【第7話】迷いの森に、道なんてあるわけない(前編A)
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当面の目的はただ1つ。この「迷いの森」を抜けて、西へ進むことだ。……そのはずだった。
自由の朝は、小鳥のさえずりではなく、鼓膜を直接殴りつけるような爆音で始まった。
「ふふーん!ふふふーん!風が呼んでるー!嵐が呼んでるー!今日も元気に、世界をかき回しちゃおー!」
謎の即興ソングだ。しかも、音程という概念が最初から欠落している。
俺は頭からかぶっていたジャケットを強く握りしめ、必死に二度寝の世界へ逃げ込もうとした。
だが、その努力をあざ笑うかのように、今度は物理的な振動が地面から伝わってくる。
ズガァァァン!!
「——おらぁ!邪魔だ邪魔だぁ!風の通り道を開けろっての!」
メリメリメリ、ドォォォン!!
大木がへし折れる音。何かが粉砕される音。そして、またあのご機嫌な鼻歌。
俺は限界を感じて、ガバッと上半身を起こした。
直也「……うるっっっさいわ!!」
俺の絶叫が、早朝の「迷いの森」に木霊する。
目の前では、半透明の翠色の少女——ゼピュロスが、身の丈ほどある大剣を軽々と振り回し、樹齢数百年はありそうな巨木をなぎ倒している真っ最中だった。
ゼピュロス「あ、おはようマスター!起きるの遅いよー!もう太陽さんが『働け働け』って言ってる時間だよ?」
直也「言ってねぇよ!まだ日の出前だろ!……っていうか、何してんだお前は!ここはキャンプ場だぞ、森林伐採の現場じゃないんだ!」
俺はぜぇぜぇと息を切らしながらツッコミを入れる。
寝起きだというのに、血圧が一気に跳ね上がっていた。
昨夜、リィナの魔法で「高級低反発マットレス」に変えられた地面のおかげで、懸念していた腰痛はない。
だが、代わりに偏頭痛が痛烈なビートを刻んでいる。
ALMA『おはようございます、直也さん。睡眠時間は約5時間。推奨値には届いていませんが、覚醒レベルは騒音ショックにより強制的に最大値へ達しています』
直也「……ALMA。お前、なんで止めなかった?俺の安眠を守るのも、優秀なアシスタントの仕事だろ?」
ALMA『否定します。ゼピュロスの行動原理は「自由」です。彼女に対し「静かにしろ」という命令を下すことは、直也さんが望んだ「抑圧からの解放」と矛盾します』
直也「限度があるだろ!俺が求めたのは自由であって、騒音公害じゃない!」
俺はふらつく足取りで立ち上がり、周囲を見渡した。
昨夜までは鬱蒼とした森の入り口だった場所が、今は半径20メートルほど綺麗さっぱり更地になっている。
切り株の断面はスパッと鋭利で、まるで最初からそこには何もなかったかのように風通しが良い。
ゼピュロス「えへへ、すごいでしょ?朝の運動ついでに、ちょっと風通しを良くしておいたよ!これで虫さんも寄り付かないし、一石二鳥!」
直也「虫どころか、生態系ごと逃げ出すわ。……はぁ。リィナは?」
ゼピュロス「リィナちゃんなら、朝ごはんの材料探しに行ってるよ!『直也さんが起きたら、すぐに食べられるように』って!」
直也「……天使か。このカオスなパーティにおける唯一の良心だわ」
俺はため息交じりに、リィナが向かったと思しき森の奥へ視線を向けた。
この「迷いの森」は、ALMAの情報によれば地図データが存在しない未踏領域だ。
普通の感覚なら、不用意に単独行動をするなんて自殺行為に等しい。
だが、リィナにはあの生活魔法「お掃除」がある。
敵が出てくれば消せばいいし、道がなければ作ればいい。
ある意味、最強のサバイバーなのは彼女かもしれない。
直也「……顔を洗ってくる。ゼピュロス、お前はもう木を切るなよ。これ以上やったら、環境保護団体じゃなくて森の精霊に呪われるぞ」
