春の太陽と感謝の言葉
年内のブタクサ姫の更新はこれがラストになります。
「“我が手は慈しみの手。我が光は癒しの光。疾く癒せ、汝が傷痕を”」
眩い金色の光が、寝台に臥せっていたカレンさんの全身を覆い尽くして輝きます。
「“真・治癒”」
一瞬で泡が弾けるようにして光が消え去ると、紙のように白かったカレンさんの顔色が目に見えて良くなりました。
以前の私の治癒術は獣人族の聖巫女であるウタタ様から手ほどきしていただいたものを基に、私なりにアレンジしたものでしたけれど、その後、成り行きとはいえ聖都で一年間正式な巫女の修行を積んだことで、ずいぶんと様式も様変わりして、効率や効果も高まり通常の基礎的な“治癒”であっても、高等治癒術並の効能を発揮する――言うなれば私限定で「今のはメラ○ーマではない、メ○だ」を実践してしまったわけです。
とはいえ某大魔王同様に、あくまでこれができるのは私だけ――個人の資質や能力などの違いによる限界があるのでしょう――同じ詠唱をしても他の巫女には真似ができなかったことから、
「あんたのオリジナルの治癒術ってことにしないと収まりがつかないから、今後は術の前に『真』ってつけること!」
と、差別化をはかるようにテレーザ明巫女様から念を押されたのは、いまとなっては良い思い出です。
ちなみにこれを聞いたコッペリアは、
「基礎で高等治癒術並の効率を叩き出すんでしたら、高等治癒術なら聖女並に死人でも甦らせることができるんじゃないですかね? 実験したいですね。どっかに死人がいませんかね」
とか物騒なことを言っていましたけれど、さすがに高等治癒術までアレンジするだけの時間的な余裕がなかったので無理だと思います。ま、そのうちおいおい手を付けたいとは思いますけれど……。
「“爽やかな微風よ。暖かなる息吹よ、此の者を蝕む病魔を疾く打ち払え”」
続いて温かな微風のようなものが、カレンさんの毛先から爪先までゆるゆると包み込み、ゆっくりと温泉に浸かるかのように体の芯まで染み透って行きます。
「“真・回復”」
施術が終わった途端、ほう……と、ため息をついたカレンさんですが、一息ついたところで自分の体調の変化に気付いたのでしょう。驚いたように瞬きをして、
「……軽い。なんだか生まれ変わったみたいに体が軽いわ!」
表情を明るくして寝台から起き上がろうとするのでした。
「ああ、無理はしないで今日明日は休んでいてください。とりあえず産後の肥立ちが悪い原因である子宮復古不全――胎盤や卵膜の一部が子宮に残った状態になり、子宮が元の状態に戻れなくなっていたところ――と、出産による骨盤のゆがみ、それと体内のホルモンバランスが崩れていたのを平常な状態へ治したので、これで健康体へなったはずですが、出産時の出血と熱で失われた体力はすぐに回復するものではありませんから、まずは食事と休息で体力を戻すことを第一に考えてください」
「そうだよ。無理をしないでゆっくり休みなさい」
私が嗜めるのと同時に、エルシィちゃんを抱いたアンディが彼女の枕元へ寄り添い、片手でそっとその細い肩を押し止めました。
「でも、ずっとあなたひとりで宿のこととエルシィのお世話をしてくれていたのに……」
「そんなことはたいしたことじゃないよ! それよりも君が元気になってくれるのが一番の僕たちの幸せだ。――ねえ、エルシィ?」
そう言ってエルシィちゃんを母親であるカレンさんの傍らへと、そっと寄り添わせます。
「……エルシィっ」
そんな我が子を感無量といった面持ちで抱き締めるカレンさん。
寄り添って幸せを噛み締める親子三人。
あるべき仲睦まじいその姿はとても自然で、とても尊い……まるで一幅の宗教画のように私には見えました。
同時に、もしも私に思いを馳せてくれるあのふたりのどちらかと、順調に交際を続けた場合、その延長線上にはやっぱりこういうこともあるんだろうなぁ……という、漠然とした期待? 恐怖? 不安? なんともいえない感情が湧き上がります。
「――ありがとうっ! 本当にありがとう、ジル!! どんなにお礼を言っても足りないよ。本当はずっと不安だったんだ。カレンを喪うんじゃないか……エルシィを泣かせるんじゃないかと……」
やおらその場へ深々と頭を下げるアンディ。声が滞りがちですけれど、もしかすると泣いているのかも知れません。
「ええ、私からも心からお礼を申し上げます。ありがとうございます巫女姫様。また私を……私たちを助けてくださって、本当にお礼の言葉もございません……」
同じく感極まった様子で、我に返ったカレンさんも寝台に上体を起こした姿勢から威儀を正して、頭を垂れるのでした。
