開戦
スタンピード。いわゆる、魔物の大暴走だ。その原因は明らかになっていないが、局所的な魔力の飽和による暴走だとか、魔物の飢餓が原因だとか、群れに脅威が迫ったことによる群体での逃走だとか。色々と説がある。今回、中央都市に一直線に向かってきていることや、『ハルドラ』が不毛の大地であることを考えると食糧を求めた飢餓が原因と考えられるが──
スタンピード発生当日。中央都市をぐるりと囲む壁の上。シルフィは東側に立っていた。白の英雄としてあまりにも顔が知られてしまっている彼女は、騒ぎにならないようにフランベルと二人で西側の軍勢を担当している。……のだが、フランベルの提案で東側へとやってきていた。
「『東で索敵をして、ヴィルレイグさんと協力してください』……って……」
彼女の固有魔術『鑑定至』は、直接的に戦闘に向いている魔術ではない。敵の解析や、その他情報を抜き取ることに関しては最高の性能を誇るが、逆に言えば運用はそれに絞られる。
「東軍の指揮を執れ……ってことだろうなぁ」
俯瞰して状況を確認できるこの状況。『鑑定至』も有効に使える。多少負荷はかかるが、『念話』でヴィルレイグに伝達もできる。一万の大群をたった一人の魔術師に任せることにはなるが、これで東側にかなりのリソースを割くことが出来た。最強の戦士に、情報戦なら百戦錬磨の白の英雄。よほどのことがなければ順調に立ち回れるだろう。しかし……。
(裏を返せば、これだけの戦力が必要になると、フランベルは判断したということ)
今回東軍に配置されたのは、本来西にも配置されるはずだった人員も合わせて約三万人。この事実に、ヴィルレイグは歓喜の声を上げていた。ギリギリまで戦力をかき集めて、それでもなお四万人には届かなかったのだ。それを東西で分散させようとしていたのだから、絶望的だっただろう。それがわずかに希望を見いだせる配置になったのだから、喜ぶのも無理はない。
しかし、それでもまだ足りないのだ。勇者パーティが魔術師・聖女・戦士・勇者の四名で組んでいたように──魔物を比較的安全に狩るには一体に対して四人が適切。本来なら、十六万の一般兵がいてようやく勝負になる局面。
(それでも、この人たちは諦めていない)
壁の上からでも一望できる、兵士たちのその表情。一人とて、これが負け戦だと思っている者はいないようだった。その先頭には、誰よりも大きな背中がそびえ立つ。赤の英雄、ヴィルレイグ・アイアス。紛れもない『ハルドラ』の戦士の象徴。
恐らく彼が執り行ったのだろう、冒険者や兵士の配置。『鑑定至』で見ても、適切であると鑑定結果が出力される。これから起こり得る未来を見通すには数が多すぎるが、それでもシルフィはある種の確信を抱いていた。
──負けない。
不思議なものだ。かの英雄は、英雄すら鼓舞する魔法のようなカリスマを持っている。
□□□
”厄災”と呼ばれた彼女は、西側の都市を守る壁の前。愛用の杖をついて、緩慢に歩いている。遥か遠くに見えるのは、魔物の大群。一直線に、かの”厄災”へと走り続ける。それがどれほど愚かしいことなのか、能のない彼奴らは知ることがない。
「わぁ、確かにヴィルレイグさんの言う通り、一万匹はくだらないですね、これは」
魔物の巻き上げる砂煙はさながら津波のように。揺らす大地は地震のように。響かせる足音は豪雨のように。それは紛れもなく大災害の一つであることを物語っていた。
「とてもわくわくしますね! 運動なんて久しぶりだから……」
”厄災”は柔らかに笑う。その真っ黒な瞳は、あらゆる光を映さない。すでに見えなくなった瞳に代わり、彼女の耳が音を拾う。豪雨のような足音に紛れる、大きな一つの足音。
スタンピード。魔物の大暴走。大規模になれば、必ず”ソレ”は発生する。知能の低い魔物に協調性や統率はないものの、その圧倒的な力と巨躯で、本能的に群れを従える存在──ヌシ。
まるで枯れ木が人型を成し、意思を持って動いているようなその魔物を”厄災”は捉えた。
