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九月の舟  作者: すのへ
12/25

掃き溜めに鶴

 道は集落を抜けようとしていた。中島と穂坂さんはふりかえることなく、ふたりだけの世界にあそんでいるようだった。いい感じだなとほっと息をもらしたとき、由倉さんがもじもじしながら小さな声で言った。

「あの。ちょっとあれなんだけど。わたし、トイレ」

「え。いや。こほ。あ、そ。ここらへんだと。えーと。あ、お寺がある」

 中島に声をかけるのははばかられたが不測の緊急事態である。

「おーい中島。お寺で休んでいこう」

 石柱の間を入っていくとこぢんまりとした境内で、鬱蒼と茂る木立を背後に本堂と住居らしい建物がひっそりとたたずんでいる。

「鵜飼くん、ついてきて」

「え。ええ?」

 しりごみするぼくの手を引っぱって由倉さんは前を向いたまま声を低めて言った。

「しばらくふたりにしておきましょ」

「え。どうするんだ。おれは」

「なかで待ってればいいでしょ」

 ぼくと由倉さんは住居のほうへ向かう。玄関の戸をあけて声をかけながら土間に入る。

「こんにちは!」

 応答はない。

「すいませーん!」

 大きな声を出してみる。やはり応える気配はない。由倉さんと声を合わせて呼びかけてみる。それでも答えはない。留守なのか。聞こえないだけかもしれないと土間の奥へ行こうとしたら二階で足音がした。はっとして目を上げると広い廊下にある階段から白いソックスがのぞいた。

「はい?」

 え。聞いたことのある声だと瞬時に思った。固唾を呑んで見守っていると白いソックスから小麦色のすらりとした脚が現われ、セーラー服のスカートがひらりと閃いた。足が途中の段で止まると、顔がぼくたちのほうを恐る恐るのぞき込んできた。

「あ」

 その顔を見るやぼくは息をのんだ。沖野牡丹だ。

「まァ」

 彼女のほうでもぼくの顔を見るや安堵したらしかった。

「なーんだ、キミかあ。聞いたような声だと思った。どうしたの。文次先生を訪ねて来たの? 留守よ」

「え。文次先生って?」

 ええっー。心底びっくりして状況がよくわからず混乱していると由倉さんが口を挟んだ。

「すいません。おトイレ借りに」

 言うが早いか教えられたほうへすっ飛んでいった。沖野さんは由倉さんを見送って笑う。

「なによ。トイレ借りにとび込んで来たの?」

「えーと、ここは」

「やだ。ほんとに知らないで来たのね。ここ、文次先生の下宿よ」

 ぼくは耳をうたがった。ますます混乱してくる。だって文次先生の下宿に沖野牡丹が一人で。もちろんぼくの頭には沖野さんと文次先生とのスキャンダルの噂が飛び交っていた。あえてそれを無視すべく努めて、沖野さんが文次先生の下宿にいる合理的な理由をさがしはじめた。生徒が教師の住まいを訪ねるのはよくあることだ。興味本位に連れ立って押しかけるのは珍しいことではない。

『でも一人で来るか?』

 物理か地学のことで質問に来て部屋で帰りを待っているだけかもしれない。それなら一人でも不自然ではない。

『そんなの学校でいくらでもできるし緊急の質問なんてありえない』

 なんとか自分に言い訳できそうな状況を想像してみるが事実には勝てない。ぼくは心のどこかで沖野さんと文次先生とのことは根も葉もない作り話であることを願っていたのだが、そんな望みは容赦なく粉砕される。沖野牡丹が現実にここにいることがすべてを雄弁に物語っていた。

「あの子、同級生なの? おもしろい子ね」

 立ちつくすぼくを見て沖野さんは悪びれることなく話しかけてくる。落ち着き払った態度にぼくは動揺を抑えきれず、怒気をふくんだ声でこたえた。

「し、し資材の、ちょ、調達に来たんです!」

「そうなの。暑いのたいへんね」

 沖野さんは、ぼくのようすには頓着せず落ちついた声で言う。ぼくは肩すかしを食って毒気をぬかれる。なんか、部室で見る沖野さんとは調子がちがう。へんに大人びていて別の世界から見られているような気がする。密会?が露見したのだから少しは気後れぐらいしたらと思う。

「あーあ、たすかった」

 由倉さんが戻ってきた。戻ってくるなりぼくを見て言った。

「鵜飼くん。あんたさぁ、ぼーっとしてないで紹介してちょうだい」

「え。あ、そうか。えーと、彼女は由倉さんです。こちら新聞部の沖野さん」

「いつも鵜飼君がお世話になってます。じゃちょっと」

 あいさつもそこそこに由倉さんは何を思ったか二階に上がりかける。

「先生は留守よ」

 沖野さんがあわてて止めようとしたのを見てぼくは少々不快だった。温めていた巣を侵犯されるのを畏れたように見えたからだ。

「文次先生なんか用はないです。ちょっと休ませてもらおうと思って」

 意外な答えに沖野さんは目を丸くしてあらがった。

「汚い部屋よ。とても休む気にはなれなくてよ」

 言葉遣いが妙にていねいになっている。部室ではしとやかさとは対極なのに。

「うわさに聞いてますから汚いのは承知してまーす」

 由倉さんはわけのわからないことを言いながら二階に上がってしまった。

「鵜飼くんも上がってらっしゃいよ」

 しょうがないなあとつぶやいて階段下にたたずむ沖野さんを見る。はにかむように彼女は笑みを作っていた。

「いいわよ。どうぞ」

 沖野さんがどうぞというのはおかしいだろ。彼女の部屋じゃないんだから。ぼくはまた腹が立ったがおとなしく階段を上がる。二階は外から見たよりずっと広く廊下の片側に部屋がいくつかならんでいた。

「宿坊をそのまま下宿にしたそうなの。広いでしょ」

 文次先生の部屋にぼくたちを招じ入れながら沖野さんはそう言うのだが、たしかに天井を見れば優に十畳以上はありそうだったが、室内は足の踏み場もないありさまで、これでどこに寝るのだろう。

「ね。休むどころじゃないでしょう」

 わずかに空いたすき間に由倉さんと沖野さんが収まり、ぼくは窓の桟に腰をかけた。

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