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after coffee  作者: 小林 小鳩
6/6

#06

最終話です。嶋野視点の番外編です。

自宅の近所の駐車場に、いつも仰向けで寝転がっている猫がいる。

首輪はしてないが毛並みはいいし、毛が長くいかにもペット風な猫なので、飼い猫だろうか。

少し太った白猫は、今朝もなでてくれといわんばかりにごろんと腹を出している。

こいつはきっと、誰にでも心許しちゃうんだな。


懐かない猫ってかわいいね。

気まぐれで警戒心ばっかり強くて、こちらから歩み寄れば逃げてしまう。

でも誰もいないところでなら、そっと近づいてきて触らせてくれることもある。

征服欲が満たされるというのだろうか。

そんな人見知りの野良猫みたいな奴を、手懐けようとしてる最中。



「嶋野さん、さっき浅川さんから今日は欠勤って電話きましたよ」

朝、出社すると同僚からそう言われた。

そういえばあいつはいつも俺より早く来るのに、まだ来てない。

「風邪みたいです。電話の声、笑っちゃうくらい超ガラガラでー」

「そう……じゃあ、急を要するやつだけ俺にふって」

携帯を見たけど、浅川からのメールも着信もない。

あいつのことだから、どうせ会社に行けばわかるだろうとか思ってんだろう。

案の定、会社の方のメールに事務的に送られてきている。

近寄ってきて触られてくれるのかと思ったら、ふいと顔を背けて行ってしまう猫みたいな。

嫌われてるわけじゃなくて、それは気まぐれだったり照れ隠しだったり。

そういう思い通りにならないとこが、愛らしいんだけどね。


会社帰りに浅川の家へ寄ると、なんで来たのとでも言うような表情で俺の顔を見る。

ずっと寝ていたのだろう、髪が寝癖でぐちゃぐちゃで、毛並みの悪い野良猫みたいだ。

「予防接種したから、インフルエンザじゃないとは思うけど」

「なんか病人の顔してるな。熱、まだあんの?」

「7度台まで一応さがった。薬飲んで寝てたらだいぶ良くなった……」

「ちゃんと食べてる?」

「3時くらいに1回起きて、薬飲む為にカップのうどん食べた」

「風邪だっていうからきたのに、おまえ結構元気でつまんねえな」

「……俺に何の期待をしてたんだ。一人暮らし長いからさ。

いつ具合悪くなってもいいように、粉末ポカリとカップ麺と薬は常備してるし」

かすれた声で、いつものように軽口を叩く。

「おじや作ってやるから、ちょっと横になっとけ」

病気になったっていうから、もう少し気弱なとこが見れるかと思ったのに。つまらないな。

冷凍庫のご飯を解凍して、余ってたにんじんとネギと卵でおじやを作って部屋へ持って行くと、

ベッドに寝転がってうつらうつらとしながらテレビを観ていた。

寝癖まみれの髪をわしゃわしゃと撫でると、目を逸らして口を尖らせる。

髪に触れるといつもそうやって、拗ねるような仕草をして、俺の手をはねのける。

でもしばらくすると少しだけ撫でさせてくれるのをかわいいと思って、ついついやってしまう。

「生姜湯買ってきたけど飲む?」

「……飲む。氷もちょっと入れて」

こうやって胃が充たされると少しだけ甘えたようなことも言う。

まあ、簡単に懐かないのがいいんだけどね。

近づいたと思ったら、また避けられたり。嫌われたと思ったら、甘えられたり。

そういう距離感、嫌いじゃないよ。


「あ、そうだ。明日までに返さなきゃいけないDVDあるんだけど、観ていい?」

浅川がごそごそとレンタル屋の袋を取り出した。

「俺、これシーズン3の最初の方で挫折しちゃった」

「3は後半からすげえ面白くなるのに。

海外ドラマに出てくるアメリカ人ってなんでみんなコーヒーメーカーで大量にコーヒー作って、

やたらでかいタンブラーに入れて出勤するんだろう」

いつもこうやって、俺は気にならないことにばっかり興味を持ってる。

猫が動くものや光るものに興味持つ時みたいに、ものを見てる。

「たまにコーヒーメーカー欲しくなるんだけど、金ないからなー……。

子供の頃、実家にミル付きの結構いいやつがあったんだよ」

「……あのさ、うちに使ってないコーヒーメーカーがあるんだけど。使う?」