「そんな! 私は友人として私に出来ることをしただけですから、そんな風に畏まらないでください……って、え? 『また』?」
ふと、カレンさんの気になる台詞を改めて口に出して、私は小首を傾げます。
カレンさんは見たところ十九~二十歳ほど(二十歳過ぎると行き遅れ感のあるこの世界では適齢期でしょう)。アンディにお似合いな華やかではありませんがしっとりと落ち着きのある雰囲気の女性です。
ただ確かに、最初に紹介された時から、確かに……どこかで逢った事があるような気がしていたのですが、どうしても思い出せずにモヤモヤしていました。
そんな私の謎解きをご本人が慎ましく微笑みながら教えてくれます。
「正式にご挨拶をしたわけではありませんので。あの、覚えておられますか。旧北の開拓村のデメリオ村長宅で給仕をしていた――」
「あっ!!」
そこまで言われればさすがに思い出しました。
「あの時のメイドをやっていた方ですわね!」
「……同業者ですか」
なぜか対抗意識を剥き出しにするコッペリア。
それはそれとして、言われるまで気がつかなかったのは不覚として言い様がありませんが、当時の彼女といまのカレンさんとでは、ぱっと見の印象がぜんぜん違います。
ですがこちらのほうが彼女の地なのでしょう。当時の切羽詰ったような、張り詰めた雰囲気と険が取れて、すっかり柔和で明るい表情になっていることに心から安堵しました。
「あの後、北の村は離散して、身寄りのなかった私は統治官様のお力添えでこの村へ移住したのですが……」
「で、食堂で給仕として働いていたところを、僕が惚れ込んで一年かけて口説き落としたってわけさ」
得意そうに口を挟むアンディ。
「本当は生涯結婚などしないつもりでいたのですが……」
北の開拓村での仕打ち――村長親子による様々な辱め――を思い出してか言葉を濁すカレンさんですが、アンディはあっけらかんとしたもので。
「過去なんてどうでもいいことさ。僕が知っているカレンは慣れない土地で、たったひとりで頑張る素敵な女性だからね。嫌な過去に囚われるよりも、幸せな記憶でこれからを塗り潰していこうってプロポーズしたんだよ」
「わあ、意外と情熱的だったんですのね! でも、素敵なプロポーズですわ」
惚気るアンディと満更でもない顔で微笑むカレンさん。その傍らではエルシィちゃんがすやすやと眠っています。
「あの北の村で寒風にさらされていた私のすべてを救ってくれた巫女姫様は、私にとって春の太陽のような存在でした。どれほど感謝してもし足りない……そしていまも。もう何度生まれ変わっても返しきれないご恩があるのです」
「うん。それは僕も同じだよ、ジル」
再び深々と頭を下げるふたりですが、
「いや、ちょっと待ってください! それは別に私が何かしたわけではなくて、おふたりの絆でありおふたりが自力で掴んだ幸せですので、私などに恩義を感じる必要などまったくございませんわっ」
あまりにも律儀過ぎるその態度に、私は慌ててふたりに頭を上げるようにお願いするのでした。
「感謝してるんだから、させときゃいいんじゃないですか、クララ様?」
「それだけの行いをしたのならともかく、私の場合は場当たり的にできることをしただけなので、感謝される謂われはないわ!」
それが当然という顔で嘯くコッペリアですが、そこまで私は厚顔になれません。いたたまれなさで死にそうです。
「エレン先輩も言ってましたけれど、クララ様は自己評価が低すぎると思いますよ」
と、そんな私の言葉を受けて、コッペリアが珍しく真顔で反論しました。
「……そんなことは」
「あると思うな」「そうですね」
再反論しようとした私の機先を制する形で、ようやく顔を上げたアンディとカレンさんがコッペリアに同意します。
「私は……巫女姫様が来てくれたおかげで地獄から抜け出せました」
そっと胸に手を当てるカレンさん。
「僕と村の皆はジルのお陰で食べるものにも不自由せず、村人の誰も離散せずにここに根を下ろすことができた」
そんなカレンさんの肩に優しく手を回すアンディ。
「巫女姫様の取り持ってくださった縁でアンディと知り合うことができました」
「ジルのおかげで救われた北の村人はいま妖精族の一部と協力して『白樺の村』という村を開拓しているんだ。チャドもいまはそこにいるよ」
「そしていまも私を助けてくれた。そのお陰でこの子の笑顔を守ることができました」
「僕たちだけじゃない沢山の人たちがジルに助けられたと思っている」
