閑話 一刃、百刃、双刃
昼下がりの騎士訓練場。
午前の訓練を終えた騎士たちは、思い思いの場所に腰を下ろして昼食を取っていた。
最近になって王国へ出回り始めた、銀色の軽い弁当箱。アルミニウム製のそれは木製より丈夫で、汚れも落としやすいと騎士たちの間でも評判がいい。
ハルトも大きめの箱を空にし、満足そうに蓋を閉じた。
エミリアが見れば、おそらく「ドカベンね」とでも言うのだろう。
午後の訓練まで、まだ少し時間がある。木陰へ背を預けたところで、訓練場の入口から聞き慣れた声がした。
「相変わらず真面目にやってんな、お前ら」
ハルトが顔を上げる。
そこにいたのはオルグレイだった。
「珍しいな。実験場から出してもらえたのか?」
「人を囚人みてぇに言うんじゃねぇよ」
「似たようなものだろ?」
「否定しづれぇのが腹立つな……」
オルグレイは肩を回しながら訓練場へ入ってくる。
「ずっと実験場にいたら身体が鈍っちまう。たまには動かねぇとな」
首を鳴らし、腕を伸ばし、その場で軽く跳ねる。本当に身体をほぐしに来ただけらしい。
その姿を見ながら、ハルトは傍らへ置いていた剣へ目を落とした。
飾り一つない、無骨な剣だった。宝石もなければ、華美な彫刻もない。見栄えのための意匠など何一つ施されていない。
だが、握れば分かる。
重さも、重心も、刃の厚みも。振り抜き、受け、流し、そして斬る。その全てが実戦のために整えられている。
ランカが再び鎚を握り、最初に打った一振り。
ハルトは柄へ手を掛け、小さく笑った。
――コイツなら、命を預けて戦える。
この国のために。
「オルグレイ」
「あ?」
「一戦、付き合ってくれないか?」
オルグレイの視線が、ハルトの腰元へ落ちた。
「ん? 新しい剣を用意したのか」
「ああ」
オルグレイが楽しそうに口元を吊り上げる。
「武器を変えたからって、俺に勝てるわけじゃねぇぜ?」
「分かっているさ。新しい剣に慣れるのに手伝ってくれよ。この剣は、ランカ殿が作ったものだ」
「ラン……?」
少し考えた後、オルグレイは思い出したように頷いた。
「あぁ、あのちっこい鍛冶師か」
「本人の前では言うなよ」
「言わねぇよ。あの鎚で殴られたら洒落にならねぇ」
ハルトが剣を抜き、オルグレイも腰のノコギリ剣を抜く。
二人の様子に気づいた騎士たちが、自然と場所を空け始めた。
以前、この二人が戦った時。
ハルトはオルグレイの攻撃を、可能な限りまともに受けないよう戦っていた。
技量で捌けないわけではない。だが、オルグレイの膂力から放たれる重い一撃を真正面から受ければ、先に壊れるのはハルトの剣か盾だった。
だからこそ、一撃ごとに角度を選び、衝撃を逃がし、武器へ負担を掛けすぎないよう慎重に受け流す必要があった。
今日は違う。
ハルトは盾を持っていない。ランカから受け取った剣を、両手で握っている。
「いくぜ!」
オルグレイが踏み込んだ。
ノコギリ剣が唸りを上げて振り下ろされる。以前なら大きく退いていた一撃だったが、ハルトは退かなかった。
剣を合わせる。
鋭い金属音が訓練場へ響いた。
力で受け止めたわけではない。刃を合わせ、オルグレイの重さを自分の剣へ乗せ、そのまま身体を捻って横へ流す。
凄まじい一撃が肩先を抜けた。
ハルトは一瞬だけ剣を見る。
欠けていない。
歪んでもいない。
「……やっぱり、いけるな」
「何笑ってやがる!」
次の一撃も流し、三撃目は受け、四撃目は弾く。以前とは明らかに違った。
武器を守ることへ意識を割かなくていい。それだけで、ハルトの動きには余裕が生まれる。
剣術、足運び、間合い。オルグレイの重い攻撃を利用して体勢を崩し、その隙へ刃を返す。
ようやく、自分の技量へ剣の方が最後までついてきてくれる。
「ちっ……その剣、随分と頑丈みてぇだな!」
「気に入ったか?」