「私、好きな食べ物は最初派なんですよね」
跳躍。いや、それは跳躍と呼ぶにはあまりにも早すぎる疾風。久方ぶりの、小さな高揚を胸に抱え、”厄災”はヌシの頭上を陣取る。未だ、魔力は感じない。かの英雄シルフィ・アルレッティすら絶賛した高難易度の魔術運用。それは、どの魔物にも悟られない究極の不意打ちになる。瞬間転移かと見紛う神速は、そのまま大地を穿つ。
──旋風が、戦場を掻き乱した。地面を抉り、瓦礫を纏った旋風はあらゆる肉を粉砕する。回転する風刃は全ての骨を断ち切る。”厄災”──その名に恥じない、地獄のような火蓋が切って落とされた。ヌシの討伐により、統率を失った魔物たちが阿鼻叫喚と地獄絵図を創り出す。
「さぁ、手早く終わらせて東側の支援に行きましょうか」
観測史上最大規模、四万匹のスタンピード。その内一万匹、中央都市西側での全魔物殲滅時間──八分四十秒。固有魔術の発動形跡は、なし。誰にも観測されなかったその記録は、人知れず刻まれた。
□□□
「──来た!」
魔物の大群の、第一波。『鑑定至』から数はそこまで多くない。一万にも満たない少数。しかし、戦士たちにとって距離が離れすぎている。『ハルドラ』は歴史的・地理的に魔術師が少ない。誰にでも身に着けられる剣術を学んだ歴史。隣国が魔術大国『アトラス』である背景から、遠距離に対処できる冒険者が極端に少ない。
だが、それすら関係ないといわんばかりに突き進む一筋の赤い光が見える。驚いて、シルフィは『鑑定至』を通してその人を確認する。
「──ハッ! この程度、すぐに蹴散らしてやるよ!」
ヴィルレイグだ。先陣を切って、彼が大群に切り込んでいる。身長よりも大きなその大剣を軽々と振り回し、体中から滲み出るような赤い霧を吹きちらしていた。『鑑定至』の結果──過剰な身体能力の強化。誰でも扱いやすい身体強化魔術を限界以上に重ね掛けして、身体を壊しながら全力を出す諸刃の剣。赤い霧は血が蒸発して吹き出ているものだ。本来短期決戦で使われる戦士の奥の手。なぜこんなに早く……!? そう思っても、予断は許されない。
「これじゃ、長くは保たない……!」
シルフィは慌てて『鑑定至』を全開にする。西側はフランベルが一万匹を相手しているのだ。それに応えるように、シルフィも万人力の術式運用をする。
恐らく最初に寄越された魔物たちは小手調べのようなものだろう。ヴィルレイグが羽虫を潰すかのように切り払う様子を見ると、まだまだ序の口らしい。
「けど、こんな”戦略”らしいことをしてくるってことは──」
集中力を高め、さらに遠方へと術式範囲を拡大。いくら魔力回路が生きているとは言え、その負荷でシルフィの目尻から血が溢れる。しかし、捉えた。魔物の大群の最奥。そこに鎮座する大きな一体の魔物。大蜘蛛にヘビが絡みついたかのようなグロテスクな見た目。『鑑定至』の結果を確認せずともわかる、魔物のヌシ。
統率を担っている魔物軍の要──! すぐさまシルフィは『念話』による伝達を行う。
『ヴィルレイグさん!』
「あ!? なんだ、この声!」
『シルフィです! 東の敵軍にて情報を──』
「お前は西担当だろう! なんで東の情報を知ってる!?」
『フランの提案です!』
「持ち場に戻れ──」
『私一人で大丈夫だから』
ヴィルレイグは、その言葉がフランベルから借りたものだとすぐに直感する。だからこそ、すぐに思考を改める。“厄災”──誰もが知るおとぎ話に出てくるような、魔王を超える災厄。彼女なら、一人でも──。
「……それで、何がわかった」
『北東方面最奥にて、ヌシを補足しました! クモ型のモンスターで、物理的な攻撃に耐性があるようです』
「やっぱりヌシが居たか」
『二体……いると思います』
『念話』の先で、ヴィルレイグが重苦しい声を漏らす。シルフィも、ヴィルレイグも予感はしていた。あまりにも大規模な魔物の軍勢。その統率を担っているヌシがいるのはもちろん、東軍三万体を束ねるのは、恐らく二柱必要であると。
