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閑話 白い医師と双剣の騎士 挿絵有

王都の外。


村へ続く街道を、数台の荷馬車が進んでいた。


荷台には、食料。


清潔な布。


簡易浄水器。


薬箱。


石鹸。


工具。


それから、クロエが半ば寝ずに作ったという小型の魔導灯と、簡易通信具。


どれも、エミリアが命じた村への支援物資だった。


その先頭近くに、白衣をまとったリンがいた。


揺れる荷馬車の上で、リンは落ち着かなげに前方を見つめている。


細い指が、膝の上で何度も握られては開かれる。


「……もう少し早く進めないのかな?」


ぽつりと、リンが言った。


隣を歩いていたハルトが、ちらりと視線を向ける。


リンは前方を見たまま続けた。


「エミリア様に命じられたんだよ」


「少しでも早く村に着いて、問題を解決して、報告したいんだけど」


その声には焦りがあった。


恐怖ではない。


面倒だから急ぎたいのでもない。


ただ、エミリアの命令を一刻も早く果たしたいという、張り詰めた忠誠だった。


ハルトは小さく息を吐いた。


「無理言うな」


「でも」


「馬が潰れちまう」


ハルトは前方の荷馬車を顎で示す。


「荷も多い。道も良くない。ここで速度を上げて車軸が折れたら、村に着くのはもっと遅くなる」


「……分かってるけど」


「分かってるなら我慢しろ」


リンは唇を尖らせた。


ハルトはその様子を横目で見ながら、少しだけ表情を緩める。


「焦る気持ちは分かる。だが、任務ってのは早く走ればいいってもんじゃない」


「ハルトは落ち着きすぎだよ」


「護衛が一緒に焦ってどうする」


その時、横から軽い声が入った。


「そう言うなって、ハルト」


二人の横に、一人の女性が馬を並べた。


動きやすそうな騎士服。


過度な装飾はない。


だが、その胸元には青薔薇の意匠があった。


腰には長めの片手剣。


その逆側には、細身の短剣。


どちらも、実用品としてよく手入れされている。


女性は肩をすくめるように笑った。


「エミリア様のために早く済ませたいって話なら、私にも思うところはある」


ハルトは、何とも言えない顔をした。


慣れた相手を見る目。


だが、その姿にはまだ慣れていない者の目。


「……まさか、双剣のベルンと呼ばれた先輩が、そんなことを言う日が来るとは」


「そう言うな」


ベルンは笑った。


「肺をやって、剣どころか階段を上るのも苦しかった身体が、こうしてまた動く」


彼女は手綱を軽く握り直す。


「高齢だ、病だ、退団だ。そう言われて終わったはずの私が、またお前と肩を並べている」


その声には、深い実感があった。


「少しくらい、浮かれても罰は当たらんだろう」


ハルトは言葉に詰まる。


ベルン。


かつて、ローゼンバーグ王国騎士団で双剣と呼ばれた騎士。


片手にはブロードソード。


もう片方にはマインゴーシュ。


攻めと守りを同時に成立させる独特の剣技で知られていた。


もし病に倒れず、騎士団に残っていれば、次の騎士長はベルンだっただろう。


そう言われていた人物。


そのベルンが、今は青薔薇を飾った衣装をまとい、若く美しい女性の身体で馬上にいた。


その姿は、不思議なほど似合っていた。


華美ではない。


媚びてもいない。


けれど、青薔薇の意匠と、引き締まった騎士服が、今のベルンの身体によく映えている。


ハルトは視線を逸らした。


「その……色々と変わっていますが」


声が、少しだけ固い。


顔もわずかに赤い。


ベルンはそれを見逃さなかった。


「何だ、照れてるのか?」


「違います」


「そうか?」


「違います」


「二回言ったな」


ベルンは楽しそうに笑った。


「まあ、あのメイドに色々と指導されてな」


「あのメイド?」


「ルミとかいう、得体の知れない黒白の化け物だ」


リンが一瞬だけ反応した。


「ルミ様は化け物じゃないよ」


「失礼。では、得体の知れない完璧なメイドだ」


ベルンは馬上で軽く肩をすくめる。


「歩き方、立ち方、服の扱い、礼の仕方。徹底的に叩き込まれた」


そう言うと、ベルンはひらりと馬から降りた。


地面に着地した動きは、音がほとんどしない。


そのまま片手で衣装の裾を摘み、もう片方の手を優雅に添える。


そして、騎士とは思えぬほど滑らかなカーテシーをしてみせた。


「やろうと思えば、宮廷作法もできなくはないぞ」


その動きは見事だった。


気品があり、優雅で、無駄がない。


ハルトは額に手を当てた。


「……それはそうと」


「ああ」


ベルンは顔を上げた。


先ほどまでの軽さが消える。


「分かっている」


ハルトも、すでに笑っていなかった。


「待ち伏せだな」


リンだけが、二人を見比べた。


「へ? 何?」


次の瞬間。


森の中から矢が飛んだ。


乾いた音を立てて、空気を裂く。


狙いは先頭の馬。


次いで御者。


そして、荷台。


「伏せろ! 盾を上げろ!」


ハルトが叫んだ。


同時に、自身も左腕の盾を跳ね上げるように構える。


矢が盾に突き刺さった。


一本。


二本。


三本。


ハルトは馬の横へ身を滑らせ、盾で御者と馬を庇いながら、剣で次の矢を弾き落とした。


「荷を守れ! 隊列を崩すな!」


騎士団員達が一斉に動いた。


荷馬車を囲むように盾を掲げる。


御者が身を伏せ、馬がいななく。


だが隊列は崩れない。