「巫女姫様、勝手な言い分かも知れませんが、貴女は私の……皆の希望であり暖かな光でもあります。そこにいるだけで冬の氷も溶けるような優しい日差し。だからきっとここだけではなく、巫女姫様が関わった多くの場所で救われたと感じている人たちはいることでしょう」
「その君が『自分は大した人間ではない。詰まらない行いをした』と自分と自分の行いを卑下するということは、つまりは君に救われた僕たちなんてもっとどうでもいい存在なのだと……そう言ってるも同然のことなんだよ?」
歌うように……ありのままの想いを淡々と伝えてくる、ふたりの思いがけない――けれども鋭い針で刺されるような――指摘に私は狼狽して、同時に刺された場所から胸が張り裂けるような痛みのまま叫んでいました。
「……そんなっ。そんなこと一度だって……!!」
「うん。そうだろうね。けれどそういうことなんだよ。だからもっと自分に自信を持った方がいい。救われた僕たちが胸を張って誇れるように。けれど無理はしなくていい、君は君らしくしていればいんだよ、ジル」
「ええそうね。巫女姫様がいまのありのままでいることが大事。だって人が人を救うのなんて、ちょっとした親切やなにげない言葉で十分なんですもの」
「そうだね。ジル、君にだってあるんじゃないのかい? 人の温もりやちょっとした感謝の言葉がずっと心に残って大切な思い出になったなんてことが」
「…………」
「だから改めてお礼を申し上げます。アンディに……そしてなによりこの子を私に会わせてくれてありがとうございます。巫女姫――いえ、ジル様」
三度、深々と頭を下げるふたりを前に、もはや返す言葉が見当たらず、
「――あ……」
言葉にならない呻き声を上げたまま途方に暮れる私を、マーヤと青六が心配そうに見詰める(青六には眼窩はありませんけれど)眼差しを感じます。
それと同時に、いつも私を温かく見詰めて見守ってくれていたルークやエレン、ブルーノ、セラヴィやモニカ、リーゼロッテ様、ヴィオラ、クリスティ女史……様々な人々の眼差しに支えられてきた私自身を自覚するのでした。
「――それはともかく、なんか騒々しいですね」
と、そこで不意に踵を返したコッペリアが部屋――店舗である宿に付随する夫婦の寝室――のドアを無造作に内側に開けると、
「「「「わわわっ……!」」」」
途端、雪崩を打ったかのように子供たちが部屋の中に転がり込んできたのでした。
「なんだなんだぁ! ……ロイ、お前たちか!?」
目を見張ったアンディの視線が、先ほど裏門のところで二番目に私の相手をした十三歳ほどの少年へと向かいます。
「へへっ、ごめんよアンディの兄貴。だけどひどいよ、ずっと巫女姫様を案内するジャンケンをしてたのに、いつの間にか置いてきぼりにするなんて」
「「「そうだそうだ!!」」」
口を尖らせる少年たちの言い分に、「あ、あ~~っ…!」と思い出して膝を打つアンディ。
「……本当に?」
「間違いないって、あの時の……」
と、そんな倒れた少年たちの背後から押し殺した女の子たちのささやき声が聞こえてきて、続いてちらりと扉越しに部屋の中を窺う十歳ほどの女の子の横顔が覗きました。
「あ――っ!」
その子はフードを下ろしたままの私と視線が合うと、ぱっと花が咲いたかのような笑顔を見せ、
「お姫様だ! あの時のお姫様だよっ!」
そう振り返って興奮して呼びかける、その声に従って少年たちの倍近い数の少女たちが一斉に扉のところへ鈴なりになります。
「お姫様だーっ!」
「本当だ~~っ!」
「綺麗~~っ、凄~~い!」
いきなり黄色い声が飛び交う児童公園状態になった室内ですが、
「……お姫様、あたしたちのこと覚えてますか?」
戸惑う私へひとりの女の子がおずおずと不安そうに尋ねてきました。
「ええと……もしかして、以前に来た時にエレンと一緒に『赤の花冠』を作った――」
なんとなく少女たちのこの感覚を思い出して口に出すと、その台詞が終わらないうちに、女の子は首が落ちるのではないかと思われる勢いで首肯をして、
「ほらぁ、言ったとおりでしょうっ。あたしたち前にお姫様と花の冠を作って遊んだんだから! 嘘じゃなかったでしょう!」
鼻高々で数人のやや及び腰でいた女の子たちに自慢をするのでした。
どうやら間違えてなかったみたいですが、半数の女の子たちが威勢が良く、あと半分の子たちが後ろめたいような、気後れしたような顔をしているのは、つまり状況から察するにどうやら外から来た彼女たちに、以前私と一緒に遊んだ子たちが、
「むかし、おひめさまと遊んだことがあるんだもん!」
とか吹聴したところ信じてもらえずに嘘つき呼ばわりしていた……といったところでしょうか?
