奴隷村
「よしっ、着いたぞ」
千萩は泳いでいた脚を止めると、背中におぶさっていた大地を、美萩と協力してゆっくりと地面へ降ろした。
大地が顔を上げると、目の前には岩肌をくり抜いて造られた集落が広がっていた。
海底に横たわる巨大な岩山には、いくつもの丸い穴が穿たれ、それぞれが住居になっている。穴の入口は木材や流木で補強され、屋根代わりに貝殻や海藻が幾重にも重ねられていた。家々は地面に半ば埋まるように造られ、まるで歴史の教科書で見た竪穴式住居を思わせる造りだ。
住居と住居の間には細い通路が巡らされ、洗濯物代わりに干された海藻や魚皮が、水流に合わせてゆらゆらと揺れている。派手さこそ無いが、人々が力を合わせて築き上げた生活の跡が、そこかしこに感じられた。
「暗いだろ……言いたくは無いが、ここは奴隷村って言うんだ」
「奴隷……村?」
怪訝な表情を浮かべる大地の手を、美萩はそっと握る。
「この国の王様にね、気に入られなかった人たちは、この村で強制労働をさせられるの……。辛いけど、これがこの国の制度なの……」
「そんなこと、許されるわけが……」
思わず語気を強めた大地に、美萩は優しく寄り添った。
「美萩、大地を頼む。アタイは源爺を連れてくるわ」
「うん」
美萩が小さく頷くと、千萩は慣れた様子で集落の中へと泳いで行った。
「大地くん。この国には、この国のルールがあるの……。今からこの村の村長、源爺が色々教えてくれるから……ね」
大地は美萩と並び、奴隷村を眺めながらしばらくその場で待った。
粗末な住居ばかりの集落だったが、不思議と荒んだ空気は感じられない。子どもたちが家々の間を元気よく泳ぎ回り、どこからか食事の支度をする匂いが漂ってくる。決して豊かではない。それでも、この場所で懸命に今日を生きる人々の息遣いだけは、確かに感じられた。
◇
「ほら、源爺。足元に気を付けて、ゆっくり来てくれよ」
「馬鹿を言うでない。まだワシは、そこまで老いぼれてはおらんわい」
しばらくすると、千萩の後ろから一人の老人が姿を現した。
真っ白な髪に、胸元まで伸びた豊かな顎髭。手には長年使い込まれた老木の杖を携え、その穏やかな佇まいは、まるで仙人を思わせる風格を漂わせている。
大柄な千萩の隣に立つと、その小柄な体格がより際立って見えた。
「ふおっ、ふおっ、ふおっ。若くて威勢の良い男じゃのう……大地と言ったか? ワシは北野源。この村では皆から『源爺』と呼ばれとる。お主も今日からそう呼んでくれ」
「初めまして。湯本大地と申します。今日からお世話になります」
美萩の隣で、大地は深々と頭を下げた。
「ふおっ、ふおっ、ふおっ。そんなに固くならんでもええ」
源爺は優しく笑いながら、長い髭をゆっくりと撫でる。
「お主がこの世界へ来てから、襲われ、奪われ、捕らえられ、こんな辺鄙な村まで連れて来られたことは聞いておる。今すぐワシらを信用しろと言う方が無理な話じゃ」
一度言葉を区切ると、源爺は大地の目を真っ直ぐ見つめた。
「じゃが、一つだけ願いがある。今日から、この村の皆を家族として受け入れてやってほしい。それだけでええ……」
そう言うと、源爺は大地に向かって深々と頭を下げた。
思いもよらぬ行動に、大地は目を見開く。
「わかりました……と言いたいところですが、まだ軽々しく返事はできません。でも、この国のことを知りたいんです。教えてください。そのためなら、俺にできることは何でもします」
大地も負けじと、もう一度深く頭を下げた。
「ふおっ、ふおっ、ふおっ。立ち話も何じゃな。さあ、ワシの家へ来るがよい。ワシの知っておることなら、何でも話してやろう」
「ありがとうございます」
安堵したように礼を述べる大地の隣で、千萩は小さく笑みを浮かべた。
「良かったな」
◇
「こっちじゃよ」
千萩と美萩に付き添われながら進む源爺の後を、大地は静かについて行った。
やがて、一行は村の外れに建つ小さな住居の前で足を止める。
周囲の家々より一回り小さなその住居は、岩肌をくり抜いて造られた質素な造りだった。
「千萩、美萩、ありがとう。ここで良いぞ」
二人に支えられていた源爺はゆっくりと地面に降り立つと、丁寧に頭を下げた。
