第35話 フェルデリア領の隠密調査
翌日――。
俺はレグニアと共に、レオナ王女のもとへ向かっていた。
(白鷲宮でお茶を飲んでいるようなひとではない。どうせ騎士団本部で剣を振り回しているはずだ)
案の定だった。
稽古場の扉を開けると、王女が剣を振るっていた。
額に汗を光らせ、舞うように足を運びながら、全身で剣を振り切る。
無駄のない動きだった。
「……やっぱりここでしたね」
声に気づいた王女が振り向き、こちらを見てタオルを手に取りながら駆け寄ってくる。
息を弾ませ、頬を紅く染めたその姿は、誰が見ても目を奪われるものがあった。
「ケイス! 書類の件では本当に助かったわ。騎士団がどれだけ救われたか……ありがとう」
「王女の友として当然のことです」
俺は答えた。
「今日は別件で参りました。できれば騎士団長にも同席していただきたいのですが」
王女の目が輝いた。
冒険譚の続きを待つ子供のような顔だった。
一方、騎士団長グレンの顔には「面倒ごとだけはご勘弁を」と書いてあった。
「実は――付き合いのある商人から、最近、野盗の数が急増しているという話を聞きました」
俺はガルドがまとめた被害一覧を差し出した。
***
レオナ王女は目を通した途端、鋭く目を見開いた。
「な……これは! 被害件数が多すぎます! 由々しき事態ですよ!」
騎士団長も息を呑んだ。
王女が今にも剣を手に飛び出しそうな勢いだったので、俺とグレンは慌てて両手を広げて前に立ちはだかった。
(落ち着いてくれ、頼む)
「レオナ王女、まず最後まで聞いてください」
「商人たちは野盗の数が多すぎて商隊を出すのを止め始めています。このままでは王都に物資が届かなくなり、市民の暮らしにも影響が出るでしょう」
「……つまり、野盗の数が尋常ではなく増えているということね」
「はい。そして、被害の大半がフェルステッド侯爵の治めるフェルデリア領で起きています」
俺は父の言葉をそのまま伝えた。
「父が言っていました。誰も好き好んで野盗にはならない。つまり、その領地で暮らしていけなくなった者が増えているということだ、と」
「だからこそ、盗賊を討つにせよ何をするにせよ、まずフェルデリア領の実情を調べる必要があります。そのうえで対処を考えるべきです。前回のように危ない目に遭うのは、避けなければなりません」
レオナ王女は拳を握りしめていたが、やがて静かに頷いた。
「……そうね。情報が不十分なまま動くのは軽率だわ」
隣でグレンが、深く、本当に深く息を吐いた。
(止まった……王女が、止まってくれた)
「ケイス殿のおっしゃる通りです。まずは徹底した調査が必要かと」
「ではケイス、どうやって調べるの?」
「私とレグニアで、旅人に扮してフェルデリア領へ向かいます」
「なら私も――」
「ダメです」
俺は即座に遮った。
「王女が出向けば領内が大騒ぎになります。危険も増します。私たちだけで隠密に調べて、すぐ戻ります。待っていてください」
レオナ王女は歯を食いしばった。
しかしやがて、ゆっくりと肩を落とした。
「……わかった。ケイスに任せるわ」
グレンが目を丸くした。
声には出さなかったが、その顔が全てを語っていた。
(王女が……他人の意見を受け入れた……)
***
侯爵邸に戻り、父に隠密調査の件を話した。
予想通り、父は難しい顔をした。
しかしレグニアが護衛につくことを繰り返し伝えると、やがて重い口を開いた。
「……わかった。だが、無茶はするな」
(レグニアがいなければ、絶対に許してもらえなかっただろう)
さっそく、俺は旅の準備を整え始めた。
馬車を一台用意し、食料と水を積み込む。
荷台には商品に見せかけた箱もいくつか並べておいた。
旅人というより、行商人の風体だ。
***
出発の朝、玄関に家族が揃って出てきた。