「あの時の子達なんて五歳か年長の子でも七歳くらいで、遊んだのも数日くらいだったのに……」
よく覚えていたものだと感心してしまいます。
同時に先ほどのふたりの言葉――
『人が人を救うのなんて、ちょっとした親切やなにげない言葉で十分なんですもの』
『人の温もりやちょっとした感謝の言葉がずっと心に残って大切な思い出になったなんてことが』
――を思い出して、はっと胸を衝かれる思いで視線を寝台の方へ向ければ、「ね、言ったとおりだろう(でしょう)?」と、言いたげな微笑が返ってきました。
◆◇◆◇
「お姫様、またね~っ!」
「巫女姫様、今度は俺の名前を言ってくれればすぐに門を開けるぜーっ」
「おひめさま、次は一緒に花の冠を作ってね~!」
「ジルっ、今日はありがとう。次に来た時にはカレンの料理を食べていってくれ。彼女のシチューは絶品なんだ。僕たちは貧乏で何のお礼も出来ないけれど、せめてここに来た時にそれくらいはさせて欲しい、頼むよ」
夕刻。別れを惜しむ男の子や女の子、アンディの見送りを受けながら、私たちはまた裏門を通って帰路に就きました。
いつまでもこちらに手を振る皆に手を振り返し、その姿も声も聞こえなくなったところで、私は立ち止まって暮れなずむ夕日を背景に沈む、小さくなった西の開拓村をもう一度振り返って視界に収めます。
「……来てよかったわ」
そんな偽りのない私の万感の思いを込めた一言に、
「そうですか。まあ、余計な時間を取られましたけれど、クララ様が納得なされたのならそれでよかったのではないですか」
コッペリアがいつもの情緒もなにもない調子で相槌を打ってきました。
「納得……できたわけではないけれど。それでも良かったと思えるわ」
そう続ける私の胸に去来するのは、さきほど別れたばかりのアンディ、カレンさん、エルシィちゃん、そして沢山の子供たちの笑顔。そして数多の友人たちの微笑みでした。
「不思議ね。これまで嫌なこともあったはずなのに、殺されそうになったことも、人から悪意や侮蔑を向けられることも数え切れないほどあるはずなのに、こうして思い出せるのは沢山の素敵な思い出といい人たちの笑顔だけなの」
誰に言うでもなく、私は私に語り掛けるつもりでそう言葉を重ねます。
「だから、これから先どんなに辛いことがあっても、誰かに憎まれても、大好きな人に嫌われても……それでも、きっと私は誰かを怨んだり憎んだりはしないでしょう。だって私はそれ以上に人を、皆を、この世界を好きだから」
ふと、頬に暖かなぬくもりを感じて見れば、マーヤが知らずいつの間にか頬に流れていた私の涙を拭ってくれたのでした。
「――ありがとうマーヤ」
その触手の一本を掴んで私は思わず頬擦りをする。そんな私の様子を無言で眺めていたコッペリアは、小さくため息をついて、
「クララ様はいい人過ぎますよ」
それから肩を竦めて、
「てゆーか、そういう考えの人間を、人は“聖女”って呼ぶんじゃないんですかね」
そう付け加えるのでした。
「ところでさっきお店でお米を買っていたみたいだけれど、どうするのそれ?」
「これですか? 庵の屋根が上がったので上棟式をやろうと、デクノボーが言い出しまして」
「じょーとーしきぃ?!」
「ご存知ありませんか? 新築の屋根の上から餅や小銭をばら撒く超帝国の儀式ですよ?」
「……超帝国ってもしかして……」
ジルに疑念が生まれた瞬間であった。
「……それはともかく、もち米でないとお餅にはならないと思うけど……」
「えっ、そうなんですか!?」
12/29 ご指摘により誤字脱字を修正いたしました。
12/30 誤字の修正を行いました。




