↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
77/151

奏者なき旋律

――その頃。



崩落した岩壁の向こう側。



「…………おい」



朱槍のドレヴァンは、地面へ並べられた荷を見下ろしていた。


その隣では、補給兵が困惑した顔で帳簿を開いている。



「これで全部なのか?」


「……はい」


「水も?」


「はい」


「食い物も?」


「これで全てです」



ドレヴァンは眉を寄せた。



全くないわけではない。


だが、ここに取り残された千人近い兵を長時間維持できる量ではなかった。


予定通り本隊へ追いつけるのなら問題はない。


しかし、崩落の復旧が長引けば話は変わる。



「いや、待て」


ドレヴァンが頭を掻く。


「向こうに持ってったんだろ?」



補給兵は帳簿へ視線を落とした。



「そのはずです」


「記録では、主要な物資は本隊側へ回したことになっています」


「予備もか?」


「……恐らく」



歯切れの悪い返事だった。



ドレヴァンは少しだけ考えたものの、すぐに崩落した岩壁へ視線を向けた。



「ならいい」


「俺達はここで何日も野宿するわけじゃねえ」


「道を開けて、殿下達に追いつく。それだけだ」



朱槍を肩へ担ぎ直す。



「今ある分は節約しとけ」


「本隊と合流するまで保てばいい」


「はっ!」



補給兵が頭を下げる。



ドレヴァンはそのまま、崩落箇所へ向かった。



「どうだ!」


「通せそうか!」



工作隊長が、巨大な岩と倒木で塞がれた道を見上げていた。



「簡単ではありません」


「ですが、全てを撤去する必要はありません」


「人と荷が通れるだけの幅を確保するのであれば、何とか」


「それでいい」


ドレヴァンは即答した。


「立派な街道を作れなんて言ってねえ」


「俺達千人が通れりゃ十分だ」



「承知しました」



「使える奴は全部回せ」


「槍しか持ったことねえ奴にも石くらい運ばせろ」


「ただし、二次崩落には気をつけろよ」


「急いで全員埋まりましたじゃ、殿下に笑われるからな」



周囲から小さな笑いが起こった。



「笑われるだけで済みますかね」


「俺なら笑って誤魔化す」


「隊長だけでしょう、そんなの」



今度は、少し大きな笑いが起きた。



それでいい。


ドレヴァンも豪快に笑った。



突然の落盤。


本隊との分断。


十分とは言えない物資。



不安になる理由なら、いくらでもある。



だからこそ。


指揮官まで暗い顔をする必要はなかった。



「おら、動け!」


「殿下達が王国側へ出る頃には俺達も追いつくぞ!」


「こんな石ころに、ヴァレリアの精鋭が負けてたまるか!」



「おおっ!」



兵達の声が重なった。



復旧作業が始まる。



岩を退かす者。


倒木を切る者。


縄を掛ける者。


足場を固める者。



戦闘のために連れてきた兵達まで加わり、少しずつではあるが、確実に道は開かれていった。



落盤による負傷者はいる。


だが、軍が動けなくなるほどではない。



工作隊も健在。


指揮系統も生きている。



敵の姿もない。



何の問題もない。



やがて、崖際に僅かに残された足場を伝い、一人の伝令兵が戻ってきた。



「ドレヴァン様!」


「おう」


「殿下へ伝言は届きました」


「本隊は?」


「予定通り、先へ進まれたとのことです」



ドレヴァンは満足そうに頷いた。



「それでいい」


「こっちを待ったせいで、全員仲良く夜明けに間に合いませんでしたじゃ意味ねえからな」



「はい」


「戻るのは危ねえ。しばらくこっちにいろ」


「道が開いたら、まとめて追いつくぞ」



「はっ!」



伝令兵が離れていった。



全て。


予定通りではない。



それでも。


まだ、立て直せる範囲だった。



そう思っていた。



最初に異変を訴えたのは、ドレヴァンの副官だった。



「……ん?」



隣にいた男が、突然耳へ手を当てた。



「どうした?」


「いえ……」



副官は顔をしかめる。



「妙な耳鳴りが」


「耳鳴り?」


「はい。高い音が……」



しばらく耳を押さえていたが。


やがて首を振った。



「……消えました」


「疲れてんじゃねえのか?」


「かもしれません」



ドレヴァンが笑う。



「俺より先にへばるなよ」


「誰が後始末すると思ってるんですか」


「お前」