「敵だったら嫌になるくらいにな!」
再びノコギリ剣が迫る。
数合、十数合と打ち合っても、互いに決定打を許さない。
技量だけを見るなら、ハルトの方が一枚上だった。だが、オルグレイには圧倒的な膂力と頑丈さがある。技で崩しても力で戻し、避けたと思えばそのまま強引に次の一撃へ繋げてくる。
総合すれば。
やはり互角だった。
そして、オルグレイが横薙ぎを放つ。
ハルトの目が僅かに細くなった。
先ほどまでより明らかに大きい。振りも深く、その後に残る隙も大きい。
この男が、今さらそんな不用意な一撃を放つはずがない。
それでもハルトは踏み込んだ。
両手で握っていた剣から左手を離し、右手一本へ持ち替える。大振りになったオルグレイの懐へ入り込み、空いた胴へ一閃。
その瞬間。
オルグレイが笑った。
「掛かった」
鎧を僅かに傾ける。
ハルトの刃が、その表面を滑った。
わざとだった。
大きな横薙ぎも、その後に残した隙も。全て、ハルトを攻め込ませるための誘い。
片手で剣を振り抜いたハルトの身体が開き、そこへオルグレイのノコギリ剣が凄まじい勢いで返ってくる。
「終わりだ!」
だが、ハルトも笑った。
「――お前もな」
空いていた左手が腰へ伸びる。
掌に収まるほど小さな単発式の魔導銃。
引き金を引いた。
乾いた炸裂音とともに放たれた魔力弾が、ノコギリ剣の側面を叩いてその軌道を僅かに逸らす。
「なっ!?」
それだけで十分だった。
ハルトはすぐさま左手を剣へ戻し、再び両手で柄を握る。完全に空いたオルグレイの胴へ、全力の一撃を叩き込んだ。
鈍い衝撃音。
オルグレイの身体が数歩後ろへ押し戻される。
ハルトも荒く息を吐いた。手応えはあった。間違いなく、今までで一番いい一撃だった。
それでもオルグレイは立っている。
「嘘だろ……これでも効かないのかよ……」
「……いや」
オルグレイが鎧へ目を落とした。
斬撃を受けた場所に、淡い魔力の流れが浮かび上がっている。
「癪だが、俺の負けだな」
「は?」
「クロエの防御付与がなかったら、今のはヤバかったぜ」
ハルトもその光を見る。確かに、オルグレイ自身の頑丈さだけで防いだわけではない。
「……なら引き分けだ。俺もクロエ様の新兵器を使ったからな」
ハルトが左手の小さな魔導銃を見せると、オルグレイの顔が引きつった。
「お前、それ……」
「単発式の魔導銃だ。失敗品らしいけどな」
「おまっ!? よくそんなもん使うな!?」
「は? どうしたんだ」
「それ、何度も暴走して爆発してんだよ!」
「…………は?」
「撃った本人の手元でな」
ハルトの顔から表情が消えた。
そして脳裏に蘇る。
この魔導銃を渡してきた時のクロエ。妙に楽しそうで、やけに機嫌が良かった。
『君なら上手く使えると思ってねぇ』
あの笑顔。
「あの笑いは……そういうことかぁぁぁぁ!?」
訓練場にハルトの叫び声が響いた。
◇ ◇ ◇
しばらくして。
二人は訓練場の端で休んでいた。
オルグレイが水を飲みながら、ふと思い出したように口を開く。
「そういや、ハルト。兄貴を倒したのって、どいつなんだ?」
ハルトの表情が僅かに変わった。
オルグレン。
帝国将軍。
そして、オルグレイの兄。
「……復讐か?」
「いや。どんだけ強ぇ奴なのか、純粋に戦ってみてぇんだよ」
即答するオルグレイに、ハルトは苦笑した。
「……お前らしいな。三人で戦ったらしい。そのうちの一人が、あそこで騎士たちを教えている人だ」
訓練場の端では、一人の女性が若い騎士たちへ剣を教えていた。
短い栗色の髪。細身の身体。騎士たちの動きを見ながら、ときおり自分で模擬剣を振って手本を見せている。
「あれか?」
オルグレイが目を細めた。
「……あんな細っこいのが、兄貴を?」
ハルトが思わず笑う。
「見た目で判断しない方がいいぞ。間違いなく、俺より強い」