「本当? 欲しい。俺もでかいタンブラーにコーヒー淹れて出勤したい」

なんだそりゃ。そう言いかけて、止めて。

違う部類に属する全然違う人間だって、お互いよくわかってる。

なんでこんなに違うんだろうって思いながら、違う部分を探りたいなんて欲を出してみる。

「浅川は、人と違うことをして馬鹿にされるのが嫌じゃないんだ」

俺がそう言うと、浅川は俺の顔を少し見てまた目を逸らして。

「……嫌に決まってるだろ、そんなの。

でもそれは他人の価値観であって、自分の価値観でやりたいと思ったことを諦める理由にはならない」

「……そっか、嫌なのか」

「人に影で笑われて平気だと思ってたのか、おまえ」

「割とそう思ってた。悪かったわ」

「ふざけんな」


風邪薬を飲んだせいで眠くなったらしく、最初の内はうつらうつらしながらたまにはっと起きていたが、

もう完全に無防備に眠ってしまっている。

風邪程度の病気なんてなんでもない、って振る舞ってたけど、やっぱり元気な訳ではないのだ。

浅川って結構猫っ毛なんだな。額に触れると少し熱い。

少し癖のある髪の中に潜らせるように指をつっこんで、もてあそぶ。

眠っている間に撫でるのは反則かな。熱でほんのり赤く染まった頬と首筋をなぞるように、唇で触れる。

すると突然がばっと目を覚まして飛び起きた。

「うわ、寝てた! ごめん!」

「いいから寝とけ。あと一応明日も休んどけ。俺がフォローしとくから」

「熱が下がったら行く……」

「週の真ん中だし、おまえ1人くらい休んでも大丈夫だって。明日もまた来るからさ。

DVDも明日の晩に俺が返しに行ってやるから」

「なんか嶋野が変に優しすぎて怖い……」

「病人だからだろう。普段も結構優しいつもりなんだけど」

「まあね。優しいね」

何か食べたいものある? と訊くと、缶詰の黄桃買ってきてと。

意外と子供っぽいところあるんだな。明日はヨーグルトも買って行こうかな。



「しまのくんは八方美人だね」

子供の頃同級生にそう言われ、八方美人の意味を辞書で調べて、なるほど自分のことじゃないかと腑に落ちた。

愛想が良くてお調子者なのは生まれつきで、特別なことをしようとしなくても周りに人が集まった。

ひとりっこだったから誰かに囲まれるのは嬉しかったし、大人も褒めてくれた。

軽い嘘を吐くだけで人を傷つけずに丸く収まるのなら、その方がいいと思ってた。

誰からも良く思われたいなんて、当然だ。

生まれたときからこの調子で生きてきて、他のやり方を知らないんだから今更変えようがない。

この性格は得だと知ってるし、結構楽しいし。


優しく接すれば、優しく返してもらえる。

人にしてもらって嬉しいことを、人にする。

人に喜ばれることをしなさいって、学校で教わったからやってるだけ。

それだけ。俺は何にも悪くない。


でもあいつは違った。

休み時間には誰とも遊ぶことなく教室の後ろの水槽ばかり眺めてた、小学校の同級生。

なんでみんなと一緒に遊ばないの、その方が面白いよ。

そいつにそう声をかけると、俺のことを八方美人だと言った。

「しまのはよくても、ほかのみんなはそうおもってないよ」

「しまのくんは八方美人なんだね」

俺の心のどっかに、そういう言動を取れば大人に褒められる、

誰からも好かれるいい奴に思われるって計算があったのかもしれない。

だって周りに集まってくる人数イコール俺の価値で、俺は他人に認められてるって安心出来る。見返りを求めて何が悪い。

それを簡単に見抜かれたことが悔しくてたまらなくて、卒業までずっとそいつとは話さなかった。

クラスの人間関係を良くする為に、嘘を吐いた。あいつに構うなって。

孤立しても影で何言われても何でもないという顔をして、いつも1人でいた。

その姿を見る度、自分がひどく臆病な人間だと言われているような気がして、たまらなかった。

それぞれ違う中学に進学して、それから後は誰も知らない。


浅川がウチの事業所に配属されてきた頃、あいつのことを思い出した。

嘘が苦手で、まっすぐで不器用で、自分を誤摩化さない。

誰に何を言われても揺るがない強さがあって、

人に嫌われようが気にしないで思ったことを正直に出す奴なんだなと思った。