訓練された動きだった。


反対側では、ベルンが抜剣していた。


右手にブロードソード。


左手にマインゴーシュ。


飛来する矢を、まるで目で追っているかのように払い落とす。


剣の腹で弾き。


短剣の鍔で流し。


最後の一本を、首を傾けるだけで避けた。


「久々の実戦にしては、歓迎が派手だな」


「先輩、油断しないでください!」


「していないさ」


森の中から、男達が飛び出してきた。


汚れた革鎧。


手入れの悪い剣。


斧。


槍。


弓。


顔を布で隠した者もいる。


野盗。


そう見える。


だが、ハルトは眉をひそめた。


動きが揃いすぎている。


ただの飢えた盗賊ではない。


少なくとも、待ち伏せの位置と初撃の狙いは悪くなかった。


「荷じゃない」


ハルトは低く言った。


「狙いは足止めか、こちらの人員だ」


「同感だ」


ベルンが笑みを消して応じる。


「荷を奪うには、矢の狙いが少し丁寧すぎる」


野盗達が迫る。


ハルトは盾を構え、前へ出た。


「リン、下がってろ!」


「でも」


「いいから下がれ!」


最初の野盗が斧を振り下ろす。


ハルトの盾がそれを受けた。


鈍い音。


次の瞬間、ハルトのロングソードが男の手首を打つ。


刃ではなく、剣の腹。


骨を砕くほどではない。


だが、武器を落とさせるには十分だった。


続けて盾で胸を押し込み、足を払う。


野盗は地面に転がった。


ハルトは殺さない。


だが、立たせもしない。


「次!」


別の男が槍を突き出す。


ハルトは半歩踏み込み、盾の縁で槍の軌道をそらす。


剣が閃く。


膝裏。


肘。


肩。


急所を外しながら、戦う力だけを奪っていく。


隣では、ベルンが舞うように戦っていた。


ブロードソードが相手の剣を押さえる。


マインゴーシュが手首を絡める。


身体をひねり、相手の重心を崩し、足を払う。


軽い。


速い。


しかし、動きは若い騎士のそれではない。


経験がある。


相手の癖を読む間合いがある。


わずかな視線、肩の動き、踏み込みの浅さ。


それらを拾い、先に潰す。


「ハルト」


ベルンがふと口を開いた。


「剣、変えたのか?」


「今聞きますか、それを!」


ハルトは盾で男を押し飛ばしながら返す。


「最近、剣が軽く感じまして」


「ほう」


「少し大きめのものに変えました」


「なるほど。今のお前には似合っている」


ベルンは野盗の剣をマインゴーシュで受け流し、ブロードソードの柄頭で顎を打った。


男が崩れ落ちる。


「だが、踏み込みが少し雑だ」


「戦闘中に指導しないでください!」


「戦闘中だから分かる」


軽口を交わしながらも、二人に隙はなかった。


ハルトは盾とロングソードで正面を押さえ。


ベルンはブロードソードとマインゴーシュで間を縫い、敵の武器を奪い、関節を崩し、地面へ叩き伏せる。


野盗達の勢いが削がれていく。


騎士団員達も荷馬車を守りながら応戦していた。


盾の壁。


槍の牽制。


荷台の陰からの投石。


無駄に追わず、隊列を崩さず、支援物資を守る。


リンは荷馬車のそばにいた。


白衣の裾を握りしめ、周囲を見ている。


その瞳には、恐怖よりも苛立ちがあった。


「何で」


小さく呟く。


「何で邪魔するのかな」


目の前では、ハルトとベルンが野盗を抑えている。


騎士達も動いている。


任務は失敗していない。


だが、時間が奪われている。


馬が怯えている。


荷物が止まっている。


村へ着くのが遅れる。


エミリアに報告するのが遅れる。


「早く終わらせて、エミリア様に報告したいのに……」


その時だった。


背後の森が動いた。


ハルトとベルンが正面へ引きつけられた瞬間を狙っていたのだろう。


荷馬車の後方。


盾の薄い側面。


そこから、別働隊が飛び出してきた。


数は少ない。


だが近い。


狙いは明らかだった。


荷物。


もしくは、リン。


「後ろだ!」


騎士団員の一人が叫ぶ。


ハルトが振り返る。


「しまった!」


ベルンも同時に動こうとした。


だが、正面の野盗がそれを阻む。


「すぐそちらに向かう!」


ハルトが叫ぶ。


「誰でもいい、リンを守――」


言い終わる前に、リンが動いた。


腰のガンベルト。


そこに固定された小型のインジェクターを抜く。


迷いはなかった。


リンは首筋へ押し当てる。


短い噴射音。


「筋力増強」


声は冷たかった。


次の瞬間。


リンの姿が消えた。


少なくとも、野盗達にはそう見えた。


風が裂ける。


白衣が翻る。


リンは、背後から迫っていた男達の前に立っていた。


小さな手には、細いメス。


野盗の一人が驚き、剣を振り上げる。


遅い。


リンはその懐へ入り込んだ。


メスが閃く。


手首。


肘の内側。


膝の裏。


足首。


血飛沫はほとんどない。


だが、男の身体から力が抜けた。


剣が落ちる。


膝が崩れる。


「なっ――」


隣の野盗が叫ぶ。


リンはそちらを見ないまま、身体を回した。


白衣の裾が舞う。


細い腕が、医学書の図のように正確な位置へ刃を走らせる。


腱。


筋。


神経の通り道。


命は奪わない。


だが、戦うための機能だけを、容赦なく切り離していく。


「そんなに」


リンの声が、低く響いた。


「そんなに、ボクの邪魔をしたいの?」


挿絵(By みてみん)


