狼のはらのなか 前編
静かな朝だった。外は雨。
こんな天気の日はのんびりと過ごすのがいい。
腕の中でまどろむ番がふるりと震える。
少し寒いのだろう。
人型をとき、獣形になり大きな体と尾で番を包み込む。
番の手がもそもそと動きそして腹のふかふかの毛を堪能するように顔を埋めほう、とためいきをついた。
その番のにおいをかぐと胸いっぱいに花のような香りが満ちる。
腹の中が底からほかりと温かくなる。
リンと耳元で金色の耳飾りがすんだ音をたてた。
魔人国に金色の3つ首竜が出たとき俺は王城務めの軍属だった。
狼らしい不動の忠誠心をかわれ軍に招かれそこそこの地位につき気づけば人を纏める立場にいた。それが俺の立ち位置だった。
城からあまり移動することが出来ないため、番とはまだ出会えていないことが気がかりきになってはいたが、そのうち出会えるだろうと思っていた。
そんな暢気な日常は3つ首竜が獣人国に程近い辺境の街を火の海に沈めた、と情報が入ると一変することとなった。
そしてすぐさま送り込まれた、最強と名高い王直属の軍隊が壊滅状態に陥った。と伝令を聞いたとき、誰もが常世の終わりを悟った。
その時の戦慄は今でも忘れない。
そして、戦力を大幅に削がれたそこ状態で、国は無慈悲に奮われる大きすぎる竜の力の前に、防衛という手段しか選ぶことは出来なかった。
『グレン・リカントロープ…いってくれるか。』
そう、王に打診されたとき死を言い渡されたものだと思った。
最前線で指揮をとってくれ。
そう、呟いた王の声は苦々しく。
いつも自信満々の姿との差におもわず笑ったものだ。
『かまいません、番のいぬ身軽な身です。』
悲しむものもさほどいないだろう。自嘲ぎみに笑うと王が『すまぬ』と呟いたのが印象的だった。
そうして俺は金色の3つ首竜討伐隊の指揮をとるものとなった。
数年かけて金色の3つ首竜は焼け野から西に移動し、時折我々と交戦しながら竜人国の境となる山の中腹に居を構えた。金色の3つ首竜との交戦は最初ほどの壊滅的な被害をだすほどのものでもなく終わった。
都合の良いことに金色の3つ首竜の根城から、さほど離れていない場所には大戦時に使われた朽ちた砦があり、その土台を元に新たに砦を築いた。
時折お互いの距離がちかくなりすぎる時のみ金色の3つ首竜とは戦闘になった。
長く続く戦闘に兵達は次々と戦場に散っていった。
このままでは終わりもそう遠くはない。なんとかしなければ…そう思いながら、これといった打開策もなく、砦から遠くにかすむ街をぼんやり見ていたある日、…気づいた。
非常に己に近いものがそこに居るのだと。
番だ。
そう思うといてもたってもいられず、砦から制止の声も聞かず走りだしその街に向かった。
街中をくまなく探したが、番には会えなかった。どこかにいるのに。弱い、とても弱い番の気配。
まだ成人していないのかもしれない。
ならばいきなり汗だくのこんな年も離れた男に求愛されても困るだろう。そう気付き街を後にした。
砦にもどると部下たちが祝杯をあげていた。
どうやら俺の行動は番を見つけたものだと皆にばれていたようだった。
そして、今まで番が居ないことを皆が案じていたことに遅まきながら気づかされた。
その夜の酒はうまい酒だった。
そして、苦い酒でもあった。
俺がここで戦いに負ければ竜はあの街に行くのだ。
あの竜から幼い番が逃げられるわけがない。
その日から竜との決して負けられぬ戦いが始まった。
時がたつにつれて次第に、街に番が住む者達が兵に志願してくるようになった。
志を同じくする者達は、金色の3つ首竜相手にも恐れることなく果敢に戦った。
時折命を散らすものもあったが、竜との戦いにおいてその戦歴は驚くほど死者のすくないものだった。
『己と番のために戦いつづけること。そのためにも簡単に死ぬのは許さぬ。』
と部下にも己にもそう言い聞かせた。
部下も俺も怪我をしては治癒魔法でなおし、また戦うという終わりの無い戦いを続けた。
竜は眠る。
休眠期に入れば数百年、千年と眠り続ける。
活発だった200年が過ぎ、次第に眠る時間が多くなった。
そうして数年が過ぎ、竜の活動も起きている時間より寝ている時間が長くなり、このまま静かに休眠期に入っていくほしい。そうだれもが願っていた。
しかし、現実はそう甘くはなかった。
久方ぶりに眼を醒ました竜は起きた段階で今までとは違っていた。
狂っている。
そう思わせる理性の無い動きは…おそらく最強と謳われた王軍を壊滅状態にまで追いやった時のその姿。
誰もが死を覚悟した。
だが、戦わぬという選択は誰も選びはしなかった。
そして、月の無い真夜中に戦いははじまった。
街への避難指示は出した。
王への支援要求も行った。
あとは命尽きるまで踏みとどまるだけだ。
番の気配は街から動かなかった。
待っていてくれるのだろうか。
そう思いながら…しかし、おそらく番は俺に気づいていないだろうことも解っていた。
あの時番と出会えなくてよかった。
心からそう思った。
死に行くだけの男だ。
王命に逆らう気概もない、共に逃げようという意気地もない男だ。
初めて番を感じてから150年が過ぎ、番も成人を迎えただろう。そんな若い番の相手が400歳超えのオヤジだ。
若さで突き進むには歳をとりすぎ、しがらみも多すぎた 。
ならば番に名乗ることもなく、雄々しく竜と戦い散っていくだけだ。
けれど…
もしもこの戦いで金色の3つ首竜に勝てたのならば。
迷わず番を探しにいこう。
番のその手をとり共に歩こうと。
そう思いながら俺は絶望的な戦いに身を投じた。