第14話 禁じられた書庫
一人で来ること——その条件を、アネットは無視した。
「ルシアン様。一緒に来てほしい場所があります」
「どこだ」
「東翼の図書室です」
紙片を見せると、ルシアンの目が鋭くなった。
「罠の可能性がある」
「わかっています。だから一人では行きません」
ルシアンはしばらくアネットを見つめてから、小さく息を吐いた。
「……成長したな」
「ルシアン様の隣にいると、賢くなるみたいです」
「馬鹿を言うな。行くぞ」
東翼の図書室は、王宮の中でも人気のない一角にあった。古い文献が壁一面に並ぶ薄暗い部屋に入ると、案の定、ヴィクトリアが窓際の椅子に腰かけていた。
「あら、二人で来たのね。一人でと言ったのに」
「婚約者が怪しい密会に向かうのを黙って見送る男はいない」
ルシアンが冷たく言い放つと、ヴィクトリアは肩をすくめた。
「別にいいわ。むしろ公爵にも聞いてもらったほうが話が早い」
ヴィクトリアは立ち上がり、書架の奥に手を伸ばした。一冊の古い革装丁の本を引き出す。
「これは父の書斎にあったものの写しよ。北方領土の開発計画書——の、裏側」
本を開くと、中には手書きの書類が挟まれていた。
「父は北方の荒地を復活させた後、その土地を王家直轄ではなく、ヴァルトシュタイン家の私有地として登録するつもりよ。緑命の力で蘇らせた土地を、合法的に奪い取る計画」
アネットは書類に目を通した。確かに、土地の登記に関する法的な抜け穴を利用した巧妙な計画が記されている。
「……でも、なぜこれを私たちに? ヴィクトリア様のお父様の計画ですよね」
ヴィクトリアの碧眼が、一瞬だけ翳った。
「父は十年前、北方の大旱魃を利用して周辺の小領主たちから土地を買い叩いた。旱魃で飢えた民を見殺しにして、私腹を肥やした」
その声に、初めて本物の感情が滲んだ。
「私の母は北方の出身よ。旱魃で故郷を失い、ヴァルトシュタイン家に身を寄せた。父にとって母は——北方の情報を得るための道具だった」
アネットは息を呑んだ。利用されて捨てられる——それは、自分が経験したことと重なる。
「母は三年前に亡くなったわ。故郷に帰りたいと言いながら」
ヴィクトリアは書類をアネットに差し出した。
「あなたの力は本物よ。だからこそ、父のような人間に利用されてほしくない。——母のようには、なってほしくない」
沈黙が流れた。
ルシアンが書類を手に取り、一枚一枚丁寧に確認していく。
「……この計画は法的に成立するか?」
「条件が揃えば。北方の荒地は現在、所有者不在の土地として扱われているから、復興に貢献した者が優先的に登記できる制度がある。父はその制度を悪用するつもりよ」
「なるほど。だが、この制度には例外条項がある」
ルシアンの口元に、かすかな笑みが浮かんだ。氷のように冷たい、けれど切れ味の鋭い笑み。
「復興に用いた力が個人の先天的能力である場合、土地の帰属は能力者本人に優先権が発生する。——つまり」
「私に優先権がある?」
「そうだ。お前の力で蘇らせた土地は、法的にお前のものになり得る。宰相が横取りすることはできない」
ヴィクトリアは目を見開いた。
「……それは、父も把握していない条項ね」
「古い法律だからな。だが、有効だ」
ルシアンはヴィクトリアに向き直った。
「ヴァルトシュタイン嬢。この情報を提供した動機は理解した。だが、ひとつ聞く」
「何かしら」
「お前は父親を裏切ることになる。その覚悟はあるのか」
ヴィクトリアは深紅の髪をかきあげ、毅然とした表情で答えた。
「覚悟なら、母が死んだ日にとっくに決めたわ」
図書室を出た後、回廊を歩きながらアネットはルシアンに寄り添った。
「ルシアン様」
「なんだ」
「ヴィクトリア様、信用していいと思います」
「……根拠は」
「目です。嘘をついている人の目じゃなかった」
「お前の人を見る目が正しかったことは——まあ、一度はあるな」
「一度?」
「俺を信じただろう。雨の日に」
アネットは目を丸くして、それからふわりと笑った。
「それは——ルシアン様が傘を差してくれたからですよ」
ルシアンは何も言わなかったが、歩く速度がわずかに緩んだ。
二人の歩幅が揃う。王宮の長い回廊を、肩を並べて歩いていく。




