正義を名乗る皇子
皇帝ガルディオスが。
ローゼンバーグ王国への侵攻を決定してから、数日後。
帝国宮殿の軍議室には。
帝都に残る皇子達。
帝国軍の将軍。
各兵団の指揮官。
兵站や補給を預かる文官達が集められていた。
長大な卓の中央には。
ローゼンバーグ王国北部の地図が、大きく広げられている。
バルディア帝国と。
ローゼンバーグ王国を隔てる大山脈。
山脈を越える、唯一の主要街道。
そして。
険しい山道を抜けた先。
王国側の出口を塞ぐように築かれた北砦群。
一人の老将が。
地図上の北砦を指し示した。
「北砦群は、大山脈を越えた南側の出口に築かれております」
「砦の背後には、鉱山町から王都へ続く整備された北街道」
「ローゼンバーグ側は」
「短い補給路を使い、兵と物資を容易に送り込むことができます」
老将の指が。
山脈の北側へ移る。
「対して我が軍は」
「帝国領から峠を越え」
「長く伸びた補給線を維持しながら、砦を攻めなければなりません」
「天然の要害に加え」
「大軍を展開できる場所も限られております」
「正面から攻める場合」
「地の利は、明らかにローゼンバーグ側にございます」
軍議室の空気が。
僅かに重くなる。
大山脈の北側に広がる土地も。
かつては、ローゼンバーグ王国の領土だった。
だが。
過去の帝国との戦争に敗れ。
北部の集落。
森林。
鉱山。
街道。
その多くを奪われている。
帝国軍は。
そのまま北砦を攻略し。
王国本土へ侵攻することもできた。
しかし。
当時のローゼンバーグ王国は。
先代王の浪費と失政によって、既に崩壊寸前だった。
兵を失い。
長い補給線を維持し。
堅牢な砦を攻略するほどの価値はない。
放置しておけば。
いずれ国そのものが滅びる。
帝国は、そう判断した。
「地の利だと?」
第七皇子。
ガルドス・バルディアが、鼻で笑った。
「山と石壁に守られているだけではないか」
若き皇子は。
椅子へ深く腰かけたまま。
地図上の北砦を見下ろしている。
「守っているのは」
「滅びかけた弱小国の兵だ」
「我が帝国の兵とは」
「鍛え方も」
「装備も」
「覚悟も違う」
「ですが、殿下」
老将が慎重に言葉を選ぶ。
「砦を攻める間」
「我が軍の兵站は、山脈を越えて伸び続けます」
「戦いが長引けば」
「数の優位を維持することも難しくなりましょう」
「長引かせなければよい」
ガルドスは即座に答えた。
「地の利だけで戦争に勝てるのなら」
「兵を鍛える必要などない」
その言葉に。
ガルドスの周囲へ座る貴族達から、笑い声が漏れる。
彼らの多くは。
第一皇妃に近い家柄の者達だった。
第一皇妃。
バルディア帝国の正統な血統を引く皇妃。
第二皇子バルカーボと。
第七皇子ガルドスの母。
帝国の旧来貴族を中心とする、強大な派閥を持つ。
そして。
その軍事力を象徴する兵団があった。
「私に」
ガルドスは告げた。
「白銀騎兵団を預けていただきたい」
軍議室が、僅かにざわめく。
白銀騎兵団。
帝国貴族の子弟を中心に構成された、精鋭騎兵団。
磨き上げられた白銀の鎧。
選び抜かれた軍馬。
整然と並び、戦場を駆ける姿は。
帝国の威光そのものと呼ばれている。
所属する貴族の多くも。
第一皇妃派に属していた。
「どれほどの騎兵を、お望みでしょうか」
白銀騎兵団長が尋ねる。
ガルドスは。
迷うことなく答えた。
「全軍だ」
ざわめきが大きくなる。
「白銀騎兵団を、全て……」
「殿下」
一人の将軍が口を挟んだ。
「白銀騎兵団は、帝国軍の主要な機動戦力です」
「一つの戦場へ全軍を集中させれば」
「他の軍団で、騎兵が不足いたします」
「他に必要なのか?」
ガルドスが問い返した。
「北砦を落とせば」
「王都まで続く北街道が開く」
「攻城兵が砦を崩し」
