表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
37/42

第36話 社畜、再会する

 夕闇が宿場町を包み始める頃、俺たちは表通りを抜け、辰巳屋の暖簾の前に立った。二階建ての木造、格子窓からは柔らかな灯が漏れ、暖簾には「辰巳」の染め抜き文字。通りに面しているせいか、出入りする客の姿もちらほら見える。


 「桐生殿、霧丸――お前たちは外だ。裏口や出入り口を監視して、怪しい動きがあればすぐ知らせろ」


 「了解。」

 美弦は短く頷き、周囲の路地を素早く見回した。

 「変なとこに首突っ込まないでよ」

 その言い方が妙に引っかかったが、反論する間もなく、美弦は霧丸を伴って裏手の方へと消えていく。


 霧丸は角を曲がる直前、一度だけ振り返り、低く「ぐる」と喉を鳴らした。

 (……了解ってことか)


 「さて……堂々と入るぞ」

 九条の低い声に頷き、俺たちは暖簾をくぐり、辰巳屋の中へ足を踏み入れた。


 竹鈴の澄んだ音が、ほんの一瞬、外界と内側を切り離す。板の間に進んだその瞬間――奥からすっと現れた女の姿に、俺の足は止まった。


 「……あら」

 艶やかな紅の着物、腰まで届く黒髪をゆるく結い、白粉の香りを纏った女が、こちらへ微笑みを向ける。唇が柔らかく弧を描き、俺の顔をじっと見つめた。


 「どこかで会ったわね、坊や」

 その声は、柔らかいのにどこか掴み所がない。次の瞬間、彼女の瞳がわずかに細まり――

 「そうそう、“またね”って言ったわよね。……現実になったじゃない」


 胸の奥に、妙な感覚が走る。既視感――いや、これは確かに知っている。雑踏の中で漂った甘い香り、袖がかすめた瞬間、扇子の端で肩を軽く叩かれた感触。そして、唇だけで告げられた「またね」。


 橋場宿で、お上りさんみたいに市場をうろついていた自分。あの艶やかな着物姿、金のかんざし、袖口から香った甘い匂い――全部が一瞬で蘇る。


 「えっと……」

 言葉を探す俺に、女将は首を少し傾け、目尻を細める。

 「……ふふ、覚えていてくれて嬉しいわ。坊や、名前は?」


 (……色気が過ぎる)

 胸の奥でざらつく感覚を押し殺し、俺は視線を外しながら名乗った。


 ――――――――――

 名前:辰巳たつみ

 年齢:21歳

 称号:女将(辰巳屋)

 流派:


 《スキル》

 ・陰陽術 :【皆伝】★★★★★☆☆☆☆☆(18,554 / 20,000)

 ・呪術  :【皆伝】★★★★★☆☆☆☆☆(11,230 / 20,000)

 ・交渉術 :【皆伝】★★★★★☆☆☆☆☆(10,890 / 20,000)

 ・魅惑術 :【中伝】★★★★☆☆☆☆☆☆(8,920 / 10,000)

 ・謀略術 :【修練】★★★☆☆☆☆☆☆☆(4,546 / 5,000)

 ・薬術  :【中伝】★★★★☆☆☆☆☆☆(7,903 / 10,000)

 ――――――――――


 ――そして、浮かんだのは陰陽術と呪術に優れたステータス。やはり、この女……ただの宿の女将じゃない。


 九条が一歩前に出て、涼やかな声で告げる。

 「今宵は三人と一匹、お世話になる。二間、隣同士を用意してくれ」

 「まあ……“一匹”まで数えるお客様は初めて」

 女将の視線が玉藻を撫でる。玉藻は小首を傾げ、金色の瞳でじっと返す。


 「それでは――」

 女将はゆったりと振り返り、廊下へと歩き出した。腰のあたりで結ばれた帯が揺れ、その動きに合わせて黒髪がさらりと流れる。後ろを歩く俺は、無意識にその動きに目を奪われ――すぐさま「いやいやいや」と首を振った。


 (社畜だった頃、こんな色香むんむんの職場環境なんてなかったぞ……)


 廊下は丁寧に磨かれ、板の間から仄かに香木の匂いが漂っていた。女将の草履の音が、ゆったりと響く。

 「こちらですわ」

 突き当たりで彼女が立ち止まり、襖をすっと開ける。


 中は六畳ほどの和室。新しい畳の香りと、格子窓から差し込む夕陽が、赤と金の光を床に描いている。

 「お湯は裏手の湯殿をご自由に。夕餉は酉の刻にお持ちしますわ」

 女将は扇子を閉じ、艶やかに一礼すると、静かに襖を閉めた。


 残された俺たちは、しばし無言。九条は表情ひとつ変えずに荷を下ろし、兵衛はわずかに眉をひそめていた。俺は……心臓の鼓動がまだ早いままだった。


 「……妙に落ち着かん女ですな」

 兵衛が低く呟く。


 「落ち着かん?」


 「色香もそうですが……何かを隠しておる顔だ」


 胸の奥がざわつく。あの視線や立ち居振る舞い、全部が計算のうちってことか。


 九条は、小さく頷いた。

 「確かめる必要があるな。夕餉までに準備を整えろ」


 俺たちはそれぞれ荷を解きながら、今夜の腹の探り合いに備えることにした。




 酉の刻――

 襖がすっと開き、香の甘い匂いと共に辰巳が現れた。手には漆塗りの膳。湯気の立つ鍋、焼き魚、香の物。並べられるたび、部屋の空気がゆっくり満たされていく。


 「口に合えばよいのだけれど」

 辰巳は俺の正面に膝をつき、箸を揃えて差し出す。その距離が近い。わずかに袖口が触れそうになり、胸元からほのかな白粉と花の香りが流れてくる。


 (……近いって。ていうか目線、妙に絡めてくるな)


