第2話 神様に転生させてもらった
痛みはなかった。
気がつくと、慶介は白い霧の中に立っていた。
足元に地面があるのかどうかもわからない。
ただ、ふわふわとどこかに浮いているような、不思議な感覚だった。
静かだった。風もなく、音もなく、ただ白いだけの空間が、どこまでも広がっていた。
(俺、死んだみたいだな)
不思議と、恐怖はなかった。
(まあ……いいか。運、これまでも悪かったしな)
(でも最後に、子供を助けることができたのは良かったじゃないか)
「桂木慶介さん、ですね」
声がした。
穏やかな、どこか遠くから届くような声だった。
振り向くと、ぼんやりとした光の塊が浮かんでいた。
ひとのような形をしているが、輪郭がはっきりしない。
顔も、体も、よく見えない。ただ、その光からは不思議な温かさが伝わってきた。
「は、はい」
「あなたの前世での行いは立派でした」
「え、まあ……。あの子は無事だったでしょうか?」
「無事です。あなたのおかげですよ」
それを聞いて、慶介は胸の中の何かがすっと軽くなるのを感じた。
よかった。それだけで、充分だと思った。
「でもあなたは、もう何十年か生きることができる命を失ってしまいました」
「……そうですね」
「残念ですか?」
「いえ」
慶介は少し考えてから、首を横に振った。
「私の前世は、運の悪いことの連続でした。でも最後に、いいことをして終わることができました。それで充分です」
光がしばらく黙っていた。
何かを確かめるように、慶介をじっと見ているような気がした。
「あなたのようなひとには、転生して、もう一度人生をやり直す機会を与えることができます」
「……もちろん、永遠の安寧を得られる天国に行くこともできます」
「転生……できるのですか」
「はい。転生して、どんな人生を送りたいですか?」
「それに合わせて、転生する世界を選んであげましょう」
慶介はしばらく、その言葉を頭の中で転がした。
別の世界。新しい人生。
(どんな人生、か)
英雄と冒険者にでもなって、彩り鮮やかな波乱万丈な人生を送る。
そういうのは、自分には合ってない気がする。
そもそも強くなりたくもないし、戦いたくもない。
なんでも手に入れられる大金持ちになるのも、自分には合ってない気がする。
こつこつと努力して、それに見合ったお金が手に入ればいい。
(そうだ、のんびり暮らしたかったんだ)
「のんびり暮らしたいです」
「誰にも急かされず、怒鳴られず、自分のペースで静かに生きていきたいです」
「それが、希望ということですね」
「はい、そうです」
「それと……転生にあたり、スキルを一つだけ与えられます。どうしますか?」
慶介はまた少し考えた。
のんびり暮らすのに、戦うためのスキルはいらない。
魔法系のスキルも同じだ。
不動産会社で働いていたとき、いつも思っていた。
懸命に働いても運に恵まれず、いつも損をするひとたちのことを。
田中課長もそうだった。
誰よりもお客のことを考え、誰よりも誠実に仕事をしていた。
慶介が他社物件を勧めることを、唯一認めてくれたひとだった。
そのひとが倒れた。
一方で、お客のことなど一切考えず、数字だけを追いかけていた同僚たちは今日も元気に出社している。
怒鳴り散らしていた後任の課長も、なんの支障もなく仕事をしている。
なぜ、誠実なひとが報われないのか。
なぜ、真面目に生きているひとが損をするのか。
答えなど、どこにもなかった。
ただ、それが理不尽だと思う気持ちだけが、慶介の胸の中に静かに残っていた。
持って生まれた運を変えることができるなら。
自分の運を変えたいと思っていたし、田中課長のような、誠実なのに運に恵まれないひとたちの運も、変えてあげたかった。
「できれば……自分だけでなく、周りの人の運を良くしてあげる力が欲しいです」
「欲がありませんね」
「前世で欲しかったものですから……」
慶介は少し照れながら言った。
「運が悪くて上手くいかないひとを見ると、なんとかしてあげたくなってしまって。損な性格ですよね」
「損ではないと思いますよ」
光がそう言った。どこか、微笑んでいるように聞こえた。
「では、運のバランスを調整できるスキルを与えましょう。ひとの持つ幸運と不運のバランスを、操ることができるスキルです。幸運を多めにしてあげれば、幸せなことが起こる。不運を多めにすれば、不幸なことが起こるというわけです」
「言葉で聞くと、やはり地味なスキルですね」
思わず口から出た。
「そうかもしれませんね」
光は特に気分を害した様子もなく、穏やかに言った。
「ですが、使い方次第ともいえます。地味なスキルですが、使い込んでいけばパワーアップもします。ただ、このスキルを与えるのは初めてのことなので、どうパワーアップしていくのか、私にも少し気になるところではあるのですが……」
光はそこで一拍置いてから、柔らかく続けた。
「一つだけ、お願いがあります。スキルを与えて転生する以上、この世界の人々を幸せにするという使命をお願いしています」
「……使命、ですか」
「はい。ただ、気負わないでください。頑張っても上手くいかないこともあるでしょう。だからといって罰を与えるつもりはありませんから、安心してください」
慶介はしばらく黙っていた。
使命、という言葉が頭の中でゆっくりと沈んでいく。
(この世界の人々を……幸せに)
重い言葉だと思った。
しかし不思議と、逃げ出したいという気持ちにはならなかった。
どちらかといえば、自分にそんなことができるのだろうかという不安の方が大きかった。
「……頑張ってみます」
「ありがとうございます」
光はそこで少し間を置いてから、どこか遠くを見るように続けた。
「あなたののんびり暮らしたいという望みも、きっと叶えられるはずです。周りのひとたちが幸せになれば、あなた自身も自然とのんびり暮らせるようになるはずですから」
慶介は静かに目を閉じた。
「あなたなら、きっと上手くやってくれると思っています」
光の声は静かだったが、その言葉には深い信頼が込められていた。
光が静かに揺れた。
慶介の体が、ゆっくりと沈んでいく感覚があった。
白い霧が深くなっていく。
意識が、遠くなる。
転生が始まるのだろう。
そのとき、遠くなっていく意識の中で、神様のひとり言が聞こえた気がした。
「のんびり暮らしたいか……ならば余計な苦労がないようにしておこう」
「女性問題で振り回されては、せっかくの人生が落ち着かないからな」
「少し体型を変えておくか。本人から要望があれば、いつでも戻せるし」
(え――。どんな体型?)
聞こえたような、聞こえなかったような。
慶介の意識は、そこで途切れた。




