第14話 神様、これ持っていていいんですか
もう周囲はすっかり薄暗くなり、石畳の街路にともされた灯火がちらちらと揺れていた。
俺とレグニアが屋敷の扉を押し開けた瞬間、廊下の奥から足音が慌ただしく近づいてきた。
「ケイス! 無事だったか!」
父の声だった。
普段は落ち着いた父が、廊下を早足で歩いてくる。
それだけで、どれだけ心配していたかが伝わってきた。
「なかなか帰ってこないから、みんなが心配していたんだぞ」
「……とにかくよかった。二人とも無事で」
その後ろから、母のリリア、ミーナ、リリィが次々と現れた。全員、血相を変えていた。
「どこへ行っていたの。こんなに遅くなって」
母の目が潤んでいる。
リリィは俺の袖をぎゅっと掴んで離さない。
「街で騒ぎがあったって聞いたのよ。騎士団まで出動したって」
「あなたたちが巻き込まれたんじゃないかって……」
「ミーナなんか、今にも泣き出しそうで――」
ミーナは必死に堪えていたが、肩が小刻みに震えていた。
「ち、違いますよ。泣いてなんかいません」
真っ赤な顔で首を横に振る。
(街の騒ぎって……きっと、俺たちのことだな)
俺は思わず苦笑した。
同時に、胸の奥がじわりと温かくなった。
「ケイス、手を見せなさい」
「擦り傷は? 打ち身は?」
リリアが俺の両手を取り、食い入るように確かめる。
あちこち触って、ようやく小さく息を吐いた。
「……服も破れてないわね。よかった」
それから振り返って、レグニアにも目を向ける。
「レグニア、あなたも怪我はない?」
レグニアは少し面食らったような顔をした。
何千年も生きてきて、人間に心配されることなど、きっとなかっただろう。
ドラゴンである自分が、人間ごときに心配される。
普段なら鼻で笑うような話だ。
だがなぜか、その言葉がすんなりと胸の中に落ちてきた。
「……大丈夫だ」
短い返事だったが、その声がいつもより少し柔らかかった。
「心配をかけてすみませんでした。二人とも無事です」
俺は頭を下げた。
父が眉をひそめた。
「ところで、どこで何をしていたんだ。詳しく話してくれるか」
(スキルのことは、どう説明したものか)
言葉を探していると、母がそっと父の腕に手を置いた。
「話は後でいいわ」
「まず温かいものを食べなさい。それが先よ」
***
我が家のダイニングに並ぶ料理は、貴族にしては質素で飾り気もない。
焼きたての香ばしいパン。
野菜の甘みが溶け込んだポトフ。
ハーブの香りが漂うロースト肉。
豪華さとは無縁だが、手間がかかっている。
そしてなぜか、いつも美味しい。
「さあ食べましょう。今日はリリィもお手伝いしてくれたのよ」
母が微笑みながら皿を差し出すと、リリィは誇らしげに胸を張った。
「料理を一回も落とさないで、ぜんぶ運べたんだよ!」
「それはすごい。ありがとう、リリィ」
リリィは顔を赤らめ、えへへと笑った。
レグニアは食卓をゆっくりと見渡していた。
父が短く冗談を言い、母が笑い、リリィがまたしゃべり始める。
そのいつも通りの光景を、ルビーの瞳が静かに映している。
「……アーサー家は、賑やかだな」
「こういうの、嫌い?」
「いや」
少し間があった。
何千年も、ひとりで生きてきた。
誰かと食卓を囲んだことなど、一度もなかった。
それが当然で、それが誇りだと思っていた。
「……悪くない」
それだけ言って、レグニアはスプーンを手に取った。
その横顔が、普段より少しだけ柔らかかった。
何千年も一人で生きてきたドラゴンが、家族の温かい夕食の席にいる。
それがなんだかおかしくて、俺は一人でこっそり笑った。
***
一息ついてから、俺は事件の顛末を話した。
もちろん、スキルのことは黙っておく。
「市場で、詐欺師に騙された商人たちと出会ったんです」
「偽の許可証を売りつけられて、店もお金も全部取り上げられ、家族ごとスラムに追いやられ」
「まともに食事もできない状態で……」
少し間を置いた。
「事情を聞いたら、放っておけなくて」
「レグニアと一緒に、店を取り戻す手伝いをしました」
父と母は黙って聞いていた。
時折視線を交わしながらも、最後まで口を挟まなかった。
詐欺師ボルテロの名前までは良かったが、ロザミール侯爵の名前が出た瞬間、父の顔が変わった。
「……ロザミール侯爵、か」
静かな声だったが、その重さが伝わってきた。
「そんな大貴族が……」
母が息を呑む。
父は少し考えてから、低く言った。
「名前を勝手に使ったのか、本当に繋がりがあるのか」