野盗達が怯む。


目の前にいるのは、小柄な白衣の少女に見える。


だが、その動きは人間のものではなかった。


速い。


軽い。


迷いがない。


そして、あまりにも正確すぎる。


一人が逃げようと背を向けた。


リンはポーチへ手を入れる。


小さなフラスコを取り出す。


中には、淡い色の液体が揺れていた。


「逃げないで」


リンはそれを地面へ投げた。


フラスコが割れる。


薄い霧が広がった。


甘いような、青臭いような匂い。


野盗達が息を吸った瞬間、身体を硬直させる。


「う、ぐっ……」


「足が……」


「動かな……」


膝から崩れる者。


剣を落とす者。


口元を押さえてもがく者。


リンは静かに言った。


「ちょっと動けなくなるだけ」


一歩、近づく。


「ボクはワクチン打ってるから効かないけどね」


その声に感情は薄い。


だが、怒っていた。


はっきりと。


「エミリア様に命じられたのに」


メスが閃く。


まだ動こうとする男の肩が落ちる。


「村に行かなきゃいけないのに」


別の男の足がもつれる。


「薬も、水も、食べ物も届けなきゃいけないのに」


リンは、最後の一人の前に立った。


男は震えながら短剣を握っていた。


リンはその手元を見た。


「それで、ボクを止めるの?」


男が短剣を突き出す。


リンは半歩だけ横へずれた。


突き出された腕を取り、関節の向きに合わせて軽く捻る。


短剣が落ちる。


メスの柄が、男の首筋を打った。


男は声もなく崩れた。


静かだった。


戦場の一角だけが、奇妙なほど静かだった。


ハルトは、ようやく正面の野盗を盾で押し倒し、リンの方へ駆け出そうとしていた。


だが、足が止まる。


「は……?」


背後の別働隊は、すでに全員倒れていた。


誰も死んではいない。


だが、誰一人としてまともに動けない。


手足を押さえ、痺れた身体を震わせ、地面に転がっている。


その中心に、リンが立っていた。


白衣は少し乱れている。


手にはメス。


足元には割れたフラスコ。


淡い霧が、まだ地面を這っていた。


ベルンも、思わず手を止めかけた。


正面の野盗の剣を軽くいなし、柄頭で意識を奪う。


そして、リンを見る。


「私はイミタートになって、ずいぶん強くなったと思っていたが……」


ベルンは、乾いた笑みを漏らした。


「本物の薔薇人形――ローゼンドール。いや、ドールズは強さの桁が違うな」


ハルトは返事ができなかった。


リンがこちらを見た。


「ハルト」


「……何だ」


「まだ終わらないの?」


その声には苛立ちが残っている。


「早く村に行きたいんだけど」


ハルトは一瞬、何を言えばいいか分からなかった。


だが、すぐに表情を引き締める。


「全員、捕縛!」


声を張る。


「動ける者は負傷者の確認! 荷馬車と馬の被害を確認しろ! 野盗は殺すな、縛れ!」


騎士団員達が動き出す。


「リン!」


ハルトが叫ぶ。


「その霧、味方に影響は?」


「この距離なら大丈夫」


リンは即答した。


「吸い込んだら、少し手足が痺れるかもしれないけど」


「少し?」


「少し」


ハルトは、倒れている野盗達を見た。


「……本当に少しか?」


「動けなくなるだけだよ。死なない」


リンは不満そうに言った。


「死なせたら、誰に雇われたか聞けないでしょ」


その言葉に、ハルトの目が細くなる。


ベルンも同じように表情を変えた。


「……やはり、ただの野盗ではないか」


「ああ」


ハルトは頷いた。


「狙いが良すぎる。荷じゃなく、こちらの足止めを狙っていた」