「へぇ……」
オルグレイはベルンを眺める。それでも、どこか余裕のある笑みは消えなかった。
「まあ、兄貴とは三人がかりで戦ったんだろ?」
「さあな。俺もそこまで詳しく聞いたわけじゃない」
ハルトは肩をすくめた。
「気になるなら、自分で確かめてこいよ」
「……面白ぇ」
オルグレイが立ち上がった。
「おい、ちょっと待て」
止める間もなく、ベルンの方へ歩いていく。
「おーい、嬢ちゃん! 俺と一戦やってくれねぇか!」
騎士たちを指導していたベルンが振り返る。
どうやら、先ほどの会話は聞こえていたらしい。
「聞こえていたよ。ハルトと戦った後だろ。それでもいいのかい?」
「あんなの準備運動だよ」
「おい」
後ろからハルトの声が飛ぶ。
ベルンは小さく笑った。
「なるほど。負けた時の言い訳には、ちょうどいい話だな」
オルグレイのこめかみに青筋が浮かぶ。
「……面白ぇこと言うじゃねぇか」
「そうか? 私は随分親切に言ったつもりだけどね」
ベルンは訓練場に置かれていた模擬剣を一本手に取った。
刃を潰した、何の変哲もない訓練用の剣。
「じゃあ、始めようか」
「後悔すんなよ!」
オルグレイが飛び込んだ。
ノコギリ剣が振り下ろされる。
ベルンはほんの少しだけ身体を動かし、模擬剣を添えた。それだけで力を受けず、刃の軌道だけを逸らす。
オルグレイの剣が横へ流れた。
「……あ?」
次の横薙ぎには半歩だけ動き、返しの一撃には模擬剣を僅かに当てて軌道を外す。踏み込み、突き、斬り上げ。オルグレイが攻撃を重ねるたび、ベルンは必要な分しか動かなかった。
大きく跳ばない。
力で受けない。
慌てない。
最小限の足運びと、最小限の剣。
それだけで、オルグレイの攻撃がことごとく空を切る。
「なんだこいつ……やりづれぇ!」
「ふむ。君はちょっと装備に頼りすぎだね」
「うるせぇ! さっきから手も足も出ねぇじゃねぇか!」
ノコギリ剣が唸る。
また流された。
ベルンの口元が上がった。
「見るだけ見たからな。そろそろ、指導の時間としようか」
「……あ?」
ベルンの足元には、もう一本の模擬剣が転がっていた。
爪先を差し込み、蹴り上げる。
剣が宙を舞い、その柄を左手で掴んだ。
右手に一本。
左手に一本。
二本の剣を構えた瞬間、それまでの空気が変わった。
「――双偃月のベルン。参る」
次の瞬間。
静だった剣が、動へ変わった。
右、左、上、下。側面から死角へ。
先ほどまでとはまるで別人のように、二本の模擬剣が凄まじい速さで襲いかかる。
「なっ――!」
避けきれない。
防ぎきれない。
連撃が次々とオルグレイの鎧へ叩き込まれる。
だが、その全てが弾かれた。
「そんな一撃じゃあ、俺には効かねぇんだよ!」
オルグレイが笑う。
ベルンは攻撃を止めない。
「ハルトに言っていたね。武器を変えたからといって、勝てるわけじゃない、と」
鎧の表面に、また淡い魔力が走る。
「それ自体は正しい。装備に頼っていては、自分を磨けない」
「戦いながら説教してんじゃねぇ!」
「だが、逆も同じだよ。自分の装備を十全に理解していなければ、その真価も発揮できない」
二本の剣が、さらに鎧を打つ。
「何が言いてぇ!」
ベルンが少し笑った。
「……気づいているのかい?」
「何をだよ!」
オルグレイが前へ出る。
「この鎧は俺と一緒に戦場を渡ってきた相棒だ! 今さらお前に指導される――」
そこで。
「……なんだ?」
急に身体から力が抜けた。
足が動かない。
膝が崩れ、そのまま地面へ落ちる。
「ぐっ……」
立とうとするが、力が入らない。
「このくらいで体力が切れることなんかねぇ……何しやがった……」
ベルンは二本の模擬剣を下ろした。
「体力じゃないよ。魔力切れだ」
「……は?」