「危なそうだったら、すぐ帰ってくるのよ」
母の声に、隠しきれない不安がにじんでいた。
「大丈夫。戦いに行くわけじゃないから」
俺とレグニアは王都を出発した。
ただ、十五歳の少年と少女が二人きりで旅をしていれば、軽く見られて絡まれるのは目に見えている。
そこで俺はレグニアに頼み、屈強な中年男性に見えるゴーレムを一体作ってもらった。名付けて、ゴーレムおじさんだ。
そのゴーレムおじさんを御者の席に据え、大柄な父親が子供たちを連れて行商の旅をしているように見せかけることにした。
***
馬車は進む。
フェルデリア領までは、まだ距離がある。
単調な道が続く中、やがて右手に深い森が見えてきた。
俺はふと思ったことを口にした。
「レグニア、この世界の魔物って、どのあたりに棲んでいるんだろう」
「大きな森には必ずといっていいほどいるぞ。あの森にも、おそらくな」
「……俺のスキル、魔物にも通じるかな?」
レグニアがちらりとこちらを見た。
「ちょうどいい機会だ。試してみるか」
俺たちは馬車を止め、ゴーレムおじさんに待機を言い含めてから、森の奥へと踏み込んだ。
やがて木々がざわめき、異様な気配が漂った。
黒い影が音もなく現れ、俺たちの前に姿を現す。
「……あれが魔物?」
巨大な狼のような姿だった。
しかし目は赤く爛々と光り、皮膚は鱗のように硬質で、口元からは赤黒い炎がちらちらと漏れている。
地を踏む足音ひとつで、地面が微かに揺れた。
「少し強力な魔物が来てしまったな。止めておくか?」
「魔物相手だ。不運100%を試してみる。危なかったら頼む」
「任せておけ。私なら瞬殺できる」
俺はスキルを発動した。
『不運100%』
魔物が低く唸り、地を蹴って跳びかかってきた。
その瞬間、踏み込んだ足元の地面がぼこりと崩れ、前脚が大穴に飲み込まれた。
「ガウッ!?」
体勢を崩して前のめりに倒れ込む。
勢いで吐き出した炎が近くの大岩に跳ね返り、そのまま自分の顔へ直撃した。
「ギャアアアアッ!」
苦悶の叫びをあげながらも、魔物は怒り狂って額の角に魔力を集め始めた。
空気がびりびりと震える。
「雷撃だ! 気をつけろ!」
レグニアが叫んだ。
だが次の瞬間、角の根元がパキンと折れた。
行き場を失った魔力が空中で暴発し、魔物自身を直撃した。
雷を浴びてよろめきながら、魔物は逃げ出そうとした。
しかし足元の落ち葉に盛大に滑って転倒し、そのまま痙攣しながら沈黙した。
しばらく、森の中に静寂が戻った。
「……ケイス」
レグニアが静かに口を開いた。
「改めて言う。絶対にお前とは戦いたくない。こんな情けない負け方をしたら、ドラゴンの恥だからな」
「……一応聞くけど、この魔物の強さはどれくらい?」
「上級魔物の下、といったところだ」
「そんなに強いの?」
俺は魔物の成れの果てを眺めながら、ゆっくりと息を吐いた。
(このスキル、改めてとんでもないな)
「……どうする? このまま放置していいのか?」
「ほかの魔物が寄ってくる前に片付けておこう」
レグニアが無造作に手を向けた。
次の瞬間、魔物の体が淡い光に包まれ、跡形もなく消えた。
地面に残った焦げ跡と、折れた角の欠片だけが、さっきまでの出来事を物語っていた。
「……あっさりしてるな」
「強さの話だ。倒すのも消すのも、私にとっては大差ない」
レグニアは当然とばかりに踵を返した。
俺もその後に続きながら、折れた角の欠片をひとつ拾い上げた。
(記念品、というわけでもないけど……なんとなく)
森を抜けると、ゴーレムおじさんが御者台で微動だにせず待っていた。
その頼もしい背中が、妙におかしかった。
「待たせたな」
もちろん返事はない。
俺たちは馬車に乗り込み、再び街道へと戻った。




