11 遭遇
遡ること数時間前。
フィリアがヘンセル教官との容赦ないマンツーマン特別訓練を受けている最中、ガルとルーフはというと今日も今日とてお使いに駆り出されていた。
「なんか都合良く毎回行かされてるけど、俺らの仕事じゃねえよな、これ...」
「ま、息抜きに丁度いーじゃねーか!」
今日の任務は、学内の研究施設や医療関連で使用する薬草の採取。養成学校の裏手に広がる森の奥で群生している薬草だが、奥へ進む程足場は悪く、道中学校が"実習用"に放し飼いしている大量の虫や獣が彷徨いていたりとそれなりの危険や不快感を伴うため、頑強かつ使いパシリの良いガルとルーフが毎回適任とされる訳である。
しかし、そこで二人は違和感を覚えた。
「なんか、いつもとちげーよな?」
確かに森は生きている。
風に揺れる梢、舞う木の葉、川水の香り。
しかし、鹿の足音、猪の荒い息、鳥の群れ。普段なら耳に煩いほど聞こえるその音が、今日はその姿が一切無かった。
「...妙だな」
不意にガルが足をもつれて転ぶ。
運動神経では学内トップ級のガルが足を引っかけるところなど久方ぶりに見たルーフ。ただ転けた訳ではないとなんとなく察し、手を取って起こす。
「んだ、これ・・・!?」
ガルの足を取ったのは、沈んだ地面。足跡だった。
人のような形状の長方形の足裏に前方に五本の指が付いているが、指と指の間の間隔や熊のような巨大さから明らかに見知った生物ではないことが分かった。
普通ならすぐに学校に報告しに行くだろうし、そうするべきだ。
しかし二人の野生児は、己が好奇心に抗えなかった。
「あっちだなぁ...?」
草木が踏み倒され、まるでトンネルのような獣道が出来ている。
また、捲れた土がまだ崩れていないことや、潰された草木が立ち直っていないことなどからこの巨大な何かが通ったのはつい先程の事であると分かる。
つまり、この獣道を辿ればーーー。
「よーい...ドン!!あっ!!テメェ、フライングだろ!?」
「ハッ、もう保険かよ!」
ガルとルーフ、二人には互いの父親より課せられた、まるで十字架のような約束があった。
「『常在戦場』ォ!!」
常に二人は二人だけの戦場にいる。生まれ、立ち上がる早さから二人は競争し続けてきた。
「「うおおおおおお!!!」」
生まれてから16年間、365日毎日が勝負と計算するとして、少なくとも5840戦。
一日の中で二人が争っていない時間の方が短いので、仮に一つ一つの勝負を計算するならば数万を超える勝ち負けを決しているだろう。数字を数えられるようになる頃には勝手に競争されていた互いの戦績など当の父親すら数え切れなくなっていた。
先頭を走るのはルーフ。それを追うガルである。
純粋な身体能力で言えば勝つのは恐らくガルだろうが、ルーフは純粋な筋力が突出していた。
平地で徒競走するなら、勝つのはルーフだろう。しかし、場所は森の中だった。
ルーフが木の根や泥濘んだ土に苦労している間に、ガルは木と木の間を伝い、飛び回り差を詰める。
「ガハハー!!先行くぜルーフぅ!!」
「んなっ、ずりーぞ!!」
無我夢中で足跡らしきものを探りながら走っているうちに、二人はいつの間にか自分が森のどこへ居るのか分からなくなっていることに気が付いていなかった。
「うおおお...!って、ここ、どこだ?!」
久々に地に足を着けたガル。後ろから追ってきているはずのルーフの姿が見当たらなかった。
そしてルーフとのかけっこに夢中になるあまりあの足跡など見ずに我武者羅にひたすら森を駆けていた自分を思い出す。
「うーん、まじーな、これは...」
「ガル!」
腕を組んで空を見上げていると、後ろからルーフの声がした。
「お、ルーフ!遅かったなぁ?この勝負、俺の勝ちだ!」
ルーフがどんな悔しい顔をしているか見ようと顔を見るが、目が自分と合っていない。
目線的に、自分よりも高いところを見ている。
「ガル!!後ろ!!」
「あー?あー、ルーフきゅん俺の後ろだったかしらぁ?これで俺の何戦何勝ーーー」
「後ろッ!!」
ルーフと一向に目が合わない。合わせたくない、という感じでもなく、上を見たまま、上に向かって指まで指している。
「あ?ーーーうおッ!?」
後ろを振り向かせて猫騙しかとも思いつつ、敢えて引っかかってやるつもりだった。