ゼピュロス「えー?精霊ならここにいるじゃん!」
直也「お前みたいな破壊神を精霊とは呼ばないんだよ」
俺は捨て台詞を残して、近くの小川へ向かった。
冷たい水で顔を洗う。
水面に映る自分は、無精髭が少し伸び、ヨレヨレのシャツを着た、どこにでもいる38歳の疲れたおっさんだ。
ネクタイを捨てて、少しはワイルドになったかと思ったが、中身はそう簡単に変わらないらしい。
ALMA『直也さん。鏡像認知による自己評価を行っていますか?』
直也「……ただの顔洗いだよ。いちいち分析するな」
ALMA『報告。直也さんの顔色は、昨日よりも「生気」の数値が向上しています。会社員時代のデータと比較すると、ストレス係数は40パーセント減少。ただし、肉体疲労度は200パーセント増加しています』
直也「健康なのか不健康なのか分からんな」
ALMA『「健康的で文化的な最低限度の生活」という定義からは外れていますが、「生物としての生存活動」としては正常です』
直也「皮肉がきついな。……でもまぁ、悪くない気分だ」
タオルなんて便利なものはないので、シャツの袖で顔を拭う。
ゴワゴワした生地の感触が、妙にリアルだ。
会社に行かなくていい。満員電車に乗らなくていい。
ただ、今日はどっちへ進むかを自分で決めればいい。
その単純な事実が、今の俺には何よりの鎮痛剤だった。
ガサガサッ。
茂みが揺れる音がした。
リィナが戻ってきたのだろうか。
俺は少し表情を緩めて、声をかけようとした。
直也「おかえり、リィナ。何かいいもの見つかった——」
言葉が止まる。
茂みから出てきたのは、リィナではなかった。
それは、リィナが両手で抱えている「極彩色の物体」だった。
リィナ「あ、直也さん!おはようございます!見てください、すごいです!」
リィナは満面の笑みで、その物体を俺の目の前に突き出した。
紫、蛍光ピンク、そして毒々しい黄色い斑点。
どう見ても、生物としての警告色を全身で主張している巨大なキノコだった。
しかも、微かに脈打っているように見えるのは気のせいだろうか。
直也「……リィナちゃん。質問してもいいかな」
リィナ「はい!なんですか?」
直也「それは、俺たちに対する何かのメッセージか?『ここで死んで楽になれ』とか、そういう慈悲の心?」
リィナ「え?違いますよ!朝ごはんです!『デッドリー・ポイズン・マッシュ』っていうんですけど、森の奥に群生してて……これ、すごく栄養があるんですよ!」
直也「名前!!名前に『デッドリー』って入ってる時点で食材失格だろ!食べる前から死因が確定してるじゃないか!」
リィナ「大丈夫です!毒消し草と一緒に煮込めば、毒素だけ中和できるって本で読みましたから!……たぶん」
直也「たぶん!?今、俺たちの命を『たぶん』に賭けようとした!?」
ALMA『解析結果。対象物には致死量にして成人男性30人分の神経毒が含まれています。摂取後、約3秒で全身麻痺、5秒で呼吸停止に至ります』
直也「即死じゃねーか!!」
リィナ「でも、ALMAさんが言ってたじゃないですか。昨日の夜、『直也さんはスリルを好む傾向がある』って」
直也「ALMAァァァ!!余計な情報を吹き込むな!俺が好きなのは計算されたリスクであって、ロシアンルーレットじゃない!」
朝の静寂(と騒音)は、新たなカオスによって完全に塗りつぶされた。
自由とは、かくも過酷で、命がけのものなのか。
俺は頭を抱えながら、この「迷いの森」での一日が、とんでもなく長いものになることを予感していた。
◆◆◆(Aパートここまで)◆◆◆
今回から各編をAパート、Bパートに分けて週2回更新で連載して行きますのでどうぞお楽しみに!
金曜日Aパート、火曜日Bパートの順になるようにしておりますので次回は前編Bパートです。




