第8話 パン泥棒には、事情があった
レグニアがアーサー家に加わって、数日が経った。
ある夜、ケイスはレグニアと向き合って話し合っていた。
「神様から、この世界の人々を幸せにしてほしいと頼まれた」
「でも、俺にはどこから手をつければいいのかわからないんだよ」
「……私もわからないぞ」
「破壊するのは得意だが、ひとを幸せにする方法は見当がつかない」
「正直だね」
「事実だ」
ケイスはしばらく考えてから言った。
「まずは、民の暮らしや思い、この国の仕組みをきちんと知るところから始めたい」
「市場には、商人だけでなく、いろんなひとがいる」
「どんなことを思い、何に困っているのか? まずは、それを知りたい」
「……なるほど。それはお前に任せる」
「任せる、って」
「私はドラゴン。何千年も生きてきた。これといった外敵もいない」
「つまり、時間の感覚、ものの感じ方がまったく違う」
レグニアは少し間を置いた。
「だから、私はお前を守ることに集中する」
「そうだね、レグニア。それで充分だと思う」
「ひとの世は、ひとが正していくべきだよね」
***
翌朝、ミーナが玄関で二人を見送りながら言った。
「ケイス様、また市場を見に行くのですか?」
「……まあ、レグニア様がそばについていてくださるから、安心ですね」
「そのとおり。これ以上心強い護衛はいないよ」
レグニアが無言でうなずく。
ミーナはちらりとレグニアを見て、少し声を落とした。
「……ただ、相手が悪人だったとき、やりすぎないかが心配です」
レグニアが振り返った。
「やりすぎる前に終わる。問題はない」
ミーナのため息を背中で聞きながら、二人は屋敷を後にした。
***
屋敷を出て少し歩くと、通りで八百屋のおかみさんが手を振った。
「あら、幸運の坊っちゃん! 今日も来てくれたのかい!」
「おはようございます」
「今日も元気そうだねえ」
そのやり取りを聞いていたレグニアが、ちらりとケイスを見た。
「……幸運の坊っちゃん」
「そう呼ばれてるんだよ。市場のひとたちに」
「坊っちゃん、か」
レグニアはしばらくその言葉を転がすように黙っていた。
「……面白い呼び名だな」
「面白くはないよ。ちょっと恥ずかしいよ」
さらに歩くと、今度は肉屋のおじさんが大声で呼びかけた。
「幸運の坊っちゃん! 今日も来てくれたか! おかげで昨日は売り上げ倍だったぞ!」
「それは良かったです」
レグニアがまたケイスを見た。
「……坊っちゃん坊っちゃんと、みんな呼ぶな」
「うん、まあ……」
「ドラゴンである私が護衛している相手の呼び名が"坊っちゃん"か」
レグニアは少し間を置いてから、静かに言った。
「……悪くない」
「どこが?」
「なんとなく」
ケイスはその答えに苦笑しながら、市場への道を歩き続けた。
傍から見れば、十二歳のひとの良さそうな、ぽっちゃり少年と、十六歳の美しい娘。
街のごろつきが、ちょっかい出さなければいいのだが……
***
市場は今日も活気に満ちていた。
野菜、肉、魚、布、香辛料……色とりどりの品が並び、呼び込みの声が飛び交う。
熱気が道を埋め、人々の笑顔と生活の逞しさがあふれている。
ケイスは歩きながら、すれ違う人々の顔をひとりひとり見ていた。
楽しそうな顔、疲れた顔、心配そうな顔。
その全部が気になってしまう。
(この子、顔色が悪いな)
(このおじさん、荷物が重そうだ)
レグニアがちらりとケイスを見た。
「……お前、よくひとの顔ばかり見てるな」
「それしかできないからね」
ケイスは苦笑しながら答えた。
「一人ひとりに、この国の仕組みをどう思いますかとか、ご不満はありますか、とか聞いて周りたいところだけど、そんなことをしたら、どうなると思う?」
「ダメなのか?」
「不審な奴と思われて、逮捕されてしまうよ」
レグニアは少し考えた。
「そうか。やはり人間の国は面倒だな」
「そう。だから、毎日、市場を覗いて、日々の変化に気づいていくしかないんだよ」
「ケイス、お前が、国王になった方がいいんじゃないか?」
「そんなのなりたくないよ」
「のんびり暮らしたいからね」
「そうか」
そんなことを話しながら歩いていると、突然怒鳴り声が聞こえた。
***
「待てーっ! 泥棒だ! 誰か! 捕まえてくれー!」
怒鳴り声とともに、パンを抱えた男が人混みをかき分けて走ってくる。
その後ろから、店主らしき男が必死に追いすがる。
レグニアがケイスを見た。
「……どうする」
「泥棒にも、試してみたいな」
ケイスは走る男を見据え、心で念じた。
『不運60%』
直後、男は石につまずき、派手に転倒した。
パンが地面に散らばり、追いついた店主が腕をねじり上げる。
「このまま衛兵に突き出してやる!」
だが泥だらけの顔を上げた男は、必死の形相で呟いた。
「子供に……食べさせるパンがないんです……どうか……」
その一言で、ケイスの表情が変わった。
ケイスはパン屋の店主へ歩み寄った。
店主はケイスの顔を見た瞬間、表情が変わった。
「あ……幸運の坊っちゃんじゃないか」
店主はしばらく男を見てから、ため息をついた。
「坊っちゃんが来てくれたんだ。今日はきっといいことがありそうだ」
「仕方ない。代金はいらないよ。その代わり、もうやるなよ!」
男を解放しながら、店主は上機嫌で店に戻っていった。
***
「少し、お話を聞かせてもらえませんか?」
ケイスは、地面に散らばってしまったパンを急いで集めている男に視線を落とした。
男は俯いたまま口を開いた。
「本当に、ありがとうございました」
「……私が不甲斐ないせいで、家族に食べさせるものがなくて……」
「もとは、この王都で薬屋をやっていました。商売も順調だったのですよ」
「騙されるまでは……」
男は悔しそうな顔をする。
(誰かに騙された被害者なのかもしれないな)
男の運のバランスを、幸運50%・不運50%のニュートラルにそっと調整しておいた。
「住んでいる場所へ案内してくれませんか」
男が素直に頷く。
「ちょっと待っててください」
ケイスはパン屋に走り、数種類のパンを大きな袋に二つ分詰めてもらい、男のところへ戻った。
そして、その袋を男に差し出した。
男は再び頭を下げ、自分の家の方に歩き始めた。
ケイスとレグニアは、黙って男の後ろについて行った。




