橋中悠貴とミラ
ピピピピピピ…………
ある5月の朝、1人の少年の部屋で目覚ましのアラームが鳴り響く。
ピピピピッ────
アラームを止めた少年は時間を見て…
「遅刻だぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!」
さぁ勢いよく高校の制服に着替え、荷物を持って、マンガのように口に食パンをくわえて家を飛び出した少年は、橋中悠貴だ。
上記に書いた『マンガのように口に食パンをくわえて』の部分だが1つ訂正する。
今日の朝ごはんは食パンじゃなくて、焼きそばパンなのだ!
非常に食べづらい!
成績平凡、運動平凡、ゲームのプレイスキル平凡、恋愛経験ゼロ、陰キャラでも陽キャラでもない境界人という言葉を習ったことがあるが、おそらく使い方を間違っている。
幼稚園の頃の将来の夢は、
『消防車になること』
非常に微笑ましい… いや待て消防車!? 消防士だろっ!
ということをつい最近ツッコんでた。
まぁ自己紹介はこのくらいにして、焼きそばパンの焼きそばをポロポロ落としながら学校へ悠貴は急ぐ。急ぐ。急ぐ。急ぐ。
横腹が痛くなってきた。止まりたい。止まって休憩したい。でも止まれない。足が、悠貴の足が止まることを許さない。
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綺麗な川に沿った道をまだ悠貴は走っていた。しかし、今の悠貴の走る速度は歩く方が速いのではと思わせるほど遅い。
5月の中旬、桜の花はとっくに散ってしまい、鮮やかな翠の葉の衣を纏っている。最近は暑さを感じるようになってきた。梅雨の予報さえ聞くように…
それはまだ早かった……。
人気がない道を、ただひたすら走る。既に焼きそばパンは食べ終わっている。横腹の痛みが尋常じゃない。
ほとんど人気のない道を───────
横腹の痛みに意識が集中していたため気づかなかった。それでもこれまで人気がないことに気づかないことなどあるか?さすがに鈍感すぎるだろ……
えっ!?嘘だろ!?本気で俺は何も気づかなかったのか!?
自分で自分にツッコんでからようやく何の変哲のないこの世界のおかしい所に気づいたのと、恐怖を感じたのは同時だった。
この世界のおかしい所。それは。
「何で俺今日誰とも会ってねぇんだよ…!?」
そう、悠貴は今日起きてからまだ誰とも会ってなかったのだ。
朝起きてリビングに行くと必ず「おはよう」と言ってくれるお母さん。
洗面所で歯を磨いているお父さん。
毎朝小学生の見守りしながら井戸端会議をしている近所のおばさん達。
川沿いの道をジョギングしている太ったおじさん。
普段見ている光景を今朝は見ていない。
普段見ている光景を見ていないことに今気づくこの主人公もどうかと思うが。
恐怖が生まれる。疑問が生まれる。悠貴の頭では思考が追いつかない。追いついていないのに新たな情報が…
目の前にクロがいた。
悠貴とクロの間には5メートルもない。
突如現れたクロは悠貴の身長よりもやや低め。熊のような体躯をしており、鼻息を荒くし、目を赤く光らせている。
クロが発する唸り声は相手を怯ませるほど恐ろしい。
そして最大の疑問。それは。
この生物は影を纏っている。
それはこの生物のおぞましさを表すオーラのようみえる。
「──こいつ…生き物…なのか?」
当然の疑問である。
「こんな奴が…いるのか?」
その生物は目の前にいるのだから存在する。存在している。
今の悠貴の頭の中は真っ白だ。何も考えられない。ただ逃げなければならないということだけは本能的に察知した。
足が動かない。手が動かない。体が動かない。自分の体が意思に反する。
目の前のクロがいなくなった。否、クロはいなくなったのではない。悠貴が逃げるという行動に出ようとした刹那の間にクロは後ろに回り込み、その鋭い爪で悠貴の首を刎ねたのだ。
「───ッ。」
悠貴の首は血飛沫を上げ、鮮血を地面にばらまいた。視界が眩む。痛みはない。クロが去っていく。意識が薄れていく。
誰もいない世界で悠貴は落命した。
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「うがァァァァ!!!!!」
意識が繋がった時、悠貴は釣り上げられた魚のようにその場でのたうち回った。
その場でのたうち回る?
