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植物博士モチオののんびり遺跡フィールドワーク ~歌姫カリーナと二人の木の精霊に囲まれて、伝説の果実を育てることになりました~  作者: ゆうぎり
第5話:観察小屋の朝ごはんと、消えた霧

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消えた霧の検証

 朝食を終えたモチオくんは、一ドロップの残り火も無駄にしないよう、手慣れた手つきでストーブの空気窓を絞り、火を落としました。


 そして、壁に掛けてあった使い古した革の肩掛け鞄を「よっこいしょ」と担ぎ上げます。


 その中には、長年の相棒である自作の真鍮製湿度計。

 光の屈折から微細な魔力の揺らぎを捉えるプリズム定規。

 そして何よりも大切な「観察日誌」が、一グレインの隙間もなく整然と詰め込まれていました。


「ちょっと外を見てくるよ」


 モチオくんは振り返ります。


「この『透明な世界』の正体、一節いっせつの間にでも突き止めないと落ち着かなくてね。ことわりが揺らぐ音を、この耳が拾ってしまっているんだ」


「もう、博士ってば」


 カリーナちゃんが笑いました。


「パンの粉を服にこぼしたままよ。ちゃんと払ってから行きなさいな」


 そう言って、モチオくんの背中を「ぽん」と景気よく叩きます。


 その手の温もりが、冷え込み始めた外気へ向かうモチオくんの背中を、微かに、けれど確かに支えていました。


 分厚い木製の扉を開けた瞬間――


 モチオくんを包み込んだのは、物理的な衝撃を伴うほどの静寂でした。


 本来、萌芽ほうがの月の森は湿り気を帯びた空気に満ちています。

 遠くの鳥の声や風のざわめきも、「ぽわん」と柔らかく丸まって聞こえる。


 それが、この季節のアイレックスの森の日常でした。


 ところが今。


 モチオくんが一歩踏み出したとき――


 靴底が枯れ葉を踏む「カサリ」という乾いた音が、

 まるで巨大な石造りの大聖堂の中で鐘を鳴らしたかのように、森の奥深くまで明瞭に響き渡ったのです。


「……信じられないな」


 モチオくんは足を止めました。


 真鍮の湿度計を覗き込みます。


「湿度が……マイナス・マイナス・ゼロ? 数値が底を突いている」


 針は、見たこともない極端な数値を指していました。


 この空間には、一ドロップの水分さえ存在しない。

 完全な「乾き」が支配していると告げています。


 モチオくんはその場にしゃがみ込み、

 一グレインの土を慎重に指先で掬い上げました。


「土壌の含水率も急激に低下している」


 指先の土を見つめます。


「一節の間に、何かに吸い上げられたかのような乾き方だ」


 しかし、すぐに首をかしげました。


「……でも不思議だね」


 目の前の巨木――ブナの幹に手を触れます。


「周囲の植物たちが萎れているわけじゃない。むしろ、その逆だ」


 モチオくんは樹皮を「そっ」となぞりました。


 そこには、普段なら見えないはずの光景がありました。


 微細で銀色の光の筋。


 それが、木の内部を脈打つように走っていたのです。


 まるで、新しい血液が木々の隅々まで流れているかのような、力強い拍動でした。


(理屈で言えば、水分という媒体がなければ生命の代謝は維持できない)


 モチオくんは考えます。


(けれど今のこの森は、水分という古い媒体を介さずに、もっと純粋で、もっと根源的な『何か』で満たされている)


 森を見渡しました。


(……まるで森全体が巨大な肺になって、一節ごとに天からの光を吸い込んでいるみたいだ)


 モチオくんの観察機器は、一貫して「異常」を示し続けています。


 気圧の変動。

 魔力密度の偏り。


 客観的なデータだけ見れば、この森は崩壊の危機にあるようにも思えました。


 けれど――


 モチオくんの肌が感じているものは違いました。


 未知への期待。

 そして、生理的な恐怖。


 その二つが混ざり合った、魂の震えでした。


「モチオ」


 静かな声がしました。


「そこから先は気をつけて」


 いつの間にか、アイベリーちゃんが隣に降り立っていました。


 深い翠色の瞳で、森の奥をじっと見つめています。


「……霧が消えたんじゃないわ」


 彼女は小さく言いました。


「これは、もっと別の事象よ」


 モチオくんは振り返ります。


「別の事象?」


 アイベリーちゃんは森の奥を指さしました。


「霧はね、道を譲ったの」


「もっと強い、もっと純粋な『光の意志』が、この地を通り抜けるために」


 静かな声でした。


「森の精霊たちはみんな息を殺して、その“あるじ”が通る道を整えているのよ」


「光の意志……?」


 モチオくんは眉をひそめます。


「それが森中の水分を追いやったというのかい?」


 その瞬間でした。


 一節の間だけ――


 森の最深部から、黄金色の「ゆらぎ」が風に乗って流れてきました。


 それは目に見える波となり、静かに森を通り抜けます。


 頬を撫でるほどの、やさしい風。


 けれどそこに含まれる魔力波長は――


 昨夜、彼らが授けたばかりの名前。


 星瞬草セイシュンソウ


 その瞬きと、一グレインの狂いもなく共鳴していました。


「……星瞬草の、残り香?」


 モチオくんは息を呑みます。


「いや……これは個体を超えた広域共鳴現象か……!」


 震える手で観察日誌を開き、走り書きをしました。


 霧が自然現象として消えたのではない。


 星瞬草という「名前」を得たあの光が、

 森の古く重たい法則を、一ドロップずつ丁寧に書き換え始めている。


 その圧倒的なことわりの変転を前にして――


 モチオくんの心臓は激しく脈打ちました。


 既存の知識を失う恐怖。


 けれどそれを遥かに上回る、

 新しい真理へのわくわく。


 胸の奥で「どきんどきん」と鳴り続けていたのでした。

調査ログ:補足事項


【物理の理】


一ドロップ:空気中に漂う霧粒一つ分の水量。本来なら森の空気を満たしているはずの、潤いの最小単位。


一グレイン:モチオくんが掬い上げた土の粒。乾いているのに、まだ命の熱を残している重さ。


一リーグ:霧が消えたことで、視線が届いてしまうようになった森の遠距離。


【刻の理】


一節いっせつ:黄金色の風が森を通り抜け、モチオくんが世界の変化を確信するまでの濃密な時間。

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