「源爺、またな」
「源爺、大地くんをお願いね」
二人はそう言い残し、それぞれの仕事へと戻って行く。
「座って半畳、寝て一畳。狭い家じゃが、入っておくれ」
流木で作られた扉を開け、源爺は大地を家の中へ招き入れた。
「お邪魔します」
大地が中へ入ると、源爺は杖で天井近くを漂う一匹のクラゲを軽く突いた。
すると、クラゲが淡く発光し、薄暗かった室内が柔らかな光に包まれる。
部屋の中には、流木を削って作られた食器や机、小さな寝床があるだけだった。贅沢な物は何一つない。しかし、隅々まで掃き清められ、丁寧に暮らしていることが伝わってくる。
「ふおっ、ふおっ、ふおっ。驚いとるな。こんな質素な部屋だからか?」
「……いえ、驚いたのはそこじゃありません」
大地は首を横に振る。
「部屋もそうですが……村全体が思っていたより、ずっと綺麗だったので。奴隷村って聞いた時は、もっと汚れていて、不潔な場所だと思っていました」
「ふおっ、ふおっ、ふおっ」
源爺は満足そうに顎髭を撫でた。
「なるほど。ならば、この国の話をする前に、『能力』について話した方が良さそうじゃな」
「能力……」
「そうです。千萩さんも美萩さんも言っていましたが、その能力って何なんですか? それに、どうして俺は痛みを感じないんですか?」
「焦るでない。それと、堅苦しい言葉遣いはせんでええ。『俺』で十分じゃ」
源爺は穏やかに微笑む。
「百聞は一見にしかずじゃな」
そう言うと、源爺は大地の服に残る乾いた血痕へ静かに手をかざした。
ゆっくりと布を撫でるように手を動かす。
すると――。
こびり付いていた血が水に溶けるように消え去り、汚れていた服は新品のような美しさを取り戻した。
「……えっ!?」
思わず大地は目を見開く。
「これがワシの能力、『浄化』じゃ」
源爺は自慢するでもなく、穏やかに言葉を続けた。
「どうやら、この世界へ来る時、ごく稀に能力を授かる者がおるらしい。能力は一人ひとり違う。同じ能力を持つ者はまずおらん。千萩も美萩も、それぞれ違う能力を持っておる。お主が痛みを感じないのも、その能力によるものかもしれん。」
「だったら……!」
大地は勢いよく立ち上がった。
「今すぐ真夏さんを助けに――」
「待つんじゃ、小童」
穏やかだった源爺の眼光が鋭く光る。
振り返って部屋を飛び出そうとした大地の腕を、源爺は老いた腕とは思えない力で掴んだ。
「……その目じゃ」
源爺はぽつりと呟いた。
「昔のワシも、そんな目をしておった……。それとな、まずは、ワシの話を最後まで聞け!」
その力強さに大地は思わず足を止め、源爺の迫力に気圧されるように座り直した。
しばらく二人の間に静寂が流れる。
やがて源爺はふっと表情を和らげ、いつもの笑顔に戻った。
「ふおっ、ふおっ、ふおっ。素直ないい子じゃな」
「それとな、この村では敬語はよい。ここでは家族なんじゃ。肩肘張らず『俺』で話せ。」
◇
「ふおっ、ふおっ、ふおっ。落ち着いたか? では改めて、お主が今いる場所について話すとしよう」
大地は源爺の顔をじっと見つめる。
「それとな、一つ約束しておくれ。この話を聞き終えたあと、またすぐに部屋を飛び出したりせんことを……」
源爺も負けじと大地を見つめ返した。
「……わかりました」
その鋭い眼差しに気圧されるように、大地は静かに座り直す。
「……よろしい」
源爺は満足そうに頷くと、白く長い顎髭をゆっくりと撫でながら話し始めた。
「まずは一番大事なことから話そう。この国の名は『ワダツミ王国』。おとぎ話に出てくるような人魚たちが暮らす海底の王国じゃ。そして、この国を治める王の名はドラド。お主と一緒に来た娘は、その王のもとへ連れて行かれたのじゃろう」
「……ドラド」
大地は小さくその名を呟く。
握り締めた拳は震え、怒りを押し殺しているのが源爺にも伝わっていた。
「そして、儂らが暮らしておるのが、この奴隷村じゃ。残念ながら、儂らは人魚たちにとって、ただの労働力に過ぎん。岩山を掘り、鉱石を採り、それで日々を生きておる」
「そんなの……今すぐ人魚たちを――」
「まあ待て」
源爺は静かに大地の言葉を遮る。