「歩兵が突破口を広げる」
「その後は」
ガルドスの指が。
地図上の北街道を、南へとなぞる。
「白銀騎兵団の独壇場だ」
「弱国の歩兵など」
「白銀の蹄で駆逐できる」
「鉱山町を落とし」
「敵が守りを固める前に、そのまま王都へ駆け抜ける」
ガルドスは。
自信に満ちた笑みを浮かべた。
「私と白銀騎兵団が」
「ローゼンバーグ王国を落としてみせよう」
第一皇妃派の将軍達が。
力強く頷いた。
「さすがはガルドス殿下」
「帝国皇族を害した者共へ」
「正統なる帝国の力を示すべきです」
「バルカーボ殿下の仇を討つに」
「白銀騎兵団以上に相応しい軍はありますまい」
その熱気を。
第三皇子。
グラゼル・バルディアは、上座から静かに眺めていた。
今回の侵攻軍総大将。
現在の皇位継承権第一位。
厚い胸板。
精悍な顔立ち。
皇帝ガルディオスにも似た、鋭い眼差し。
だが。
その血に流れているものは。
帝国のものだけではない。
グラゼルと。
同母弟である第五皇子ロギウスの母は、第三皇妃。
かつて正義と騎士道を掲げ。
帝国の策謀によって敗れた。
ヴァレリア騎士公国の血を引く女性だった。
グラゼルは。
自信に満ちた異母弟を見つめながら。
僅かに口元を吊り上げた。
「面白い」
その一言で。
軍議室が静まる。
ガルドスが。
兄へ顔を向けた。
「兄上?」
「そこまで言うのなら」
グラゼルは告げた。
「白銀騎兵団を全軍」
「お前に預けよう」
驚きの声が上がる。
帝国屈指の騎兵戦力を。
一つの戦線へ集中させる。
まして。
攻め手が不利とされる、北砦攻略へ。
反対意見が出ても不思議ではない。
だが。
副司令である第五皇子ロギウスは。
何も言わなかった。
グラゼルと同じく。
第三皇妃と、ヴァレリアの血を引く皇子。
帝国軍の兵站と情報を預かる男は。
目の前の書類へ視線を落としたまま。
静かに羽根ペンを動かしている。
異議はない。
周囲には。
そう見えた。
「ありがとうございます、兄上」
ガルドスが立ち上がる。
「北砦など」
「三日で落として御覧に入れます」
「三日か」
グラゼルが聞き返す。
ガルドスは笑った。
「必要であれば」
「二日で」
白銀騎兵団に属する貴族達から。
再び笑い声が上がる。
グラゼルも。
その自信を咎めようとはしなかった。
「よかろう」
グラゼルが立ち上がった。
その場にいる誰よりも大きく。
誰よりも堂々と。
軍議室の全員を見渡す。
それだけで。
騒がしかった将軍達が口を閉ざした。
「白銀騎兵団を中心に」
「一万の兵を編成する」
「歩兵」
「弩兵」
「工兵」
「攻城部隊も付ける」
「ガルドス」
グラゼルの鋭い視線が。
異母弟を射抜く。
「北砦を攻略し」
「帝国軍の道を開け」
「はっ!」
ガルドスは胸へ拳を当てた。
「必ずや」
「兄バルカーボの受けた屈辱を雪いでみせます」
「女王エミリアを捕らえ」
「ローゼンバーグの旗を引きずり下ろし」
「帝国の旗を」
「北砦へ掲げて御覧に入れましょう」
白銀騎兵団長が進み出た。
ガルドスの前へ膝をつく。
「白銀騎兵団」
「ガルドス殿下の御旗の下」
「帝国の敵を駆逐することを誓います」
それに続き。
第一皇妃派の将軍や貴族達が、次々と声を上げた。
「ガルドス殿下に勝利を!」
「白銀騎兵団に栄光を!」
「第二皇子殿下の仇を!」
熱気が。
軍議室を満たしていく。
その声を制するように。
グラゼルが片手を上げた。
「この戦は」
低く。
しかし、部屋の隅々まで届く声だった。
「ただ領土を奪うための戦ではない」
「帝国皇族が」
「異国の神と、その神を祀る国によって害された」
「それを見過ごせば」
「帝国の法も」
「秩序も」
「威信も失われる」
誰一人。
声を発する者はいない。
全員が。
