第12話 玉座の前で
王都の中心にそびえる白銀の宮殿は、威圧的なまでに巨大だった。
ラヴロック公爵家の馬車が正門をくぐると、紅い絨毯の敷かれた通路を近衛兵が整列して出迎えた。まるで歓迎ではなく、逃げ道を塞いでいるかのように。
「緊張するな。俺が隣にいる」
「……はい」
アネットはルシアンの腕に手を添えて、馬車を降りた。指輪をはめた左手が、わずかに震えている。
謁見の間は、金と白で統一された荘厳な空間だった。高い天井にはフレスコ画が描かれ、巨大なシャンデリアが眩い光を降らせている。
奥の玉座に座るのは——グスタフ四世。
初老の王は、意外にも穏やかな笑みを浮かべていた。だがその目は笑っていない。品定めをする商人のような、値踏みの視線。
「ラヴロック公爵、よく参られた。そしてそちらが——」
「アネット・レイヴンクロフトでございます。本日はお目にかかれて光栄です、陛下」
アネットは完璧な礼をした。侯爵令嬢としての教育は、こういう場面で生きる。
「ほう。レイヴンクロフト家の令嬢か。なかなか美しい」
「恐れ入ります」
「して——単刀直入に聞こう」
王の目が鋭くなった。
「そなた、緑命の力を持っているか」
アネットは一瞬、ルシアンに目を向けた。ルシアンはかすかに頷く。ここで嘘をついても仕方がない。
「はい。幼い頃より、植物に触れると生命力を与えることができます」
謁見の間にざわめきが走った。居並ぶ大臣たちが顔を見合わせる。
「やはりか。月光花を咲かせたのも、そなたの力であると」
「さようでございます」
「見事だ。伝説でしか語られてこなかった力が、この時代に蘇るとは」
王は玉座から身を乗り出した。
「アネット・レイヴンクロフト。そなたの力を、王国のために使ってほしい」
「王国のため……」
「北方領土を知っておるか。十年前の大旱魃で荒廃し、今なお不毛の地のままだ。数万の民が故郷を追われ、難民として各地をさまよっている。そなたの力があれば——」
「陛下」
ルシアンが割って入った。
「お話の途中で恐縮ですが、彼女は私の婚約者です。婚約の届け出は昨日付けで貴族院に提出済みです」
王の表情がわずかに曇った。
「……早い手回しだな、ラヴロック」
「当然の手続きです」
「婚約者であっても、勅命に従う義務は変わらぬぞ」
「承知しております。ただし、貴族法第四十二条に基づき、公爵家の婚約者に対する身柄の拘束には公爵本人の同意が必要です。そして第五十八条により、緑命の力のような先天的能力は個人に帰属するものであり、王家の財産には含まれません」
ルシアンは淀みなく条文を引用した。数日間書斎にこもっていた成果だ。
「……法律に詳しいな」
「母から学びました。法は弱き者の盾である、と」
王はしばらくルシアンを見つめ、それから低く笑った。
「ふん。氷の公爵と呼ばれるだけのことはある。——よかろう。では、こうしよう」
王は大臣を一瞥してから、アネットに向き直った。
「命令ではなく、依頼だ。北方領土の視察に同行してほしい。そなたの力で荒地がどの程度回復できるか、まずは試してみたい。無論、ラヴロック公爵の同行も認める」
「……視察、ですか」
「気に入らなければ断ってもよい。ただし——」
王の目が細くなった。
「断った場合、そなたの力に関する情報が社交界に流れるのを、王家として止める術がなくなるかもしれん」
脅しだ。緑命の力が公になれば、各国からの干渉、研究者の殺到、最悪の場合は拉致の危険すらある。
ルシアンの腕にアネットの手が触れた。小さく握りしめる。
「……陛下。視察の件、お受けいたします」
「アネット——」
「ただし、条件がございます」
アネットは顔を上げた。侯爵令嬢としての矜持を全身に纏って。
「私の力は、私の意志で使います。命令で動かされるのは——もう、二度とごめんです」
五年間、アルベルトの言いなりだった自分とは違う。
今の自分には、守りたいものがある。守ってくれる人がいる。
王は一瞬驚いた顔をして、それから声を上げて笑った。
「気に入った。ラヴロック、いい女を見つけたな」
「……存じております」
ルシアンの耳が赤いことに、アネットだけが気づいていた。
謁見の間を辞した後、回廊を歩きながらルシアンが口を開いた。
「……勝手に引き受けるな」
「すみません。でも、北方の人たちが困っているなら——」
「お前はすぐそうやって他人のために動く」
「悪いことですか?」
「悪くはない。だが——」
ルシアンは立ち止まり、アネットの肩をそっと掴んだ。
「お前が壊れるようなことは、させない。俺が必ず止める」
「……はい」
「約束しろ。辛くなったら言え。一人で抱え込むな」
「約束します」
アネットは微笑んで、ルシアンの手に自分の手を重ねた。
王宮の冷たい回廊に、小さな温もりが灯った。




