プロローグ
私は、白鳥。
東京科学大学に籍を置く、電気工学専門の准教授だ。
今日は、大事な話をしたい。もしかすると、あなたの人生に関わる話かもしれない。
テーマは「やりたいことがない」だ。
この病は現代に蔓延している。就活生に多い。三十代にも、四十代にも、定年後の六十代にも感染者はいる。症状は似通っている。人生の選択肢の前に立ち尽くし、「やりたいという気持ちが、どうしても湧いてこない」と言う。頭では分かっている、動かなければならないと。しかしただ悩むばかりだ。
理由は、間違った順番で物事を考えているからだ。
まず、世間が広めた一つの嘘を潰しておく。
「やりたいことを見つけてから動け」という嘘だ。
漫画の主人公は使命感を持って生まれてくる。小説の主人公は運命に導かれるように動く。映画のヒーローは最初から目的を知っている。それらの物語は読者に受け入れやすいよう、あるいは物語の尺に収めるために、ある工程を丸ごとカットしている。主人公が「やりたいこと」に気づくまでの、地味で長い試行錯誤の時間だ。
あれは、フィクションだ。
語り口として優れた嘘だ。現実に適用しようとすると、壊滅的に機能しない。
真実はこうだ。
とりあえず、何かやる。すると、やりたいことが生まれる。この順番しか、存在しない。
やりたいことが先にあって、行動はそのあと、ではない。逆だ。行動が先で、やりたいことはあとからついてくる。ついてくる、どころではない。なだれ込んでくる。今まで見えていなかった扉が、次々と現れる。一つの体験が別の体験への入り口になり、気がついたら「やりたいことが多すぎて時間が足りない」という、まったく別の悩みに変わっている。
これが現実だ。
「やりたいことが見つからない」と言うなら、それはまだ動いていないからだ。頭の中だけで探しているからだ。スマホで答えを調べているからだ。体験する前に「自分に向いているか」を確認しようとしているからだ。処方箋は一つしかない。
とりあえず、やれ。
私は三十八年間、とりあえず何でもやってきた。電気工学をやった。論文を書いた。山に登った。楽器を始めた。釣りをした。株もやった。料理も始めた。写真も始めた。全部、最初からやりたかったわけじゃない。ただ目の前にあったから、あるいは誰かに誘われたから、とりあえずやった。そうしているうちに、気がついたら全部が「やりたいこと」になっていた。だから今、時間が足りない。一生かかっても、全部はできないかもしれない。
人生は、RPGに似ている。
ダンジョンに入ったとき、分岐がある。最短ルートを一本道で突き進むか、すべての分岐を確認するか。私は必ず後者だ。行き止まりでも確認する。宝箱が空でも確認する。最短ルートで来た道を、わざわざ引き返して「外れの道」を踏みに行く。正解の道が分かっていても、間違いの道を確かめに戻る。
なぜか。
過程が大切だからだ。その道中を楽しむためだ。
行き止まりの先に、思わぬ景色があることもある。空の宝箱が、後になって意味を持つこともある。「外れの道」を踏んだ記憶が、いつかの判断に影響することもある。最短ルートを選び続けた人間には、決して積み上がらない文脈というものがある。
すべての選択肢を総当たりしたい。すべての体験を手に入れたい。一秒一秒が惜しくてたまらない。
体は、一つしかない。
その動かしがたい事実が、私をある種の強迫観念に似た前向きさへと、毎朝毎晩駆り立てる。
もちろん、欲望というものがある。
人生を味わい尽くした先には、莫大な金が待っている。名声が待っている。これは予感ではなく、確信だ。すべての選択肢を体験し尽くした人間が、最終的に何も持っていないはずがない。行動の量が人生の密度を決め、密度の高い人生は必ず何かを生む。
だから、まず、やれ。
好奇心を持て。すべてにYESと言え。動いてから考えろ。頭の中で答えを探すな、体で答えを作れ。