「でしょうね」



いつものやり取りだった。



だから。


誰も気に留めなかった。



その僅か後。



「――っ」



副官の身体が揺れた。



「おい?」



胸元を押さえる。


何かを言おうとして。


息を吸う。



だが。


上手く吸えない。



「……ドレ……ヴァン……」



膝が落ちた。



「おい!」



ドレヴァンが咄嗟に身体を支える。



「衛生兵!」


「来い!」



兵達が集まった。



副官を地面へ寝かせ、衛生兵が身体を確かめる。



傷はない。


落盤に巻き込まれたわけでもない。



それなのに。


副官は苦しそうに何度も息を吸おうとしていた。



「どうした!」


「分かりません!」



衛生兵も混乱していた。



額へ手を当てる。


脈を確かめる。


口の中を見る。



だが。


それ以上にできることは多くなかった。



「毒か?」


ドレヴァンが尋ねる。



「……その可能性はあります」


「分からねえのか?」


「毒にも様々あります」


衛生兵は苦い顔をした。


「ですが、傷も見当たりません」


「同じ食事をした者は?」


「何百人もいます」


「水も同じです」



ドレヴァンは周囲を見る。



兵達は。


今も普通に働いている。



同じ物を食べ。


同じ水を飲み。


同じ山道を歩いてきた。



「……ひとまず食い物と水を調べろ」


「副官は?」


「できる限りのことをします」



「頼む」



ドレヴァンは立ち上がった。



原因は分からない。



だからといって。


千人全員を止めるわけにもいかない。



「作業は続けろ!」


「衛生兵は、他に具合の悪い奴がいないか確認!」


「変な物を食った奴がいるなら、全部報告させろ!」



兵達が動き始めた。



岩を動かす音。


斧が木へ食い込む音。


人々の掛け声。



それらが再び。


夜の山へ戻っていく。



だが。



しばらくして。



「……何だ?」



今度は。


工作隊長が耳へ手を当てた。



近くにいた兵が振り返る。



「どうしました?」


「いや……」



男は周囲を見回した。



「何か聞こえなかったか?」


「何か?」


「……笛?」



兵士が耳を澄ませる。



風。


木々のざわめき。


工作の音。



それだけだ。



「何も聞こえませんが」


「そうか……」



工作隊長も。


首を傾げただけだった。



そして。


数分もしないうちに。



「隊長!」



叫び声が上がった。



ドレヴァンが振り返る。



工作兵達の中心で。


一人の男が倒れていた。



先ほどまで。


復旧作業を指揮していた工作隊長だった。



「おいおい……」



ドレヴァンの表情から。


今度こそ完全に笑みが消えた。



「またかよ」



症状は。


副官と同じだった。



上手く息ができない。


身体へ力が入らない。


何かを訴えようとしても、言葉にならない。



衛生兵が駆け寄る。



「どうだ!」


「……分かりません」


「さっきと同じか?」


「似ています」



「毒か」


「それも……断言できません」



衛生兵は唇を噛んだ。



「食事も、水も、多くの兵が同じ物を口にしています」


「なのに倒れているのは、この二人だけです」



周囲が。


ざわつき始めた。



「何なんだよ……」


「山の病気か?」


「毒じゃねえのか?」


「王国の奴らが――」


「静かにしろ!」



ドレヴァンの一喝が響いた。



兵達が口を閉じる。



「敵がいるって証拠はねえ」


「勝手に怖がって、勝手に崩れるな」



ドレヴァンは周囲を見回した。



森。


岩。


月明かり。



誰もいない。



少なくとも。


敵兵の姿は一人も見えない。



「食い物と水は一旦止めろ」


「副工作隊長!」


「はっ!」


「お前が指揮を引き継げ」


「衛生兵は倒れた二人を頼む」


「残りは作業を続けろ!」



次々に命令を出す。



何が起きているか分からない。



それでも。


やるべきことは分かる。



指揮官が倒れたなら。


次が引き継ぐ。



原因が分からないなら。


疑わしいものを止める。



敵がいるなら。


姿を見せるまで警戒する。



それだけだ。



「ったく……」



ドレヴァンが首筋を掻いた。



ぷつり。



僅かな痛み。



「ん?」