 九条は箸を受け取りつつ、まるで感情を挟まぬような声で言う。

 「立派なもてなしだ。だが、これほどの品数を出せる宿はそう多くはないだろう」


 「ええ。ここは特別なお客様ばかりですから」

 辰巳は笑みを崩さない。だが、その瞳の奥にわずかな光が走る。


 兵衛は酒の徳利を手に取り、平然と酌を受けながらも口を開いた。

 「“特別”とは、腕の立つ旅人か、それとも懐の暖かい者か」


 辰巳は小首を傾げ、意味ありげに俺へ視線を送る。

 「……どちらも、かしら」


 (おい、なんで俺を見る)


 九条が間髪入れず口を挟む。

 「女将の目は鋭い。客の素性も、腕も、よく見抜けると聞く」


 「ええ、それが商売ですもの」

 辰巳は扇子を軽く打ち合わせ、柔らかく笑った。だが、その笑顔の奥にある温度は、まるで計算で冷やされているように見えた。


 辰巳が湯呑に茶を注ぎ、俺の前に置く。

 「旅の話を、聞かせてくださる?」

 その声音は優しいのに、耳の奥にわずかな圧を感じさせた。


 (……やっぱり、探ってる)


 俺は茶の湯気越しに、九条と兵衛の表情を盗み見た。二人ともわずかに頷く――これは油断するな、という合図だった。


 「旅の話?」

 俺は茶を一口含み、わざとゆっくりと置いた。

 「そうだな……その前に、女将さんの話も聞かせてほしい」


 辰巳は微笑みを崩さず、扇子で口元を軽く隠した。

 「わたくしの話なんて、退屈よ」


 「いや、そうでもないだろう」

 俺は視線を合わせる。

 「この町の表通りで、若い女性が旅籠を切り盛りしてるなんて、珍しい話だ」


 九条が淡々と味噌汁をすくいながら言葉を添える。

 「資金力、仕入れ先、信用――いずれも簡単には揃わぬものだ」


 「ふふ……お二人とも、まるで役人の詰問みたい」

 辰巳はさらりと笑い飛ばした。声も所作も、どこまでも艶やかで、間に棘は感じられない。


 兵衛が酒を一口あおり、軽く笑う。

 「若い女が、この宿場でこれほどの旅籠を切り盛りするとは……並大抵ではござらん」


 「偶然よ」

 その返しは一拍の迷いもなく、あまりにも自然だった。


 「偶然にしては出来すぎている」

 俺はわざと軽く挑発するように言った。


 辰巳は目を細め、扇子をぱたりと閉じた。

 「……しょうがないわね」


 ふっと笑みを薄め、膝をわずかに崩すと、静かな声で語り始めた。


 「あるところに、一人の少女がいたの。村一番の美人でね」

 「あるとき、それを聞きつけた隣領の殿様が、少女をさらいに来たのよ」


 室内の空気が、ゆっくりと重く沈む。茶碗を持つ手の温度さえ、少し下がった気がした。


 「戦になったわ。でも隣領の方が強かった。地元の殿様は討たれ、少女は館へ連れて行かれた…その先は、言わなくてもわかるでしょう?」


 彼女の視線が、一瞬だけ俺の目を射抜く。背筋の奥に、かすかな冷気が走った。


 「精も痕も尽き果てたころ、ようやく解放されたの。でもね、村に戻ったら…何も残ってなかったの。妖が襲ったんですって」

 「少女はすべてを失った。けれど、世の中の理不尽に抗うことを決めたの。そのためなら、なんでもしたわ。一歩一歩進んで――今じゃ、こんな旅籠の女将にまで上り詰めたってわけ」


 言い終えると、膳の上に小さく息を吐き、薄く笑った。

 「おしまい」


 沈黙。部屋の外から、遠く鍋の煮える音がかすかに聞こえる。


 「……」

 俺が口を開こうとした瞬間、辰巳は扇子で口元を隠し、軽く肩を揺らした。


 「あらやだ、作り話よ。真に受けないで」

 その笑顔は、さっきの話が冗談だったのか、本当だったのか、一切の手掛かりを残さない。


 「ねぇ坊や、あんまり詮索ばかりしてると、せっかくの夕餉が冷めてしまうわ」

 にこりと笑い、膳の一品を俺の前へ押し出す。


 気がつけば、九条も兵衛も言葉を飲み込み、場の空気は完全に辰巳のものになっていた。


 (……くそ、流れを持ってかれた)


 女将は涼しい顔で箸を進め、話題を旅の土産話や町の噂へと巧みに誘導していく。結局、核心には一歩も近づけないまま、夜は静かに更けていった――。

よろしければ、評価やブックマークをお願いします!

執筆の励みになります!!m(_ _)m

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