8 少年A´
「気を付け!休め!気を付け!有難う御座いましたっ!」
「「ありがとうございました!!」」
乾いた訓練場の砂が目に入る。
例年より早く日差しが容赦なく照りつけるようになった初夏の季節、訓練を終えた生徒たちは一斉に水場へと駆け出した。
「喉!喉が乾いたぁーっ!!」
「あっぢぃ...まだ夏の初めだよなぁ...?」
蛇口を捻り勢い良く流れ出した水に、日射と激しい運動によって泥と汗に塗れた頭を突っ込んで冷やしながら、水を口に含んで砂利を吐き出す。
「あ゛ぁ〜生ぎ返るぅ゛〜...」
「お前はいつも通り全然しんどそうじゃないな?」
訓練が終わってすぐに皆が蛇口のある水場や日陰へ駆け込む中、ゆっくりと後から歩いてきた少年。その顔は至って涼しげで、息切れも起こしていない。
「あ、うん!僕はまだ終わってないし...先に寮に戻っててよ」
「マジかよ...エリート様は違ぇな〜!わかった、それじゃ飯ん時にな!じゃ、先行ってようぜ〜」
「うい、後でな」
「あはは...後でね〜...」
空いた蛇口を捻って出た水を1口口に含んで口に入った砂を吐き出す。口内を一気に冷水で洗い流す感覚が心地良い。
「フィリア・ヘルトルーディス特別訓練兵、休憩を終えたら教官室に来るように」
自分の後ろに人が立っている。声色と雰囲気から察するに...
「ヘンセル先生!あれ?でも僕まだ追加訓練が残って...」
「ヘンセル教官と呼べと何度...調査団副団長が調査から帰ってきた。お前と話がしたいそうだから、今日は中止だ...って、おい!話を最後まで聞かんかーっ!!全く、蛇口も締めずに...」
瞬きの間に水を飲んでいたはずの少年が目の前から居なくなったことに気が付かなかった。
「久しぶり、ホロ、じゃなくて...なんだっけ?フィレオ?...その後、どうっすか?」
「フィリア・ヘルトルーディスです。特に体に変化はないです。鱗も一回剝いでから生えてこないし」
衣服を半分脱いで以前変異の兆候が最も濃く出ていた背中周辺を見せる。言う通り、背骨の浮き立つ華奢な人間の背中だった。
「はっ剝いだ!?全部...?確かに、傷痕すら残ってない...」
「はい!」
「い、痛くなかったんすか?」
「最近、痛みに疎くて。ははは...」
冗談めかして笑うフィリアだったが、その目はどこか遠くを見るようだった。
「...へぇ~...なんか、思い出したりとかは?」
「んー...すいません。よく覚えてなくて...あの、何があったのかそろそろ教えてくれませんか?」
カラシンは鞄から一冊の本を取り出し、机に置いた。
「『せかいじゅ』、読んだことある?有名な童話っす。あのでっかい木が巨大な竜の涙から育ったっていう話。」
「...?無いです...また話逸らして、どっかに行くつもりなんですか?僕、カラシンさんからホントの事を聞きたいんです。お願いします。教えてください!僕は一体誰なんですか?何をしたんですか!?どこから来たんですか!?」
フィリアがカラシンの肩を掴んで揺さぶる。あれから早1年が経った。
目覚めたフィリアは、彼女の力の影響なのかは不明だが、彼女に関わる記憶の全てが頭から抜け落ちていた。
言葉や体術など、身体に染み込んだものは覚えているようだが、自分の出生は勿論、村で付けられた名前も、村での記憶もない様子だった。
ーーー彼にとっては、それで良かったのかもしれない。
時折そう思っては、同時にリシテアの最期の顔が浮かんだ。
彼女と過ごした時間など、やり直した分を入れても二日程度しかない。その僅かな時間だが、彼女は何度も自身を母親失格と自虐していた。
しかし、ホロイと別れるときの彼女の顔は、誰が見ようと、最愛の息子を見る、まごうことなき母親の表情だった。
あの二人の幸福な時間を、悲しみを。この世に残る誰も覚えていないなんていうのは、余りにも残酷すぎる。そう考える度に胸が痛んだ。
一度暴走しかけて変異が起き、それが落ち着くと、反動からなのか人ではない遺伝子から必然的に起きたものなのか分からないが、5才の子供程度の身長から13~15の少年ほどの背にたった一晩で爆発的に身長が伸びていた。下手すればそこらの女性よりも華奢ではあるが、内に秘めた力はあの頃とは比べ物にならないだろう。
「落ち着いて落ち着いて!これを読んで、考えて。君自身の力で記憶を取り戻す事が大切なんす。」
「またそうやって...!!」
思わず肩を掴む力が強まり、服の繊維が千切れる音が鳴る。
ドガァンッッ!
鈍い衝撃音と共に、壁まで蹴り飛ばされた。
目の前には兜を被った女騎士。鉄に覆われた拳を振り上げていた。
「やめろミリーナ!!やりすぎっす」
カラシンがミリーナと呼ぶ女騎士は兜を被っているため表情までは良くわからないが、必死で抑えるような息遣いで元の位置に戻った。理由は分からない。しかし、明らかに自分に対して異常なまでに憤怒している。
「うぐっ...、ごめんなさい、カラシンさん...」
「うん、大丈夫。鍛えてるっすからね。にしても力付いたっすね~フィレオ君...じゃなくって、フィーリング君。ジブンももっと鍛え直さないと...前回痛い目見たし...」
「フィリアです...」
「うーん、随分難しい偽名にされたっすね〜...ま、悪いけど今回も君の正体についてはお預けっす。フィリア君、君は今心身共に大変だろう。でもお友達と共に高め合うんっすよ!青春!ふん!」
サイドチェストのポージングを取るカラシン。破けた肩から少し血が垂れていた。
「...はい、もう少し頑張ってみます...有難う御座いました。ミリーナさんも、すいませんでした」
無言のままの女騎士に頭を下げ、フィリアは扉へと向かう。
「あ、ちょっと待ってフィレオ君。大事な事を伝えるのを忘れてたっす。」
「はい...?何でしょうか」
「今度の調査団の選考メンバーに、君を推薦させてもらったっす。入団試験までの期間はかなり空くと思うっすけど、より一層訓練に励むように!」
「...!はいっ!!失礼しました!」
目を輝かせて深く礼をし、破けた肩の布をぽんぽんと叩いて部屋から出て行った。
分かりやすい子だ。
「ミリーナ、確かにあの時、あの子は我を失っていたとは言え決して犯しては行けない罪を犯したっす...でも、気持ちは分かるけど、抑えないと駄目っす。これからあの子はジブンらすら想像を絶する大変な苦悩、自責の念にも追われる事になるだろうから。時が戻った以上、あれは事実だけど事実じゃないんっす。それだけでもあの時の罪は、清算されるべきだ。身体はただの人間じゃないんだとしても、あの子の心は人間に虐げられてきた可哀想な子供なんす。人類の為にも、あの村の人間がリシテアさん以外の人間の全てだと思わせちゃならない。僕らだけでも、彼の味方でないといけない筈だ。」
(...申し訳ありませんでした)
ミリーナに言ったのか、自らに言い聞かせる為の独り言なのか。自分でもよく分からなかった。
フィリアが床に払い捨てた『せかいじゅ』を拾い、埃を払う。
「...まだ、自分が何者かも分かっていない子供なんだ。」