「いっ…生きてる? でも何で!? 俺は首を刎ねられて!? それで…!」
悠貴を再びあの悪夢を思い出させる。
悪夢……
「その通り。あなたが見てたのは全て私が見せてた悪夢よ。だから安心してっ!」
「あのなぁ!『安心して』ッじゃねぇよ!安心出来るかっ!マジで死んだと思ったわ!」
全くである。悠貴はあれほどまでに恐怖に追いやれたのだ。しかし、それが、クロが夢だったことに安堵しつつ、今の会話を思い出す。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
「──おまっ…お前誰だよ!!」
「いや~こっちもあなたが驚きもしずにすんなり会話に入るもんだからびっくりしたよ~」
マジでこの声の主は誰なんだよ。
「私は亜人界からやって来た魔王軍の亜人サキュバスのミラです。よろしく。あと名乗らなかったのはごめんね。」
「はぁ…まぁ謝ってくれたんなら別に怒りもしないし。 俺は橋中悠貴だ。よろしく」
そう、この声の主は悠貴の目の前で浮いている美少女。サキュバスのミラである。
年齢は見た感じだと12,13歳ぐらいだろう。赤茶色に近い色をした髪の毛を肩まで伸ばして、カールがかかっている。可愛らしい童顔で、その丸い瞳は年上主義である悠貴を魅了するほどだ。服装は露出度が高い服を着ており、妖艶な雰囲気を醸し出す。しかし、その幼げな体つきから背伸びしている感じがするが、そこも愛らしい。胸は発達しておらず、これからの期待が膨らむ。
そしてやはりサキュバスだということを確信づけるのは、頭から生えている小さな悪魔の羽と、先が矢印みたいな尻尾がある。
サキュバスねぇ……サキュバスかぁ……
「これも夢なのか!?違いない!」
「えっ!?今悠貴が見ているのはっ……」
までミラが言った時にはもう時既に遅し。悠貴が壁に自分の頭を打ち付けた。
痛い。頭蓋に響く。頭が軋む。鈍い痛みが悠貴を襲う。
「痛ぇ。でも痛いってことはこれは…現実?」
「だからさっきから言ってるでしょ。人間ってのは言葉を理解出来ないの?」
「悪かったなぁ!俺は頭が悪いんだよ!」
ミラに弄られながら悠貴は楽しそうに話す。
初めてまともに女子と、この場合ミラを女子とするのか? とにかく女子と話すことができて悠貴も嬉しいのだ。
「それより悠貴、あなた学校は?」
「あっ…」
悠貴は急いで家を飛び出した。
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ミラが住んでる亜人界はこちら側でいう異世界にあたる。亜人界ではその名の通り亜人がたくさん住んでいる。その亜人界には、悪の存在『魔王軍』と、正義の心を持つ『聖龍軍』の大きく2つの軍がある。
その昔大魔王サタン率いる魔王軍と青龍率いる聖龍軍との激しい戦争が起こった。これが亜人界では知らない者はいない『龍王戦争』である。そしてその戦争が終わって数千年経った今でもその傷跡は深く残っている。
ちなみに、ミラは反魔王軍派の魔王軍である。
要する裏切ったのである。
己の正しきに従ったミラは他の魔王軍に見捨てられ、聖龍軍にも受け入れられずこの世界にやって来たのだと話してくれた。
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「なぁ、俺に着いてくるのはいいけどさ、この服装をした幼女を連れてきたってなるとさすがにヤバいんだが…」
「それなら大丈夫だよ。私たち亜人は人間に見つからないようにする『認識阻害』を使えるから。まぁ亜人同士だったら普通に見えちゃうけど。」
「だったらいいけど。」
「安心して。悠貴の淫乱疑惑なんて浮上しないから。」
「やっぱりお前の安心してはどうも安心出来ないな!」
たわいない会話をしながら、悠貴は学校へ向かう。この後再び恐ろしい思いをするとも知らずに。