それ故に周りに誤解されてる部分が多くて、敵ばっかり作ってるけど。

あの時のあいつには上手く接することが出来なかったけど、今ならそういう奴とももう少し上手くやっていけるんじゃないか。

たとえあの時の罪滅ぼしだとしても。

そうだな、気にしてないわけないよな。俺、浅川のことまだ良くわかってなかったんだな。

……これからもっとよく知ればいいか。

それにやっぱり、少しの嘘だって、たまには必要だ。



「さっき電話して聞いたら、浅川今日も休むって」

出社して、目の前にいた女子社員たちにそう告げると。そうなんですか……と一瞬やや戸惑いがちにして。

正直浅川さんいてもいなくても回るよね、と笑い混じりに話しだした。

おいおい、本人いないからって言いたい放題だな。

おまえらは浅川が本当はどんなやつか知らないくせに。

「口や態度に出ないだけで、浅川はよくやってるよ。ミスや問題起こしたことないし、作業速いし」

俺がそう言うと、女子社員たちは少し困ったように顔を見合わせて笑いながら

「いえいえ、そうじゃなくってなんか、ねえ……?」

「うん……愛想がないっていうか、ちょっと怖いっていうか」

「いい大人なんだから私たちにもっと優しくしてもらいたいかな? って」

「……俺なら影でこそこそ自分の悪口言ってるやつに優しく出来ないなあ」

みんな鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして俺を見ている。

……やってしまった。

「あー、ごめんごめん。気にしないで。俺も大人げなかった」

嶋野さんならいいんですよー、と女子社員たちは笑ったが、俺はなんだか。

なんだか、自分の悪口を言われたような気がしてた。

「まあ、あれはあれで、意外と気遣いだよ。

こっそりホチキスの針だのコピー用紙だの備品を補充してくれる、心の優しい妖怪程度に思っとけば」

笑っていつも通り振る舞って何事もなかったように仕事に戻る。

いつも通り振る舞っているフリをしているのが、自分でもよくわかって、胸が詰まる。

随分と似合わないことをしてしまった。

なんか、なんていうかさ。

見返りとかそういうの全然考えなくて、庇ったり褒めたり喜ばせたりしたい。

そういう風に思える相手って、俺にしては珍しいな。

思ってる以上に浅川のこと考えてるというか。思ってるより余裕がないというか。

これはあれだ、例の治らない病気だ。



ドアを開けると浅川は明らかにさっきまで寝てました、という顔をしていた。

「寝てた?」

「寝てた。一日中寝てたからだるくて。風邪薬で寝るとだめだわ。気持ち悪い……」

「普段の休みの日も一日中寝てるくせに」

眠たそうにしている姿は凄く無防備で、いつものつんけんしている様子が嘘のようだ。

飼われてる猫が人見知りしないで寄って来るような、あんな感じ。

中華スープの素と蒸し鶏と椎茸で中華風粥を作って部屋へ戻ると、浅川はベッドで寝息を立てていた。

こいつは本当、寝てる時が一番幸せそうだな。

俺が今日会社で何やらかしたかなんて、こいつは全く知るところではないんだろう。

知られても構わないけど、気恥ずかしいので知らないままでいて欲しい。

本当の気持ちはどっか少しぐらい秘密にしておきたい。

「黄桃、買ってきたよ」

冷やした黄桃をつまんで口元に付けると、とろんと意識のはっきりしない様子で薄目を開けて、熱い舌で指先ごと食べた。

まるで猫が水を飲むような舌の動きで。

口元のシロップを指で拭ってやると、ふっと笑ったように見えた。

あ、懐かれた。

この野良猫は、もういつでも撫でさせてくれる猫だ。


「土曜に例のコーヒーメーカー、持ってきてやるから」

「じゃあ、いい豆出さないとな」

珍しく口角をあげて嬉しそうに笑う顔を、横目で見る。

並んだ色違いのマグカップと、猫の仕草と体温。


君は知らない。

俺の昔の恋人はコーヒーが好きで、お金を半々で出し合って2人でコーヒーメーカーを買ったこと。

そいつの部屋に置いていた私物を引き上げる時に、持っていってと渡されたこと。

君は知らなくてもいいこと。

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