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植物博士モチオののんびり遺跡フィールドワーク ~歌姫カリーナと二人の木の精霊に囲まれて、伝説の果実を育てることになりました~  作者: ゆうぎり
第5話:観察小屋の朝ごはんと、消えた霧

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静かな食卓と透明な予感

 窓の外に広がる異様な透明感。

 そして数リーグ先まで見通せてしまう「剥き出しの世界」。


 その光景に困惑し、モチオくんが首を傾げていたその時でした。


 一節いっせつという極めて短い時間の間に、観察小屋の空気は、それまでの緊張感を塗り替えるように「ふわっ」と甘く香ばしい香りに包まれました。


 キッチンの方から漂ってくるのは、カリーナちゃんが使い込まれた鉄鍋で焼き上げたライ麦パンの香ばしい匂い。

 そしてアイベリーちゃんが今朝、庭先で摘んできたばかりのハーブを刻む、ツンと鼻をくすぐる清涼な香りです。


 その香りの粒子が、まるで目に見えない精霊たちの踊りのように、冷え切ったモチオくんの背中を優しく解きほぐしていきました。


「モチオ! いつまで窓に張り付いてるのよ」


 カリーナちゃんの元気な声がリビングに響きました。


「早く顔を洗ってきなさい。一ドロップのスープも残さないって約束したでしょ?」


「あ、ああ、今行くよ」


 モチオくんは弾かれたように答え、慌てて窓を閉めました。


 リビングの丸い木製テーブルの上には、職人の手で彫り出されたボウルが並んでいます。

 その中には、色鮮やかな野菜スープがなみなみと注がれていました。


 表面には、一晩寝かせたハーブオイルが一ドロップ。

 宝石のように美しく浮かんでいます。


「わーい! 朝ごはん、朝ごはん!」


 カリンベリーちゃんは、自分の背丈ほどもある木製スプーンを抱え込みながら、椅子の背もたれの上で「ぴょんぴょん」と跳ねていました。


 小さな羽音が、まるで小さな嵐のようにリビングをくるくる回ります。


「……おはよう、みんな」


 モチオくんが席につきながら言いました。


「なんだか今日は、すごく……『はっきり』した朝だね」


 そのときでした。


 アイベリーちゃんが、窓辺から星瞬草セイシュンソウの鉢を静かに持ってきました。


 慈しむような手つきで、テーブルの真ん中へ置きます。


「おはよう、モチオ」


 アイベリーちゃんは優しく微笑みました。


「……星瞬草も、とても気分が良さそうよ。昨夜、名前を呼んでもらえたのが、この子にとっては一グレインの栄養剤よりも力になったみたい」


 その名前が自然に口にされた瞬間。


 モチオくんの胸の奥に、昨夜の温かな記憶が「じわっ」と蘇りました。


「そうね」


 カリーナちゃんも笑います。


「星瞬草って呼ぶたびに、この子の葉っぱが『ぴくっ』て動くの。恥ずかしがってるみたいで面白いのよ」


 昨夜の劇的な名付けの儀式。

 それが今では、すっかり日常の会話の中に溶け込んでいました。


 星瞬草という小さな命は、一節の間に四人の絆の真ん中へ、しっかりと根を下ろしていたのです。


 モチオくんは、湯気の立つスープを一口「ずずっ」と啜りました。


 カボチャの濃厚な甘み。

 刻みたてのハーブの香り。


 その温かさが五臓六腑に染み渡り、冷え切っていた思考が少しずつ動き始めます。


 まるで夜明けの太陽のように。


「……それでね、みんな」


 モチオくんはスプーンを置きました。


「さっきから気になっていることがあるんだけど」


 少し間を置きます。


「霧が、ないんだ」


「霧?」


 カリーナちゃんは首をかしげました。


「ああ、そういえば今朝は窓を拭かなくて済んだわね。一ドロップの結露もなかったわ」


 しかしモチオくんは、真剣な眼差しで窓の外を見ました。


「いや、そんな単純な話じゃないんだよ」


 ゆっくり言います。


「萌芽の月のこの季節、アイレックスの森は朝露と霧で満たされている。それがこの森のことわりなんだ」


 窓の外を指さしました。


「それが一グレインも残らず消えてしまうなんて……」


 モチオくんは小さく息を吐きます。


「まるで森全体が、大きな変化を前にして息を止めているみたいなんだ」


 カリンベリーちゃんは、そんな空気を気にする様子もなく笑いました。


「えー? でも遠くまで見えるからいいじゃん!」


 椅子の背もたれの上でくるりと回ります。


「今日は数リーグ先まで探検に行こうよ!」


 しかし。


 アイベリーちゃんだけは、窓の外をじっと見つめていました。


 深い翠色の瞳が、透明な森の奥を探っています。


「……確かに」


 彼女は静かに言いました。


「森の声が、いつもより『響きすぎている』気がするわ」


 モチオくんが振り返ります。


 アイベリーちゃんは続けました。


「霧は、森の声を優しく包むヴェール」


 そして窓の外を見つめます。


「それが消えたということは……」


 声が少し低くなりました。


「見えてはいけないもの。あるいは、まだ見るべきではないものまで、この目に届いてしまうということかもしれない」


 温かな朝食のテーブルに。


 一節の短い、けれど重みのある沈黙が降りてきました。


 湯気の向こうで――


 星瞬草が朝日を浴びて「チカッ」と鋭く瞬きました。


 それはまるで。


 これから彼らが直面することになる、

 剥き出しになった世界の素顔を静かに予見しているかのようでした。

調査ログ:補足事項


【物理の理】


一ドロップ:スープに浮かぶハーブオイルの小さな一滴。あるいは、跡形もなく消え去った霧粒の最小単位。


一グレイン:パンからこぼれる小さな屑ほどの重さ。それほど微かな栄養よりも、名前という「絆」が星瞬草を強くした。


一リーグ:霧が消えたことで、手元にあるかのように見えてしまう森の遠距離。


【刻の理】


一節いっせつ:スープを啜り、言葉を選びながら次の会話を紡ぐまでの、静かな思索の時間。

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