第22話 白鷲宮に、闇が落ちた
レオナ王女と騎士団は、その夜をアーサー屋敷で過ごされた。
もう一泊していただきたかったが、翌朝にはすでに出発の準備が整えられていた。
使命感に突き動かされているのだろう。
その毅然とした姿に、騎士たちも一言の不満もなく従っていた。
証拠書類一式と、縛り上げたクラウス一味、さらにエルマー事務官を馬車に押し込み、一行は王都へと急いで戻っていった。
***
翌日から、父の指揮のもと街の再建が始まった。
元ギルド長のドルン・バルフォード、まともな冒険者たち、商人ギルドの元責任者オリバー・リント、そしてセリアが中心となって動き出す。
街に残っていたクラウスの手先を次々と捕縛していくにつれ、住民たちの顔つきが変わり始めた。
涙を流す者、抱き合う者、子供を高く抱き上げて笑う者。
しばらく聞こえなかった笑い声が、街のあちこちから湧き上がってきた。
ある朝、通りを歩いていると、セリアが手を振りながら近づいてきた。
「ケイス様、レグニア様。ちょうどよかった」
隣にいたパン屋の店主が、不思議そうにこちらを見る。
「セリアさん、このお二人は……?」
「アーサー子爵様の息子さんと、護衛のレグニア様よ」
「この方たちが、街を救ってくださったの」
店主の顔が、みるみる変わった。
焼きたてのパンを両手で差し出しながら、目を真っ赤にしていた。
「おかげさまで、ようやく安心して店を開けられます。毎日怯えながら暮らしていたんです。取り立ての連中が来るたびに、今日は何を持っていかれるかって……」
「アーサー子爵様がいらっしゃらなければ……本当に、どうなっていたか」
セリアも頷いた。
「みんな、同じ気持ちです。アーサー家の方に、この街は変われました」
俺は思わず頭を下げた。
「私は、大したことはしていません。皆さんが諦めずにいてくれたからです」
周りにいた住民たちも、いつの間にか足を止めて聞いていた。
誰かが拍手をすると、それが広がっていく。
(この街の笑顔が見られた。それで十分だ)
***
夕暮れ時、俺はレグニアと並んで通りを歩いた。
「レグニア、この街の住民を幸せにできて良かった」
少し間を置いた。
「神様との約束を、少しだけど果たせたな」
レグニアは通りを歩く人々をひとりひとり眺めてから、静かに言った。
「……みんな、前と顔つきが違うな」
「そうだね」
「ここに来た日の街と、同じ街とは思えないな」
それだけだった。
だがその一言が、何よりも嬉しかった。
***
嵐のような数日間が過ぎ去り、久しぶりの静けさが戻ってきたある日――
俺は自室で、レグニアと向き合って座っていた。
「ねえ、レグニア。あのペンダント……いったいどういう仕組みなんだ?」
レグニアは少し間を置いてから、真剣な顔で答えた。
「王女に危機が迫れば、あのペンダントが光を放つ。そして俺たちは、王女のいる場所へ瞬時に転移できる」
「転移?」
「命の危機が迫ったとき、どこにいても駆けつけられるということだ」
俺はしばらく、その言葉を頭の中で転がした。
「……すごいものを渡したんだね」
「当然だ。友人の命がかかるなら、それくらいの備えは必要だろう」
レグニアはそれだけ言って、窓の外に目をやった。
何でもないことのように言うが、それがレグニアなりの誠実さだとわかっていた。
***
それから、さらに一ヶ月が経った夜のことだった。
俺の部屋に置かれていたペンダントが、突如として淡い青い光を放ち始めた。
「レグニア……! ペンダントが光ってる」
振り向くと、すでにレグニアが俺の背後に立っていた。
いつの間に来たのかわからない。
「……呼ばれているようだ」
レグニアの目が鋭くなった。
「王女が危ない。行くか?」
「もちろんだよ!」
答えた瞬間、ペンダントの光が一気に強くなった。
部屋の輪郭が滲み、白い光が視界を埋め尽くしていく。
***
同じ頃――王都の"白鷲宮"。
静寂の宮殿を、突如として闇が覆った。
衛兵たちの怒号はすでに絶え、残されたのは屍と血の臭気だけだった。
影のように現れた刺客たち。
ドアとベランダの両方から、二階のレオナの私室を静かに包囲していた。
その数、二十名。
全員が暗殺術と武芸に長け、毒を帯びた刃を携えている。
声ひとつ発せず、ただ殺意だけをまとっていた。
レオナは部屋の中心で剣を構えたまま、気配を読んでいた。
(衛兵も護衛も、全員やられた。善きひとたちばかりだったのに……絶対に許せない)
刺客が音もなく部屋へ流れ込んでくる。
最初の一人がレオナに迫った瞬間、彼女の剣が閃いた。
華奢な体つきからは想像できない鋭さと速さで、刺客が崩れ落ちる。
だが次の瞬間、背後に気配が二つ。
「くっ――」
前転して斬撃をかわし、壁ぎわまで転がって背を壁につける。
前方のみに敵を絞った。
迫る二人の剣を横に払いながら斬り返すと、一人が呻いて倒れた。
間髪を入れず、別の方向からナイフが数本飛んでくる。
すべて叩き落とす。
(毒が塗ってある。掠っただけで終わりね)
息を整える暇もなく、三人が同時に間合いを詰めてくる。
レオナは歯を食いしばった。
(数が多すぎる。このままでは持たない……!)
それでも彼女は剣を下げなかった。
「私は負けるわけにはいかないわ。この国を食い物にする者たちを……絶対に許さない」
***
その刹那、白い光が中庭を照らした。
光の中から現れたのは、俺とレグニアだった。
「王女様!」
レグニアが一声叫び、二階の窓を蹴破って部屋へ飛び込んだ。
俺は中庭に残り、外から部屋の中を見守った。
「ケイス……レグニア……! 来てくれたのね!」
「ペンダントが光ったので来ました。もう大丈夫です」
(レグニアに勝てる人間はいないからね)
「レグニア、頼む」
「久しぶりに面白そうだ」
レグニアの目が細くなった。
「王宮ごと壊さないでよ」
「わかってる」
(クラウスのときは体術だけで済ませた)
(今回は違う。レオナ王女の命がかかっている)
レグニアが王女をかばうように前に立ち、両腕を掲げてゆっくりと息を吸い込んだ。
「――黒竜の咆哮」
轟音が夜空を震わせた。見えない衝撃波が室内を薙ぎ払い、壁ごと数名の刺客を吹き飛ばす。
中庭の石畳に叩きつけられた体が、動かなくなった。
「囲め、一気に仕留めるぞ! 毒刃を一斉に放て!」
しかし、放たれた毒矢は、空中で止まる。
向きが変わり、放った者たちに飛んでいく。
「ぎゃあっ!」
それでも刺客たちは止まらない。
毒針、風魔法、空間を切り裂く斬撃――次々と繰り出される攻撃が、すべて弾き返される。
レグニアの目には、すべてがゆっくりと映っているのだろう。
「遅い。鈍い。脆い」
静かな呟きとともに、一人、また一人と地に沈んでいく。
最後の一人が恐怖に膝を折った。
「正義の姫は襲わせない」
(レグニア、正義の姫のことは気に入ったみたいだな)
やがて静寂が戻った。
俺は中庭でその光景を見ていた。息を呑むことしかできなかった。
レグニアが王女とともに。二階から中庭へ降りてくる。
レオナは荒い息をつきながらも、剣を握りしめたまま顔を上げた。
「ありがとう……約束を、守ってくれたのね」
その声は震えていた。
しかし目は、揺るぎなかった。