「確かなことは知りようがないが……どちらにせよ、厄介だ」
ひと呼吸置いて、続ける。
「この国は、お前が思っている以上に歪んでいる」
「今回のことが、どこに、どう波及するかわからん」
「私の方でも調べてみよう」
胸の奥に、冷たいものが広がった。
だが同時に、父が信じて動いてくれるという温かさと安心を感じた。
俺の話をちゃんと聞いて、信じて、一緒に考えてくれる。
それだけで、十分だった。
しばらくの沈黙を破ったのは、母だった。
「ケイス、このロースト肉、好物でしょ」
「たくさん食べなさいよ」
笑顔で皿を差し出す母の横で、ミーナが少し得意げに付け加えた。
「盛り付けは私ですよ」
「おいしそうに見えるように、ちゃんと考えましたからね」
俺は自然と笑みを浮かべた。
重い話の後に、こういう一言がさらりと来る。
それがこの家の、いつもの空気だった。
外の世界の不穏さなど、この食卓の前では遠くなる気がした。
***
食後、自室に戻った。レグニアも無言でついてくる。
ベッドに腰を下ろすと、ようやく体の力が抜けていく感じがした。
レグニアは窓際の椅子に腰かけ、腕を組んで俺を見ていた。
「……ステータス表示」
呟くと、青白い光が浮かび、半透明のウィンドウが現れた。
【スキル:運のバランス】Lv.2
・幸運(大幸運 使用可)
・不運(大不運 使用可)
「レベルが上がってるんだけど……」
俺は思わず声を漏らした。
(神様、レベルを上げないでも大丈夫ですよ)
気になって、画面を覗き込んだレグニアが、目を細めた。
「……"大不運"、だと」
「詐欺師のところでは、傭兵に対して不運80%だと言っていたよな」
レグニアの声が、いつもより低い。
「それであれだけのことが起きたなら……大不運は」
言葉が途切れた。
続きは言わなくても、わかった。
少し間を置いて、レグニアが真剣な顔で言った。
「ケイス。神がお前にこのスキルを与えたのは知っている」
「だが……レベルが上がるたびに、その力は神の領域に近づいていくんじゃないか」
「人間が、そこまで踏み込んでいいのか、私にもわからないぞ」
何千年も生きてきたドラゴンが、そう言った。
それだけで、この力がどれほどのものか、改めて伝わってきた。
「……大不運については、神様からお聞きしてないが、人間相手に使うようなものじゃないだろうな」
「……そうだね」
俺は今日のことを思い返した。
傭兵たちの自滅。
ボルテロが自分の口から破滅へ向かっていく様子。
あれは不運70%から80%だった。
それ以上の力が、この手の中にある。
(俺の判断ひとつで、相手の命が吹き飛ぶかもしれない)
(いや、もっとすごいことになるかも?)
怖さと責任の重さが、じわりと胸に広がった。
しばらく無言でステータス画面を見つめ、深く息を吐いた。
***
「でも、使い方次第では、この世界の人々を幸せにするための力になるかもしれない」
「どう使えばいいのか、まだ全然わからないけれど」
レグニアが腕を組んだ。
「お前は本当に面白いな」
「そうかな」
「これだけの力を手に入れて、最初に思うことが『人々を幸せにする』か」
レグニアの声は静かだったが、どこか感心しているように聞こえた。
「力を手に入れたら、まず自分のために何ができるかを考えるのが普通だぞ」
「……俺は、のんびり暮らせたら、それでいいからね」
レグニアは少し間を置いてから、きっぱりと言った。
「やはりお前は王に向いてるぞ」
「え?」
「自分のために何ができるかを考える者は、力に飲み込まれる」
「だがお前は最初から、『人々を幸せにする』には、どう使えばいいかしか考えていない」
俺はしばらく、その言葉を頭の中で転がした。
「お前のスキルは、とてつもなく強力だ」
レグニアが続ける。
「気分に任せて振るっていいものじゃない」
窓の外で風が木々を揺らし、さらさらと音を立てていた。
レグニアはしばらく黙ってから、静かに付け加えた。
「……私が護衛についているのは、お前の身を守るためだ」
「だがそれだけじゃない。お前がその力に呑まれないよう、見ていてやることでもあるだろうな」
俺は少し驚いて、レグニアの顔を見た。
何千年も孤高を保ってきたドラゴンが、そんなことを言うとは思っていなかった。
(レグニアって、あらためて神獣なんだなと思う)
俺は静かに、しかしはっきりと決めた。
(この力は――ひとを幸せにするため以外に使わない)
(とにかく、それだけは、絶対に)
窓の外で風が木々を揺らし、さらさらと音を立てていた。