「この国におるのは人魚たちだけではない。獰猛な鮫の群れや、人魚ですら近寄らぬ危険な海底生物も数多くおる。お主、人魚たちと戦いながら、鮫の群れまで相手にできるか?」
「そ、それは……」
言葉に詰まる大地を見て、源爺は静かに続ける。
「それにじゃ。お主ひとりが先走れば、人魚どもはお主だけを捕らえて終わりにはせん。この村の者たちまで危険に晒すことになる」
源爺は大地の目を真っ直ぐ見据えた。
「だから、まずはこの村での暮らしに慣れることじゃ。そして……死んではならん」
一拍置き、源爺はゆっくりと言葉を続ける。
「何があっても、生きるのじゃ」
「……でも、それでも……」
「わかっておる」
源爺は優しく微笑み、大地の肩にそっと手を置いた。
「安心せい。儂が聞いた話では、お主と一緒に来た娘は、ドラド王の妃であられるツバキ王妃への献上品となったそうじゃ。ツバキ王妃は聡明で慈悲深いお方。命まで奪われるようなことは、まずあるまい」
源爺は「ふおっ、ふおっ、ふおっ」と穏やかに笑う。
「待てば海路の日和ありじゃ。あまり一度に詰め込み過ぎると、頭がパンクしてしまうじゃろう。今日はこのくらいにしておこうか」
そう言って肩に置いた手に少しだけ力を込めると、源爺はゆっくりと立ち上がった。
「千萩、美萩。大地を家まで案内してやってくれ」
「「はぁ〜い!」」
返事は、どうやら家の外から聞こえてきた。
源爺は思わず苦笑する。
「ふおっ、ふおっ、ふおっ。最初から聞き耳を立てとったようじゃな」
◇
源爺の家を出ると、この世界の空と呼ぶべき海の天井は、ゆっくりと薄暗さを増し始めていた。
昼間、あれほど鮮やかに輝いていた巨大な光の塊は、まるで部屋の灯りが少しずつ落とされるように光を弱めていく。その代わり、海中を漂う無数の夜光虫が淡い薄緑色の光を放ち、まるで満天の星空のように辺りを静かに照らしていた。
そして、大地の視線の先には、一際大きな岩山を削り出して築かれた巨大な建造物がそびえ立っている。
青や桃色に輝く珊瑚や発光生物に彩られたその姿は、夜の海底で幻想的な光を放ち、まるで夜空へ届きそうなほど荘厳な存在感を放っていた。
「あそこに……真夏さんが……」
大地は唇を強く噛み締める。
今にも駆け出したい衝動を、必死に押さえ込んでいた。
「源爺も言ってただろ? きっと大丈夫だよ」
千萩が励ますように、大地の肩を軽く叩く。
「そうよ、大地くん。そんな顔しないで。今日は美味しいものを食べましょう? こう見えても私、料理は得意なんだから」
美萩は空気を変えるように、パンッと両手を叩いて笑顔を見せた。
「そうだな……新人、大地の歓迎会でもするか。美萩の料理は本当に美味いぞ」
「ふふっ。美人二人に囲まれて歓迎会なんて、嬉しいでしょ?」
美萩はいたずらっぽく笑う。
「それとね、大地くんのお家は千萩が造ったんだよ」
(この世界へ来た人たちは……思っていた以上に逞しいんだな)
大地は改めて二人の横顔を見つめた。
過酷な境遇に置かれながらも笑い合い、支え合って生きている。
その姿は、大地の胸に少しだけ温かな光を灯した。
(大丈夫……真夏さんも、きっと大丈夫だ)
王宮を見つめていた視線を二人へ向ける。
「千萩さん、美萩姉さん。ありがとうございます」
「えっ?」
「きゃーっ! 聞いた? 千萩、聞いた!? 『美萩姉さん』だって! 『姉さん』って呼んでくれた!」
美萩は子どものようにはしゃぎ回る。
一方の千萩は少し照れ臭そうに頬をかきながらも、どこか嬉しそうだった。
「千萩姉さん」
「ん?」
「俺、この世界で何とかやっていけそうです。……いや、何とかじゃない。必ずやっていきます。だから、これからも色々教えてください」
「ああ、任せとけ」
千萩は頼もしく笑うと、自分の胸を軽く叩いた。
(待てば海路の日和あり……か)
源爺の言葉が脳裏によみがえる。
(でも俺は待つだけじゃ終わらない。この世界でも強くなる。もっと強くなって、必ず真夏さんを助け出す)
その決意だけは胸の奥深くに秘めたまま、大地は千萩と美萩の後ろを静かに歩き始めた。
奴隷村の家々には次々と灯りがともり、貧しくも温かな一日が、静かに更けていくのだった。