ベルンは周囲を見渡す。


倒れた野盗達。


散った矢。


森の奥の踏み跡。


そして、村へ続く道。


「誰かが、私達の出発と荷の内容を知っていた」


ハルトは静かに言った。


リンの顔から、表情が消える。


「誰でもいいよ」


小さく呟く。


「邪魔するなら、次も止めるだけ」


その声は冷たかった。


だが、次の瞬間、リンは荷馬車の方を見た。


「馬は? 荷物は?」


「確認中だ」


「薬箱は?」


「無事だ」


「浄水器は?」


「無事だ」


「食料は?」


「無事だ」


リンは、ようやく小さく息を吐いた。


「なら、早く行こう」


ハルトはリンを見た。


「少し休め」


「嫌だ」


即答だった。


「エミリア様に命じられたんだよ」


リンはメスを布で拭い、丁寧にしまう。


「村に行く」


ハルトは何か言おうとして、やめた。


ベルンが隣で苦笑する。


「無理に止めても無駄だろうな」


「でしょうね」


「だが、馬を休ませる時間だけは取れ」


ベルンはリンを見る。


「使命を果たしたいなら、目的地へ辿り着くことだ。そこは最初の話に戻る」


リンは不満そうに頬を膨らませた。


だが、反論はしなかった。


「……少しだけ」


「それでいい」


ベルンは笑った。


ハルトは倒れた野盗達へ視線を戻す。


「尋問できる奴を残せ。全員縛れ」


騎士団員達が返事をする。


森の中には、まだ逃げた者がいるかもしれない。


だが、追わない。


今の最優先は村だ。


ハルトは空を見上げた。


時間を食った。


だが、荷は無事。


リンも無事。


馬もまだ動ける。


任務は続行可能。


それが何よりだった。


少し離れた場所で、リンは倒れた野盗達を見下ろしていた。


その目には、怒りがまだ残っている。


「邪魔しないでよ」


誰に向けた言葉なのか。


野盗か。


それを雇った者か。


それとも、この任務を遅らせる全てのものか。


リン自身にも分からなかった。


ただ一つだけ、はっきりしていることがある。


エミリア様に命じられた。


ならば、やり遂げる。


村へ行く。


薬を届ける。


水を整える。


病人を診る。


そして、報告する。


リンは空を見上げた。


王都の方角を振り返る。


「待っててください、エミリア様」


小さく呟く。


「すぐ、終わらせます」


その声を聞いて、ハルトは苦笑した。


ベルンもまた、肩をすくめる。


荷馬車の周囲では、騎士団員達が野盗を縛り上げていた。


逃げ損ねた者達は、まだ痺れた身体を震わせている。


その中の一人が、恐怖に顔を歪めながら、かすかに呟いた。


「聞いてねぇ……」


ハルトの目が鋭くなる。


「何をだ」


男は震えたまま、リンを見た。


「白衣の……化け物がいるなんて……聞いてねぇ……」


リンは無表情で首を傾げた。


「ボク、化け物じゃないよ」


そして、少しだけ考えてから言った。


「エミリア様のドールズだよ」


男は、それを聞いてさらに青ざめた。


ベルンが小さく笑う。


「訂正する余裕があるなら、もう少し加減してやれ」


「加減したよ」


リンは真顔で答えた。


「誰も死んでない」


ハルトは深く息を吐いた。


「……そういう問題じゃないんだがな」


それでも、口元にはわずかな笑みがあった。


村への道は、まだ続いている。


そして、邪魔をした者達は、もう動けない。


荷馬車は再び動き出す準備を始めた。


エミリアの命令を果たすために。


リン達は、村へ向かう。


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