侵攻軍総大将の言葉を聞いていた。
「力ある者が秩序を築き」
「その秩序によって」
「多くの民を守る」
「弱国が自らを治めることもできず」
「邪なる神の力を借りて帝国へ牙を剥くというのなら」
「我らが正さねばならぬ」
グラゼルは。
地図上のローゼンバーグ王国へ手を置いた。
「帝国の秩序こそ」
「この大陸に必要な正義だ」
「我々は」
「帝国の正義を示すために戦う」
白銀騎兵団の貴族達が。
息を呑む。
やがて。
一人の将軍が胸へ拳を当てた。
「帝国の正義のために!」
その声へ。
次々と声が重なる。
「帝国の正義のために!」
「帝国に勝利を!」
「グラゼル殿下に栄光を!」
先ほどまで。
ガルドスへ向けられていた熱気が。
今度は。
総大将グラゼルへと集まっていく。
ガルドスが先陣を務め。
白銀騎兵団が敵を打ち破る。
だが。
その軍を動かし。
帝国の正義を掲げ。
戦争そのものを勝利へ導く者は。
総大将であるグラゼルだった。
「ザルガン」
グラゼルが呼ぶ。
第六皇子ザルガンが、静かに立ち上がった。
「ガルドス軍に同行しろ」
「砦周辺の地形と敵戦力を確認し」
「必要であれば弟を補佐せよ」
ガルドスが。
不満そうに眉を寄せる。
「私に補佐など必要ありません」
「お前が必要とするかどうかではない」
グラゼルは冷たく返した。
「帝国軍として必要だから付ける」
「……承知しました」
ガルドスは。
渋々引き下がる。
ザルガンは一礼した後。
地図上の北砦へ視線を向けた。
天然の要害。
王国側へ有利な補給線。
帝国側へ長く伸びる兵站。
そして。
帝国宮殿へ。
何の痕跡も残さず侵入した者達。
「どうした、ザルガン」
ガルドスが声をかける。
「また怯えているのか」
「確認しているだけだ」
「何をだ」
「我々が知っているローゼンバーグ王国と」
ザルガンは地図を見つめたまま答えた。
「今のローゼンバーグ王国が」
「本当に同じ国なのかを」
ガルドスが鼻で笑った。
「滅びかけた小国が」
「少し息を吹き返しただけだ」
「何が変わろうと」
「帝国との力の差は変わらない」
「そうであればいいが」
ザルガンは。
それ以上、何も言わなかった。
軍議は。
ガルドス軍の編成を中心に進められた。
白銀騎兵団のための飼料。
攻城兵器の輸送。
峠道の補修。
北砦前へ陣を敷く場所。
歩兵と騎兵の配置。
砦を破った後の、鉱山町への進軍経路。
議題のすべてが。
北砦へ集中していた。
別の侵攻経路が。
語られることはなかった。
やがて。
将軍達が軍議室を退出していく。
白銀騎兵団の者達は。
すでに勝利を手にしたかのように、ガルドスを囲んでいた。
誰が先陣を務めるか。
誰が最初に王国兵を討ち取るか。
北砦へ帝国旗を掲げる栄誉を、どの家が得るか。
彼らが語るのは。
勝てるかどうかではない。
勝利の後。
誰が最も大きな名誉を得るかだった。
最後に。
ガルドス達も軍議室を後にする。
重い扉が閉ざされ。
広い室内には。
グラゼルとロギウスだけが残った。
先ほどまでの熱気が。
嘘のように消えている。
「白銀騎兵団を全軍」
ロギウスが。
卓上の書類を揃えながら言った。
「随分と大胆な決断でしたね」
「そうか?」
グラゼルは。
地図に記された北砦を見下ろす。
「ローゼンバーグが」
「報告通りの弱国なら」
「ガルドスでも勝てる」
北砦は天然の要害。
攻め手に不利な戦場。
だが。
守る兵が弱く。
装備が粗末で。
指揮も未熟ならば。
帝国精鋭の白銀騎兵団と。
一万の兵を止められるとは限らない。
「砦が落ちれば」
グラゼルは続けた。
「北街道が開く」
「鉱山町を押さえ」
「山脈南側の土地を、帝国領へ加えられる」
「かつて途中で止めた征服を」
「今度こそ完了させられる」
ロギウスが小さく頷く。
「功績は」
「ガルドス殿下のものになります」
「一部はな」
グラゼルの口元に。
僅かな笑みが浮かぶ。
「だが」
「この侵攻軍の総大将は私だ」
「ガルドスがどれだけ華々しく勝とうと」
「帝国へ勝利をもたらした軍の責任者は変わらん」
現在。
皇位継承権の最上位にいるのは。
グラゼルだった。
帝国の領土を広げ。
新たな鉱山と街道を手に入れ。
異国の神によって傷つけられた、帝国の威信を回復する。
その功績は。
次代の皇帝としての立場を、さらに強固なものにする。
「帝国が大きくなれば」
グラゼルは言う。
「いずれ帝国を継ぐ者が」
「受け取るものも増える」
ロギウスは。
兄の言葉を否定しなかった。
「では」
「ガルドス殿下には」
「本当に北砦を落としていただいたほうがよいと?」
「当然だ」
グラゼルは即答した。
「勝てるのであれば」
「勝たせればよい」
「白銀騎兵団も」
「第一皇妃派の貴族達も」
「帝国のために働くなら、使わぬ理由はない」
「ですが」
ロギウスは静かに続ける。
「北砦は、帝国側に不利な戦場です」
「想定以上の抵抗を受ければ」
「白銀騎兵団が、大きく損耗する可能性もあります」
グラゼルが。
弟へ視線を向ける。
「それを気にしているようには見えんな」
「帝国軍の損耗は」
ロギウスは表情を変えない。
「少ないに越したことはありません」
「ただ」
「第一皇妃派が」
「近頃、勢力を広げすぎているのも事実です」
白銀騎兵団には。
第一皇妃に近い貴族が多い。
彼らが北砦を落とし。
ガルドスが英雄となれば。
第一皇妃派の発言力は、さらに増す。
反対に。
北砦で手痛い損害を受ければ。
その軍事的基盤は弱まる。
「勝てば」
グラゼルが言った。
「帝国の領地が増える」
「敗れれば」
「帝国の中が、少し静かになる」
「私は」
ロギウスは淡々と答えた。
「そこまで露骨な言い方はしておりません」
「否定もしないのだな」
ロギウスは答えなかった。
グラゼルは。
再び地図へ視線を落とした。
ガルドスが北砦を落とせば。
帝国が利益を得る。
白銀騎兵団が敗れても。
グラゼルの立場は、大きく揺らがない。
自ら進んで戦場へ向かう異母弟。
その自信も。
血筋も。
支持する貴族達も。
すべて。
帝国の勝利へ繋がるように使えばよい。
それが。
ヴァレリアの敗北から学んだ、グラゼルの正義だった。
「母上の祖国は」
グラゼルが呟いた。
「正義を掲げて敗れた」
かつて。
正義と騎士道を掲げたヴァレリア騎士公国は。
帝国の策謀によって敗北した。
正々堂々と戦い。
正々堂々と国を失った。
敗れた正義では。
民を守れない。
国を残せない。
歴史へ。
自らの正しさを刻むことさえできない。
「策を使おうと」
「弟を利用しようと」
グラゼルは続ける。
「最後に帝国が勝てばよい」
「勝利し」
「秩序を残した者だけが」
「自らの正義を証明できる」
「だから」
グラゼルの目に。
揺るぎない確信が宿る。
「私が正義だ」
「私が帝国を勝利へ導く限り」
「それを疑う者はいない」
ロギウスは。
兄の言葉を否定しなかった。
卓上に広げられていた北部国境の地図を。
ゆっくりと折り畳む。
その下から。
軍議の間。
一度も開かれることのなかった封書が現れた。
極秘を示す。
黒い封蝋。
ロギウスが封書へ手を伸ばす。
「第一の策は」
「ガルドス殿下にお任せするとして」
グラゼルは頷いた。
「第二の策の準備を始めよう」
ロギウスが。
封を切る。
中から取り出されたのは。
先ほどまで軍議で使われていたものとは異なる地図だった。
二人だけの。
もう一つの軍議が。
静かに始まった。
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