「クロエ様が付けてくれたその防御付与。攻撃を受けるたびに、君の魔力を少しずつ使っているんだ。普段なら問題になるような量じゃない。でも、これだけ短時間に働かせればね」
ベルンは肩をすくめる。
「そりゃあ、空にもなるさ」
オルグレイは自分の鎧を見る。
「……なるほど。くそ……クロエめ。余計なことしやがって……」
「感謝した方がいいと思うよ?」
「あ?」
ベルンは近くに置かれていた訓練用の盾へ歩いていく。
「私の一撃だが――」
一本の模擬剣を両手で握り、振り下ろした。
轟音。
訓練用の盾が、ぐしゃりとひしゃげる。
オルグレイの顔が固まった。
ベルンは何事もなかったように模擬剣を肩へ乗せる。
「あの連撃を、付与なしで全部受けていたら、君の身体はどうなっていただろうね?」
「…………」
オルグレイは何も返せなかった。
◇ ◇ ◇
少し魔力が戻った頃。
オルグレイは地面へ座ったまま、ベルンを見上げていた。
ベルンも二本の模擬剣を片付けながら、ふと思い出したように言う。
「それと……君のお兄さんは強かったよ。一対一で戦ってみたかったからね。今日は私も楽しめた」
「それだけの実力があったなら、戦えばよかったじゃねぇか」
ベルンは苦笑した。
「さすがに三人で一万近い帝国兵を相手にしていたからね。余裕を見せられる戦いじゃなかったさ」
「……は?」
オルグレイが目を丸くする。
「それ、フカシじゃなかったのか?」
「何がだい?」
「三人で一万ってやつだよ」
ベルンは肩をすくめた。
「我らが女王様は、無理を言うよね」
少し離れた場所で聞いていたハルトが苦笑する。
「あとから聞いて俺も驚きましたけど……先輩、結局やりきってるじゃないですか」
「ハルトだって活躍したって聞いたよ? 第三皇子の軍を、一小隊で撃退したとか」
「あんなの、エミリア様が戦う前にほとんど終わらせてたからですよ……」
「それでも、一小隊で軍を止めたことには変わりないだろ」
オルグレイはベルンを見る。
次にハルトを見る。
深々と息を吐いた。
「……本気で化け物ばっかかよ、この国」
◇ ◇ ◇
後日。
オルグレイは、ベルンが【双偃月】と呼ばれている理由を知った。
彼女の固有武器。
二振りの偃月刀。
それを自在に操ることから付けられた、現在の二つ名。
「……待て」
オルグレイはしばらく黙り込んだ。
「あの時のお前、本来の武器すら使ってなかったのか?」
ベルンは何でもないことのように答えた。
「訓練だったからね」
「…………」
オルグレイは天を仰ぐ。
「……手加減されてたのかよ……」
悔しくないと言えば、嘘になる。
ハルトとは互角に戦えた。
だが、剣術や体捌きだけを比べれば、明らかにハルトの方が上だった。
自分には、その差を埋めるだけの膂力と頑丈さがある。強い武器も、強い鎧もある。だから総合すれば戦える。
だが、ベルンにはその上から戦われた。
まだ足りない。
腕力でもない。
装備でもない。
自分自身の技量が。
それからというもの、オルグレイはクロエのモルモット――もとい、実験の合間を見つけては騎士の訓練場へ顔を出すようになった。
「ハルト!」
声を掛けられたハルトが振り返る。
「また来たのか」
「今日は勝つぞ」
「昨日も聞いたな、それ」
「うるせぇ。昨日より今日の俺の方が強ぇんだよ」
ハルトは笑いながら、ランカの剣を取った。
「奇遇だな。俺もそのつもりだ」
二人が向かい合う。
勝つ日もあった。
負ける日もあった。
決着がつかない日もあった。
相手の技を覚え、癖を見抜き、次に会うまでにそれを直す。昨日まで通じたものが、今日は通じない。
ならば、さらにその先へ。
そうしてハルトとオルグレイは、互いを競い合う相手として、少しずつ、確実に強くなっていった。
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