振り向いた先に居たのは、体長3mはあるであろう大猿。橙色の厚い毛皮からも透ける肥大化した筋肉。
瞳は白く濁り、まるで同じ生物には思えない。
本能的に危機を感じ、後ろへ飛び退いた。
こちらを見ているのか、何も見えていないのか、白目を剝いているせいで判別しにくい。しかし、目の前の大猿からの殺気が痛い程肌に突き刺さってきた。
人を食うのだろうか。目の前にいるのは、紛れもなく腹が空かせた猛獣だった。
異常なまでに発達した前腕。振るわれれば人間とは比べ物にならない威力を誇るだろう。
大猿は目の前の人間を吟味するように、観察するように仁王立ちしたまま動かない。しかし、ビリビリとぶつけられる野獣的な殺気と圧倒的な巨体が、全身の細胞がこの生物を追ってきた自分達の愚かさを悔い、また同時に高揚している。
本能的に一瞬でも目を離せば狩られると感じたガル。間合いを少しずつ取っていると、同じくルーフが小さな声で後ろから言う。
「ガル、次にあの猿の口から涎が零れたら一気に飛び上がれ」
16年に渡る修行と勝負の勘だった。どんな生物だろうと、自分なりの攻撃を仕掛けるタイミングがある。1.2.3と数えるでもなく、意識もしない程のタイミングが。その無意識は、例えば一息ついた後だったり、準備を整えた後瞬きをした時だったり。
飢えた猿の口から、唾液が溢れ、一滴。
「飛べッ!!」
「っ!!」
ガルが飛び木の枝に捕まった直後、自分の右側にあった木が地面ごとなぎ倒され、同時に大猿の右腕にはその木の樹皮が抉り握られていた。
「おいおい、マジかよ...」
木の枝を静かによじ登り、二人は息を潜めた。
狩りたい。戦ってみたい。
純血の戦士としての血が二人を沸かせるが、ここで死ぬ訳には行かないと理性が止めた。
幸い、大猿は自分の不意打ちの一撃を躱されるとは思っていなかったようで、その視界からは逃れたようだ。
しかしその場から大猿は離れようとしない。
ようやく見つけた獲物を取り逃す気は到底無いようだ。
「ふむ、此奴で最後か?」
橙の毛皮を持つ首の飛んだ猿。推定Bレート、と言ったところか。地面に鮮血を撒き散らし息絶えている。
「はい。依頼の竜種、赤狒々の討伐必要体数は八体。これで依頼完了です。まだ森には何体か残っている様ですが、如何なさいますか?」
「何?まだ居るだって?...ああ、そういやまだ群れの長が残っているか」
討伐した赤狒々の耳を袋から広げる。どれも人と同じような大きさの個体だった。
赤狒々は縄張り意識の強い竜種だ。特に警戒すべき項目として、自分達の天敵や脅威さえ無ければ、攻撃的な赤狒々を縄張りの外で暴れさせて自分達の縄張りを広げようとする、侵略的な習性を持っている事だ。
この群れを支配する長は、並の赤狒々とは比べ物にならない力を持つ。赤狒々の群れの序列は常に実力至上主義であり、同族殺しさえも厭わない。
いくら下っ端を殺した所で、長を討伐しなければこの森の全ては直ぐに赤狒々の縄張りとなるだろう。
放置しておけば学園近くの人間に危害が加わるのも時間のうちだ。
「私個人の意見としましては、敢えて長を残しておく事で暫く安定した収入が手に入れられるのではないかと...」
「ファイザ、君はその傲慢かつ危険な思考を止めろと何度言ったら聞くんだ?長を狩るまでこの森からは出ない」
頭頂にストンと軽い手刀を入れ、ファイザと呼ぶ小柄の男に叱責するタンクトップ一枚の女性。
「は、はい!ヒバナ様、申し訳ありません...」
「分かったなら良いさ。いいかいファイザ、民を守る為竜種を狩ることは私達調査団の権利であり義務だ。稼ぎなんて二の次三の次で良いんだよ。...準備が整い次第探知を始めてくれ」
柔らかい物腰で諭し、身構える。
「はいっ!!....前方北西45°、1.2km先に大型竜種の鳴動あり」
ファイザが目を閉じ暫く集中した後、ブツブツと声を出した。
「承知した。【凝剣:朱雀】」
ヒバナの脚が紅蓮の羽根の生えた、鳥脚の形状へと変容した。
「捕まれ、ファイザ」
ファイザをお姫様抱っこして抱え、その脚にグッと力を込め、その方向へ向かって一気に跳躍する。
「はひっ...!!」
ファイザの瞳は完全にハート色だった。




