第37話 それしか方法がなかった
どうしようかと迷ったが、俺は縛り上げた隊長に向かってスキルを発動した。
『不運70%』
それから隊長を見据えて言った。
「気絶している仲間を馬車に乗せて、街へ帰れ」
隊長は震えながら何度も頷き、倒れた仲間たちを一人ずつ引きずって馬車の荷台に乗せていく。その作業中にも足を踏み外したり、荷台の縁に頭をぶつけたりと、散々な有様だった。
全員を乗せ終えると、隊長は御者台によじ登り、馬を走らせて去っていった。
俺はその馬車の後ろ姿を見送りながら、静かに息を吐いた。
(不運70%をかけたままだ。街までたどり着けるかどうか……まあ、それくらいの苦労は自分で引き受けてもらうしかない)
(今までやってきたことの償いには、到底ならないけどな)
馬車は砂煙を上げながら、道の向こうへと消えていった。
***
ロザミール侯爵とその一派が失脚し、第二王子も廃嫡された今、次は自分たちの番だとフェルステッド侯爵は判断したのだろう。
ここぞとばかりに、第三王子を後継にするための賄賂攻勢を仕掛けているわけだ。
フェルステッド侯爵に従う派閥の貴族たちも、資金をせっせと上納しているに違いない。そして当然、自分たちの領内でも同じように、無理な徴税と搾取が横行しているはずだ。
(父上が侯爵に昇進して、あの派閥から抜け出せたのは本当に良かった。そうでなければ、上納を強要されていたことだろう)
見渡す限りの荒れ地が広がっている。
領民が土地を捨て、森へ逃げ、盗賊になるしかなかった土地だ。
その代償として手に入れようとしているのが、第二王子と似たり寄ったりの第三王子が王になることだと聞けば、悲しみを通り越して、虚しくなる。
(グレイス王……子供の教育を、もう少し真剣にやっておいてくれ)
(そんなだから、私利私欲しか頭にない貴族に足元を見られるんだ)
***
さて、どうするか。
このまま王都に戻り、レオナ王女に報告するべきか。
しかしそれだけでは情報が足りない。
農地を捨てた農民たちの声を、直接聞く必要があるはずだ。
それに――兵を追い返した以上、この老人をここに置いていくわけにはいかない。
新手が来れば、今度こそ助からない。
「このまま村に留まるのは危険です。新手の兵がまたやって来るかもしれない」
俺は老人に向き直った。
「これから森に逃げた方たちの話を聞きに行こうと思っています。よければ、一緒に来ませんか」
老人はしばらく黙っていた。
それから深く息を吐き、しわだらけの顔が静かにほころんだ。
「……そうしてもらえたら、ありがたい。もう一度、孫の顔を見たくなった」
「お孫さんが森にいるんですね。案内していただけますか」
「ああ。案内しよう」
老人は杖を握り直し、ゆっくりと立ち上がった。
***
老人の導きで、俺たちは森の奥へと進んだ。
木々が鬱蒼と茂り、枝葉が太陽を遮って昼なお暗い。
鳥の声も少なく、聞こえるのは足音と、風に揺れる葉擦れだけだった。
(この森の深さなら、外の世界から身を隠すことはできる。だが、暮らしていくのは並大抵ではないはずだ)
やがて、背筋に冷たいものが走った。
複数の視線を感じる。
「レグニア……囲まれているか」
「ああ。ただ、殺意はそれほどない」
木陰から、弓や農具を手にした人影が現れた。
泥と汗にまみれ、疲れ果てた顔をしている。しかしその目は鋭く、こちらを警戒していた。
「誰だ。何の用だ」
緊張が走った。
老人を連れてきたのは正解だったか。それとも――。
「おじいちゃん!」
甲高い声が、森の空気を破った。
駆け寄ってきた少女が、老人に飛びつくように抱きついた。
老人は一瞬体を揺らし、それから震える手でそっと少女の頭を撫でた。
「……心配をかけたな。もう一度、会えてよかった」
その声が、かすかに震えていた。
農民たちの表情が、ほどけるように変わった。
鋭かった目から、警戒の色が消えていく。
「……生きていたのか。本当に……」
誰かが、そう呟いた。
その言葉がきっかけになったように、農民たちが俺たちの前に歩み出てきた。
俺たちはそのまま彼らの案内で、森の奥にある隠れ家へと足を踏み入れた。
***
木々に覆われた開けた場所に、粗末ながらも工夫を凝らした小屋が立ち並んでいた。木材と布を組み合わせた簡易の住居。
火を焚いた跡があり、煙が細く立ち上っている。
粗末ではあるが、ここが彼らの生き延びるための拠点なのだ。
「この集落の位置を探りに来た兵士に、殺されかけたところを助けてもらったのだ」
老人の言葉に、孫娘とその両親が深々と頭を下げた。
「親の命を救っていただき、ありがとうございました」
「私たちはレオナ王女に頼まれ、フェルデリア領の実情を調査しにきました」
「レオナ王女が……!」
農民たちがざわめいた。
「王女ならば我らを救ってくださるかもしれない」
「だが、ロザミール侯爵に殺されかけたとも聞いたぞ」
「王女が首を突っ込めば、命が危ない」
「ロザミール侯爵を失脚させたのは、私たちです」
静かに告げると、周囲がどよめいた。
「では……大勢の刺客から王女を守ったというのは……」
「それはこのレグニアです。私の護衛です」
「弱い刺客だったからな。大したことはなかったぞ」
レグニアが横を向いた。
照れているのだろう。
珍しい。
「おじいさんを襲った兵士の隊長から話を聞きました。フェルステッド侯爵が第三王子を後継にするため、農民や商人に重税を課して賄賂の資金を捻出していると」
「あなたたちが見てきたことを、もっと詳しく聞かせていただけますか」
農民たちは顔を見合わせた。
しばらく沈黙が続いた。
やがて、一人が口を開いた。
「徴税官と兵士が畑を見回り、収穫した作物をすべて持っていくのです。税率も何も関係ない。畑には何も残りません」
別の農民が続けた。
「抵抗すれば村ごと焼かれます。実際に焼かれた村を、この目で見た者もここにいます」
声が重なるように、次の者が口を開いた。
「街でも同じです。商人の店先から、税と称して商品を持ち去る。文句を言えば投獄だ。逆らえる者など、誰もいない」
しばらく誰も話さなかった。それから、苦々しい声が上がった。
「そのうち兵たちは好き勝手に金を巻き上げるようになりました。もはや税ではなく、強盗です」
最後に、若い男が絞り出すように言った。
「生きていけなくなった私たちは、森に逃げるしかなかった。だが森には食べ物がない。仕方なく商人隊を囲んで、商品を少し分けてもらうようになりました。ケガをさせたことは一度もありません。ただ……それしか方法がなかったのです」
誰も、言い訳をしなかった。
自分たちがしてきたことを、ただ、そのまま話した。
語られる言葉は、どれも重かった。
彼らは盗賊ではない。
ただ生き延びるために、そうするしかなかったのだ。
焚き火の煙が細く立ち昇る中、俺はただ黙って耳を傾けた。
フェルデリア領で何が起きているのか、その全貌が、静かに明らかになっていく。
(これを、レオナ王女にどう伝えるか)
(そして、どう動いてもらうか)