そして問題になるのは、『鑑定至』に反応がないことだ。その事実に、シルフィは安易な判断を下さない。勇者パーティ時代に培った経験が、彼女の推察をより洗練する。
(確実に、二体いる。それでも見つからないのは、相手が巧妙な手練れだから。それに、小手調べかのように第一波は弱い魔物が多かった。明確な意思を感じられる……可能性としては──)
『念話』越しに、二人の声が重なる。
『「魔族──!」』
本能ばかりで動く魔物とは違い、魔族は人型に近く高い知能を有している。シルフィがこのスタンピードに参加していることを事前に知っているのなら、長距離の『鑑定至』から逃れるのは容易い。
『……ひとまず、私はクモ型のヌシに対処します。アレは、魔術じゃないと殺せない』
「ダメだ! お前ほど優秀なオペレーターは居ない。このまま軍の指揮を執れ」
『でも!』
「物理耐性が高いだの、知ったことじゃねぇ。所詮、体表が硬いだの、そういうことだろ」
ヴィルレイグは、不敵に笑う。気づけば、彼の周りには魔物一匹すら居なくなっていた。その大剣による、圧倒的なまでの殺戮。なすすべのない、暴力の押し付け。赤の英雄は、なおも血を霧状に噴き出す。一体、どれほどその状態を保つことができるのか。だが、それだけの力を持っているのなら、耐性を貫通して討伐できるかもしれない。
シルフィがそう思ったのも束の間、ヴィルレイグは北東方面へと駆け出した。魔物を切り捨てながらの直進。まずい。シルフィは指揮を執る。
『北側! 正面と南側を除いて残りの全軍ヴィルレイグさんのサポートに回ってください! 残党から挟撃されれば彼でも致命傷になり得ます!』
大規模な『念話』により、全軍に通達する。確かに、ヌシを倒せば統率が崩れ戦いやすくなる。親玉から叩こうとする彼の判断は間違っていない。
(それでも、少しくらい言ってから動いてよ──!)
『念話』の大規模運用により、シルフィはめまいを覚える。吐き気に引っ張られ、地面に膝と手をつく。まだ、彼女の役割は終わっていない。全軍の指揮を執るのは、あまり気にしなくて良い。そもそも最初の配置が完璧に近かったのだ。やるべきは──恐らく潜伏しているだろう魔族を発見すること。
「……待ってよ」
どうにか顔を上げて、戦況を確認する……が、シルフィはその光景に顔を歪ませる。ああ、最悪だ。小さく呟いた。彼女は、判断を大きく改める。全軍の指揮を、精密に手繰る必要が出てきてしまった。
──全ての魔物が、ヴィルレイグを追う形に進路を変更した。それも、同時に。
(これの意味するところはつまり──)
三万匹の魔物の統率者は、そう、魔族たった一体によるものだ。あのクモ型の魔物はヌシでもなんでもない、ただの大きな魔物。どうしてか、魔族はこの戦況を把握している。早く見つけ出さなければ、とシルフィは再度『鑑定至』を全開にする。
この場にいる魔物の統率を魔族一体が担っているとするなら、ヴィルレイグがクモ型魔物を討伐したとして、後続の勢いは衰えない。先程言ったように挟撃される形になり、彼は圧倒的な物量差で圧し潰される。
早く、早く見つけ出せ。そうでなくては、英雄が死ぬ。『ハルドラ』の戦士の象徴、その一人が死ぬ。それがどれだけ残酷なことなのか、シルフィにはわからない。だって、彼女は英雄なのだから。英雄には、英雄を失った国民の気持ちは推し量れない。
「間に合え……!」
それでも、憧れを失う気持ちは知っていた。かつて愛し、尊敬し、守られた勇者が死んだ。シルフィは、その痛みを知っている。気づかぬ内に、『鑑定至』と並行して多種多様な魔術を行使していた。超広範囲の魔力探知、風属性魔術による空気の流れの探知、土属性魔術による地面の振動。あらゆる情報を逃さない。シルフィは、口に広がる血の味を噛み締める。
小説はかれこれ七年くらい書いていて、イラストもそこそこ楽しめるようになってきたので音楽理論を学び始めました。そろそろ作曲に取り掛かろうと思います。