何かが止まっている。



小さな。


黒い蟲だった。



蚊によく似た姿。


細い脚。


薄い羽。



「ちっ」



ぱちん。



手で叩き潰す。



掌には。


潰れた小さな蟲。



腹部が。


僅かに赤く膨らんでいた。



「山ん中じゃ虫まで鬱陶しいな」



それだけだった。



夜の山だ。



羽虫の一匹くらい。


どこにでもいる。



ドレヴァンは手を払うと。


再び崩落箇所へ向き直った。



その時。



――キィン。



「……ん?」



耳鳴り。



高い。


細い音。



ドレヴァンが耳へ指を入れる。



「なんだ?」



一度。


首を振る。



音は消えた。



「俺まで疲れてんのかねえ」



誰に言うでもなく呟く。



そして。


歩き出した。



一歩。



二歩。



三歩。



そこで。



胸の奥に。


妙な違和感が走った。



「…………?」



息を吸う。



浅い。



もう一度。



上手く入ってこない。



「おい……」



足が止まった。



心臓が。


異様に速く脈打っている。



視界が。


僅かに揺れる。



「ドレヴァン様?」



近くの兵が振り返った。



「何でも……ねえ」



そう答えて。


さらに一歩。



膝から。


突然力が抜けた。



「――っ!」



朱槍を地面へ突き立てる。



辛うじて。


倒れることだけは防いだ。



「ドレヴァン様!」



兵達が駆け寄る。



「触るな!」



反射的に怒鳴った。



自分でも。


何故そう言ったのか分からない。



毒なのか。


病なのか。


何なのか。



何一つ。


分からない。



ただ。



分かることが一つだけあった。



これ。



副官と。



工作隊長と。



同じだ。



「……冗談だろ」



ドレヴァンが乾いた笑いを漏らす。



敵はいない。



剣も振るわれていない。



矢も飛んでいない。



魔法の光もない。



誰とも。



戦っていない。



それなのに。



副官が倒れた。


工作隊長が倒れた。



そして。



自分まで。



「隊長!」


「衛生兵を!」



声が遠くなる。



その時だった。



――キィィン。



また。


耳鳴り。



いや。



違う。



今度は。


その奥に。



何かがあった。



――ひゅう。



細い音。



――ひゅる。



もう一つ。



高く。



低く。



繋がっていく。



「…………笛?」



誰かが。


そう呟いた。



ドレヴァンではない。



周囲の兵の一人だった。



ということは。



自分だけではない。



耳鳴りではない。



――ひゅるる。


――ひゅう。



風に紛れるほど。


小さな音。



だが。


確かに。



旋律だった。



どこから聞こえているのか。


分からない。



森の奥なのか。


山の上なのか。



あるいは。


もっと近くなのか。



姿は見えない。



何もいない。



それでも。



誰かが。



この山のどこかで。



笛を吹いている。



ドレヴァンの目が。


僅かに見開かれた。



「……てめえら」



荒い息の合間に。


声を絞り出す。



「最初から……」


「いやがったのか……」



返事はない。



ただ。



奇妙な笛の音だけが。



月夜の山へ。


静かに流れていた。



「全員……聞け……」



ドレヴァンは。


朱槍へ体重を預けたまま命じる。



「俺が倒れたら……指揮を繰り上げろ」


「次が倒れたら……その次だ」


「工作を……止めんな」



「ドレヴァン様!」


「殿下達に……追いつけ……」



指から。



少しずつ。



力が抜けていく。



それでも。



最後まで。



敵の姿は見えなかった。



戦う相手さえ。


見つけることができなかった。



やがて。



朱槍が。



ドレヴァンの手を離れた。



からん――。



硬い地面へ落ちた音が。



山中に流れる。



名も知らぬ旋律へ。



たった一音だけ。



重なった。



そして。



姿なき奏者は。



最後まで。



その姿を見せることはなかった。


感想いただけると嬉しいです

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。