第11話 勅命
プロポーズの余韻が残る翌朝、それは届いた。
朝食の席に、クラウスが白い顔で現れた。長年仕える老執事がここまで動揺するのを、アネットは初めて見た。
「旦那様。王宮より使者が参っております」
「……朝から何の用だ」
「勅命です」
ルシアンの手が止まった。
使者は応接室で待っていた。王室の紋章入りの礼服を纏った若い官吏が、恭しく巻物を差し出す。
「ラヴロック公爵閣下に申し上げます。国王陛下よりの勅命でございます」
ルシアンは無言で巻物を受け取り、封を切った。
目を通す間、表情は動かない。だが、アネットにはわかった。巻物を持つ指の関節が白くなっている。
「……内容は理解した。下がれ」
「御返答は——」
「追って書面で回答する。下がれと言っている」
氷の声に射すくめられた使者は、逃げるように応接室を出ていった。
二人きりになった応接室で、ルシアンは巻物をテーブルに置いた。
「見ろ」
アネットは巻物に目を通した。読み進めるにつれ、血の気が引いていく。
——ラヴロック公爵領において、伝説の月光花が開花。希少薬草の異常な蘇生も確認。緑命の力を有する者が公爵邸に滞在していると推察される。王国の安全保障と国益のため、当該人物の王宮への出頭を命ずる。
「……私を、王宮に?」
「ああ。お前の力を王家の管理下に置きたいらしい」
管理下。その言葉の冷たさに、アネットは身震いした。
「どうやって月光花のことを……」
「庭師を追い払った後も、王家は定期的にこの領地の状況を探っていた。母の薬草園に目をつけていたんだろう。月光花が咲けば、嗅ぎつけるのは時間の問題だった」
ルシアンの声は冷静だが、その奥に押し殺した怒りが滲んでいる。
「行かなければなりませんか」
「勅命だ。拒否すれば公爵家そのものが取り潰される可能性がある」
「そんな……」
「だが」
ルシアンはアネットに向き直った。銀灰色の瞳には、昨夜のプロポーズの時とは違う——けれど同じくらい強い光が宿っている。
「お前を一人で行かせるつもりはない。俺も同行する」
「ルシアン様……」
「それと、ひとつ確認しておく」
ルシアンはアネットの左手を取った。昨夜はめた翠玉石の指輪が、朝日を受けてきらりと光る。
「この指輪の意味を、お前は理解しているな」
「はい」
「なら、何があっても外すな。——お前は俺の婚約者だ。王であっても、お前を奪うことは許さない」
その言葉は宣言だった。氷の公爵が、王家に対して牙を剥く覚悟の表明。
「……はい。外しません」
アネットは指輪をそっと握りしめた。
出立は三日後と決まった。
その間、ルシアンは書斎にこもりきりになった。何やら大量の書類を取り寄せ、古い文献を引っ張り出している。
「旦那様は王宮での交渉に備えて、法的な防御策を練っておられるのです」
クラウスがアネットにそう教えてくれた。
「法的な防御策?」
「緑命の力が王家の管理対象になるかどうか、過去の判例や法令を調べていらっしゃいます。さらに、婚約を正式に成立させるための手続きも」
「婚約の手続き……」
「ええ。アネット様がラヴロック公爵家の正式な婚約者であれば、王家といえども簡単には手出しできません。公爵家の人間を勝手に拘束することは、貴族法に抵触しますので」
ルシアンは感情だけで動いているのではなかった。冷徹な頭脳で、アネットを守るための布石を打っている。
「……クラウスさん」
「はい」
「ルシアン様は、いつもこうなんですか。大切なものを守るとき」
クラウスは穏やかに微笑んだ。
「旦那様は不器用な方です。ですが、一度守ると決めたものは、命に代えてもお守りになります。——奥様がご存命の頃も、そうでいらっしゃいました」
出立の前夜。
アネットは庭に出た。月光花が静かに輝いている。
「怖いか」
背後からルシアンの声。振り返らなくても、その気配だけでわかるようになっていた。
「少しだけ」
「正直だな」
「ルシアン様に嘘はつかないと言いましたから」
ルシアンがアネットの隣に立った。二人で月光花を見上げる。
「王宮に行っても、この庭のことを忘れないでください」
「忘れるわけがないだろう」
「帰ってきたら、薔薇のアーチの下でお茶しましょうね」
「……ああ」
「それから——」
アネットはルシアンの手をそっと握った。
「一緒に帰ってきましょう。必ず」
ルシアンの大きな手が、アネットの手を握り返した。
無言で。けれど、どんな言葉よりも雄弁に。
明日から、二人は嵐の中に飛び込む。
だが、この手を離さなければ——きっと、大丈夫だ。




