽しみに!




