ローゼンバーグ王国 視察7日目 ⑤
その時だった。
孤児院の門の方から、小さなざわめきが起こった。
子供達が、いち早く反応する。
「あれ?」
「誰か来た!」
「騎士だ!」
「捕まえてる!」
庭の空気が変わった。
悪の組織ごっこで走り回っていた子供達が、門の方へ視線を向ける。
エミリアもまた、外套を揺らして振り返った。
門の向こうに立っていたのは、ハルトだった。
数名の騎士を従えている。
その後ろには、縄で縛られた三人の男がいた。
オショ。
クージ。
ケン。
セリアをローゼンバーグ王国へ案内し、王都へ至るまでの道中で、荒れた村や支援の届かぬ場所ばかりを見せた太陽神教の神官達。
セリアは、息を呑んだ。
「オショ神官……? クージ神官、ケン神官まで……」
なぜ。
なぜ彼らが縛られているのか。
なぜ、ハルトが彼らを連れているのか。
ハルトは孤児院の庭に踏み入ると、まずエミリアを見た。
そして、一瞬だけ眉を寄せる。
「エミリア様、何故こんなところに?」
確かに、王城へ向かう途中に孤児院はあった。
だが、ハルトからすれば、ここでエミリアが子供達に囲まれ、黒衣の悪女姿で立っている光景は、予想外だったのだろう。
エミリアは、すぐに胸を張った。
「エミィ、よ」
「……はい?」
「私はエミィ。エミリアなんて知らないわ」
ハルトは、数秒だけ沈黙した。
それから、何かを察したように小さく息を吐く。
「あー……そういう日か」
子供達が興味津々で見ている。
「エミィさん、悪い人捕まえたの?」
「悪の組織の敵?」
「正義の味方?」
「違うわ」
エミリアは即座に言った。
「子供達は少し離れていなさい。悪の幹部見習いには、まだ早い話よ」
「えー!」
「聞きたい!」
「悪い話?」
「院長の言うことを聞きなさい。聞けない子は、悪の幹部失格よ」
「幹部失格はやだ!」
子供達は不満そうにしながらも、老女院長と手伝いの者達に連れられて庭の端へ移動していく。
完全には離れない。
けれど、声の届きにくい位置までは下がった。
セバスも静かに位置を変え、セリアのそばに控える。
ハルトは改めて、エミリア――いや、謎の悪女エミィへ視線を向けた。
「エミィさんに聞きたいんだが」
「何かしら」
「エミリア様に処分されて逆恨みしていた奴らが、傭兵を雇って支援部隊を襲わせたみたいでな」
ハルトは、縛られた三人へ視線を向ける。
「調査したら、この三人だった」
セリアは、反射的に声を上げた。
「それは何かの間違いです!」
自分でも驚くほど強い声だった。
オショ達は、確かにエミリアを悪しき女王だと語っていた。
邪神に染まった国の危険性を語っていた。
荒れた村を案内し、民が苦しんでいる現実を見せた。
セリアは、その言葉を疑いきれなかった。
いや。
見た村の惨状は、本物だった。
あの苦しみは、偽りではなかった。
だからこそ。
彼らが支援部隊を襲わせたなど、信じられなかった。
ハルトは、セリアを一瞥する。
責めるような目ではなかった。
ただ、淡々としていた。
「間違いも何も、三人とも自白している」
「自白……?」
「命が一番大事みたいでな」
ハルトは肩を竦めた。
「エミリア様が、無能をどう扱うか知っているか、と少し聞いたら一発だった」
その言葉に、縛られた三人が青ざめる。
オショが口を開きかけたが、騎士の一人に肩を押さえられて黙り込んだ。
ハルトは続ける。
「悪の肩書きも、役に立つものだな」
エミリアは、どこか誇らしげに顎を上げた。
「当然よ。悪名は正しく使うものだわ」
「そういうものか」
「そういうものよ」
セリアは、二人のやり取りを聞きながら、胸の中が冷えていくのを感じた。
ハルトは真面目な顔に戻り、事情を説明し始めた。
「この三人は、元はローゼンバーグの貴族筋だ」
セリアは息を呑む。
「貴族……?」
「エミリア様の改革で処分された連中だ。特権を剥がされ、権限を失い、行き場をなくした。だが、太陽神教の神官として肩書きを得たことで、完全には潰れずに済んでいたらしい」
オショが歯を食いしばる。
クージは目を逸らし、ケンは青い顔でうつむいていた。
ハルトは続けた。
「目的は復讐だ。ローゼンバーグ王国にではない。主にエミリア様に、だな」
エミリアは鼻で笑う。
「逆恨みもここまで来ると、なかなか醜いわね」
その言葉に、オショが顔を上げた。
「違う……!」
縛られたまま、それでも神官らしい威厳を取り繕おうとしている。
「我らは、正しき信仰を守ろうとしただけだ!」
その声には、焦りと怒りが混じっていた。
「邪神を国教にし、太陽神の威光を踏みにじり、王国を私物化した悪女め……! 貴様のような者が王座にいるから、この国は歪んだのだ!」
エミリアは何も言わない。
ただ、冷たい目でオショを見た。
オショの声が、わずかに揺れる。
「わ、我らから地位を奪い、領地を奪い、権威を奪った……! 民のためなどと綺麗事を並べて、結局は貴様の思うままに国を作り替えているだけではないか!」
「綺麗事?」
エミリアが小さく笑った。
「私が?」
その一言だけで、オショは口を噤んだ。
代わりに、クージが喚くように声を上げる。
「話が違う……!」
彼は縄を震わせながら、ハルト達を睨んだ。
「ローゼンバーグの騎士団など、形だけの弱小騎士団だったはずだ! まともな訓練も装備もなく、数も足りず、国境の警備すら満足にできないと聞いていた!」
ハルトは眉を動かす。
「古い情報だな」
「古いだと!?」
「今のローゼンバーグ騎士団を、先王時代のままだと思ったのが間違いだ」
クージは顔を引きつらせた。
「馬鹿な……あんな連中に、雇った傭兵がまとめてやられるなど……聞いていない……!」
ハルトは淡々と答える。
「こちらも暇ではない。鍛え直した」
「鍛え直したで済むものか!」
クージの声は裏返っていた。
「化け物だ……騎士も、あの白い少女も……! それに、あの双剣の女……! 何なんだ、この国は……!」
最後のケンは、ほとんど声を出せなかった。
ただ、エミリアを見て震えている。
顔は青ざめ、唇は乾き、額には汗が滲んでいた。
「わ、私は……私は、言われただけで……」
エミリアの視線が、ケンへ向く。
それだけで、ケンは喉を詰まらせた。
「ひっ……」
「何か言いたいことがあるのかしら」
エミリアの声は静かだった。
怒鳴ってはいない。
脅してもいない。
それなのに、ケンは縛られたまま後ずさろうとした。
「お、お許しを……! 私は、私はただ……!」
「ただ?」
「処分されたくなかっただけで……! エミリア様に逆らった者がどうなるか、知っていたから……!」
エミリアは、ゆっくりと首を傾げた。
「知っていたのに、逆らったの?」
ケンは完全に言葉を失った。
オショは怒りで顔を赤くし。
クージは信じていた情報が崩れたことに狼狽し。
ケンは、ただエミリアという存在そのものに怯えていた。
セリアは、その三人を見つめる。
同じ太陽神の神官の衣をまとっていた者達。
自分を案内し、正義を語り、ローゼンバーグ王国の歪みを訴えた者達。
その中身は、これほどまでにばらばらだった。
信仰。
復讐。
保身。
恐怖。
それらが神官の衣の下に隠れていた。
ハルトは、改めて説明を続ける。
「太陽神教から視察の神官が来る。それを利用した」
ハルトはセリアを見た。
「あなたに、ローゼンバーグ王国の悪い部分だけを見せた」
セリアは言葉を失った。
「そんな……」
「案内された村や地域は、こいつらが元々管轄していた場所だ」
ハルトの声は低かった。
「復興が遅れていたのは事実だ。苦しんでいた民がいたのも事実だ。そこに嘘はない」
その言葉に、セリアはわずかに息を吐く。
やはり、見たもの全てが偽りだったわけではない。
あの村の苦しみは、本物だった。
だが。
ハルトは言った。
「問題は、なぜそこばかりを案内したかだ」
セリアは答えられない。
「王都の給水設備も、炊き出しも、診療の準備も、職人街の復興も、神殿予定地の救護施設も。見せる気がなかった」
「……」
「エミリア様の手が届いていないように見せたかったんだろうな」
オショが歯を食いしばる。
「違う……我らは、太陽神の名において……」
「黙っていろ」
ハルトの声が鋭くなる。
オショは肩を震わせて口を閉じた。
「さらに」
ハルトは続けた。
「視察が終わる前に、エミリア様の命を受けた支援部隊が村へ入ると困る」
セリアの胸が跳ねた。
「困る……?」
「自分達が見せたものと、実際に王国が動いていることの差が明らかになるからだ」
ハルトは淡々と言う。
「だから、リン達を襲わせた」
セリアは目を見開いた。
リン。
エミリアのドールズ。
村へ向かった医療班。
あの白い少女。
「襲わせた……?」
「ただの野盗ではなかった。傭兵崩れだ。荷を奪うのが目的ではない。足止めと妨害が目的だった」
ハルトの言葉が、庭の空気を重くしていく。
「支援物資。薬。簡易浄水器。食料。石鹸。診療道具。それらが村へ届けば、視察の印象が変わる」
セリアは、オショ達を見る。
「……なぜ」
声が震えた。
「なぜ、そのようなことを」
オショは顔を背ける。
クージは唇を噛み、ケンは何も言わない。
ハルトが代わりに答えた。
「復讐のためだ」
「復讐……」
「自分達を処分したエミリア様を貶めるため。太陽神教の視察を使って、ローゼンバーグ王国を邪神に染まった失政の国に見せるため」
セリアは、立っているのがやっとだった。
自分が見た村は、本物だった。
苦しみは、本物だった。
怒りも、本物だった。
けれど。
その怒りは、利用されていたのか。
自分は。
神官として。
異端審問官として。
真実を見極めるために来たはずなのに。
最初から、誰かの復讐に使われていたのか。
「そんな……」
セリアの声は、かすれていた。
「私は……」
エミリアは黙っていた。
いつものように嘲笑することもない。
勝ち誇ることもない。
ただ、縛られた三人を見ていた。
その目は冷たい。
悪女の仮面ではない。
王として、醜いものを見ている目だった。
そして、エミリアは小さく息を吐いた。
「……やはり、その程度だったのね」
ハルトが眉を上げる。
「知っていたのか」
「疑っていたわ」
エミリアは、縛られた三人をつまらなそうに見る。
「処分された元貴族。太陽神教の神官。私を恨む理由は十分。そんな者達が、わざわざ異端審問官を案内するのよ」
エミリアは、薄く笑った。
「何もしない方が不自然でしょう?」
セリアは、息を呑んだ。
疑っていた。
最初から。
この三人が何かを仕掛ける可能性を、エミリアは見ていた。
「だから、リンに俺達をつけたのか」
ハルトが言う。
「ただの村支援に、ドールズのリン、あなた達騎士団、さらにイミタートの双剣のベルンまで動かすなんて、普通は過剰戦力よ」
エミリアは当然のように言った。
「でも、何か起きた時に潰せないなら、支配者失格だわ」
ハルトは、短く息を吐いた。
「実際、動いた」
「ええ」
エミリアは、縛られた三人へ冷たい視線を向ける。
「少しは期待していたのよ」
「期待?」
ハルトが聞き返す。
「醜くても、執念があるなら使い道はある。恨みでも、知恵があるなら下僕にできる」
エミリアの紫の瞳が、三人を射抜く。
「けれど、あなた達は最低ね」
オショが顔を歪める。
クージは震える。
ケンは目を伏せる。
エミリアは、淡々と告げた。
「私怨で視察を歪め」
「弱った村を利用し」
「支援部隊を傭兵に襲わせ」
「失敗すれば、命惜しさにすぐ吐く」
冷たい声だった。
「悪を名乗る価値もない」
三人の顔から血の気が引いていく。
エミリアは、最後に吐き捨てるように言った。
「ただのゴミだわ」
誰も言い返せなかった。
オショでさえ。
クージでさえ。
ケンでさえ。
その場にいる誰もが、エミリアの言葉の冷たさに息を呑んだ。
ハルトは一度、周囲を確認した。
そして、エミリアにだけ聞こえるように、わずかに距離を詰める。
声を落とす。
「それと、エミィさん」
「何かしら」
「リンの件だ」
エミリアの目が、わずかに細くなる。
ハルトはさらに声を低くした。
「今回の襲撃は、村への支援部隊の足止めで間違いない」
「でしょうね」
「ただ、吐かせている途中で、別件が出た」
ハルトは、縛られた三人へ冷たい視線を向ける。
「あの子が、まだ村で“白髪の少年”として処刑されかけていた時の話だ」
エミリアの表情が、少しだけ消えた。
「……続けなさい」
「表向きは処刑。だが、場合によっては帝国へ送る話もあったらしい」
「帝国へ?」
「ああ。邪神の子として処分するか、生かして引き渡すか。そういう話が出ていたようだ」
ハルトの声には、抑えた怒りがあった。
「どこまで本気だったかは、まだ詰めている。ただ、この三人が何かを知っていたのは間違いない」
エミリアは何も言わなかった。
ただ、縛られた三人を見た。
オショ達が、本能的に肩を震わせる。
「……そう」
エミリアの声は静かだった。
「その件は、あとで詳しく聞くわ」
「分かった」
「今は子供達の前よ」
エミリアは視線だけで三人を一瞥した。
「醜い話は、場所を選びましょう」
ハルトは短く頷いた。
セリアには、その囁きの内容までは聞こえない。
だが、エミリアの空気が変わったことだけは分かった。
一瞬で。
冷えた。
庭の笑い声が、遠く感じられた。
セリアは、何が真実で、何が嘘なのか分からなくなっていた。
オショ達が見せた村の苦しみは本物。
だが、その苦しみを利用したのも、彼ら。
エミリアは悪を名乗る。
だが、動いていたのは支援部隊。
太陽神教の神官達は正義を語った。
だが、傭兵を雇い、村へ向かうリン達を襲わせた。
邪神の国。
悪の女王。
太陽神の神官。
救われない村。
支援物資。
傭兵。
自白。
復讐。
泳がされていた者達。
備えられていた過剰な戦力。
言葉が、事実が、信仰が、ばらばらになっていく。
セリアは胸元の聖印を握った。
太陽神インティの印は、変わらずそこにある。
だが今は、その硬い感触だけが、現実を繋ぎ止める唯一のもののように思えた。
「……私は」
セリアは声を絞り出そうとした。
だが、続く言葉が見つからない。
その時。
孤児院の外から、別のざわめきが近づいてきた。
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