第6話 黒竜は、少女の姿をしていた
ケイス・アーサーが転生してから、最初の春のことだった。
この旅で、ケイスは生まれて初めてドラゴンと出会うことになる。
もっとも、その時はまだ、そんなことは知る由もなかったが。
「ケイス、今年はラゼルの巡視に一緒に来てくれないか」
「将来、お前が継ぐ領地だ。自分の目でよく見ておいてほしい」
父がそう言ったのは、朝食の席だった。
(ラゼルに行ける! 王都の外が見れる!)
ケイスは思わず顔が明るくなった。
王都の外に出るのは、物心ついてから初めてなのだ。
「行きます! ぜひ行きます!」
「そんなにうれしいのか」
父が珍しく口元を緩めた。
リリィが羨ましそうに声を上げる。
「私も行きたいわ!」
「リリィはまだ小さい。次の機会にな」
「ずるい……」
母リリアがリリィをなだめながら、ケイスに微笑んだ。
「道中、気をつけてね。ミーナ、支度を手伝ってあげて」
「かしこまりました」
ミーナはいつも通り表情を変えなかったが、ケイスの荷物を誰よりも丁寧に準備してくれた。
***
出発は翌朝。
食料と商品を積んだ荷馬車に、父と護衛二人、それにケイスを加えた総勢五人の旅路が始まった。
王都を出ると、道は緑に包まれた。
顔に当たる風が気持ちいい。
鳥の声がする。
馬車が、ゴトゴトとリズムを刻む。
(のどかだな。のんびりとは、こういうやつか)
ケイスは荷台に座って、流れていく景色をぼんやりと眺めていた。
たくさんのひとが行き交う王都の市場も好きだが、こういうのも悪くない。
道中、父はラゼルのことをいろいろ話してくれた。
小さな村だが、土地のひとたちは真面目で働き者。
毎年秋には麦が実るが、近年は収穫が少し減ってきている。
理由はまだわからない。
領主として、そのあたりを確認して、きちんと対策を立てたい。
「父上は、領民たちのことをよく気にかけているのですね」
「当たり前のことだぞ」
「あのひとたちが豊かでなければ、我々も豊かになれない」
「それ以上に、領主には民を守る責任がある」
父の横顔は、いつもより少し真剣だった。
(そういう顔、かっこいいな)
ケイスはそう思いながら、うんうんと頷いた。
***
ラゼルの村に着いたのは、昼過ぎだった。
小さな村だった。
茅葺き屋根の家が十数軒、畑の中に点在している。
村人たちは父の姿を見ると、笑顔で駆け寄ってきた。
「男爵様、よくいらしてくださいました」
「今年も巡視においでいただけて、ありがたいことです」
父は一人ひとりに丁寧に声をかけながら、村の中を歩いた。
ケイスもその後ろをついて歩く。
畑を見ると、麦の育ちが悪い場所が目立った。
土が固く、水はけも良くない。
「ここ数年、どうも収穫が落ちていて……」
村の長老が申し訳なさそうに言った。
「土地が疲れているのか、雨が少ないのか、原因がよくわからないんです」
父は畑にしゃがみ込んで、土を手で触った。
しばらく考えてから立ち上がる。
「来年の種まきまでに、土の改良を試してみよう」
「詳しい者を呼んで、一緒に考えることにする」
長老の目が、ぱっと明るくなった。
「ありがとうございます、男爵様」
(父上は、ちゃんと領民の暮らしに、向き合っているんだな)
ケイスは畑の土を見ながら、ぼんやりと思った。
(運スキルで、作物の育ちを良くすることはできるだろうか)
(不作の村に、豊作の幸運をもたらすことができたらいいのに)
でも、うまくできるか試したことがないからな。
今回はやめておこう。
数日間、村人とともに状況を確認し、ラゼルの村を後にした。
***
事件は、昼を過ぎた頃に起きた。
森の街道に差し掛かったとき、木々の陰から人影が飛び出してきた。
「積み荷をよこせ!」
「怪我をしたくなければ、抵抗するんじゃないぞ!」
盗賊だった。
十人以上が一斉に飛び出してくる。
護衛二人が即座に応戦したが、数が違いすぎる。
父は、剣を抜いて先頭に出る。
後ろを見て大声で叫ぶ。
「ケイス、馬車から絶対に離れるなよ!」
「はい!」
ケイスは荷台の隅に身を縮めた。
盗賊の一人が斧を手に、ケイスへ向かって突進してくる。
人質にしようと思っているようだ。
父がとっさに、その男の腹に蹴りを入れる。
男がよろけ、斧を振り下ろそうとした手から、斧が離れた。
その斧が、くるくると回転しながらケイスへ向かって飛んでくる。
(え……!)
(転生したばかりなのに、もう終わり?)
体が固まって、動けない。
次の瞬間、影が飛び込んできた。
飛んでくる斧の柄を、片手でつかむ。
「その子に手を出すな」
低く、冷たく、重い声だった。
ケイスは目を疑った。
そこに立っていたのは、十六歳くらいの娘だった。
だが次の瞬間、ケイスの脳裏には娘の姿と別の姿が重なって見えていた。
黒い鱗をまとった、巨大な竜の姿が。
(……ドラゴン?)
(本物の、ドラゴン?)
恐怖が来るよりも先に、ケイスの胸に込み上げてきたのは、不思議な高揚感だった。
(異世界に来たんだな……本当に)
(ドラゴンがいるんだ。本当に存在するんだ)
盗賊たちも同じものが見えていたらしく、顔が蒼白になっていた。
「ド、ドラゴン……っ!?」
「怯えるな! 良く見ろ!」
「ただの小娘だ。囲んで討ち取れ!」
頭目らしき男が怒鳴りつけると、盗賊三人が一斉に突っ込んだ。
刃が閃いた瞬間、漆黒の大剣が弧を描いた。
甲高い金属音が響き、三人の武器が宙を舞う。
気がつけば、地面に叩きつけられた盗賊たちは、起き上がる気力もなかった。
娘に向けて、後ろから数本の矢が放たれる。
大剣の一振りで、刃から迸った黒い閃光が矢を塵に変えていく。
残りの盗賊は戦意を喪失して総崩れ。
我先にと森の奥へ逃げ込み、その姿はあっという間に闇に消えていった。
父も、護衛も、ケイスも、その様子をただ見ているだけだった。
やがて、娘が纏う闘気が消えていくとともに、森の静寂が戻ってきた。
ケイスは改めて、娘の姿を見つめた。
竜の気配は消えていた。
そこにいるのは、一人の娘だ。
浅く日焼けした肌に、夜空を流したような銀髪が肩まで流れている。
切れ長の、ルビーのような赤い瞳。光の当たり方によってはわずかに金色を帯びる。
身にまとっているのは、動きやすさを重視した濃紺の衣だった。
細身だが丈夫そうな生地で、腰には細いベルトが巻かれている。
袖は肘まで折り返されていて、無駄がない。
華やかさとは無縁だが、それがかえって凛とした美しさを際立たせていた。
均整のとれた体つきで、立っているだけで周囲の空気が締まる。
美しいのに、近づきがたい。
(なぜ……ドラゴンが娘の姿をしているんだろう)
不思議だった。
だがそれ以上に、ケイスの胸の中に静かな感動が広がっていた。
(ここは異世界なんだな)
(ドラゴンが娘の姿をして、森の街道に現れる)
(そういう世界に、俺は来たんだな)
前世では絶対にあり得なかったことが、当たり前のように起きている。
のんびり暮らしたいと思っていたけれど、こういうのは悪くない。
むしろ、少し、わくわくしていた。




