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ポルカの森

ポルカ二日目。




 昨日の夜、ロシェルの屋台での言動を、ジェイドはゼトに面白おかしく話していた。


「なのにさ、次は服を買いたいから案内しろって!」


「慈悲ねーじゃねーか!」


 ゼトも膝を叩き、大きく口を開けて笑う。


「あの時は……その……法衣も着てませんでしたし……悪い人っていうのは見てすぐわかりましたし……」


 ロシェルは頬を赤く染め、俯きながら小さく応える。




 ジェイドは、


「それでいいよ! そのおかげで悪い輩も捕まえられたし。どんどん素の自分を出していこうよ!」


 と励ます。




 ゼトも、


「気を使う必要なんてないぞ! 本物の勇者かもわからんヤツに」


 と薄い笑いを浮かべ、ジェイドに目をやった。




「そうそう、俺は勇者じゃないからね」


 ジェイドが軽くそう返すと、ゼトとロシェルは同時に目を見開いた。




「え?」


 ロシェルが思わず聞き返す。


 ゼトも何か言おうと口を開きかけたが、言葉を飲み込んだ。




 しかし、ジェイドはそれ以上の説明をする気はないようで、


「これ、めちゃくちゃ美味しいよ! 食べてみて!」


 と屋台の料理を差し出し、あっさりと話を逸らした。




 ロシェルは、


「えっと……?」


 と釈然としない様子でそれを受け取るが、ゼトは小さく息をついて目を細める。




 その後も、ジェイドが話しの中心となり、幼少期の思い出から最近の出来事、果ては魔物や魔王討伐への考え方まで、軽妙な語り口で話題を広げていく。




 三人は屋台料理を食べながら、遅くまで語り明かした。


 と言ってもロシェルは疲れもあり、早い段階から幾度となくあくびをし、意味不明な返答をすることが多かったが……。




 話題がジェイドの幼少期へと移った時、彼が語る中で、「アーシェ」という黒紫の髪を持つ少女の名が出る。




「アーシェ?」


 ゼトが静かに問い返す。




「ああ。……ポルカに来た理由の一つでもある」


 ジェイドの声はいつになく真剣だった。




 彼にとって苦い記憶の一端を担う少女。


 だが、もし彼女の協力が得られれば、魔王討伐にとって大きな力となるはずだ。




 三人はその夜、アーシェに会うことを決めた。




    




 三人は、遅めの朝食を終えると、目的の場所へと出発した。


 それは、街の東にひっそりと佇む、人里離れた一軒家だった。




 石畳の大通りを逸れ、迷路のように入り組んだ路地を抜けた先に、鬱蒼とした森へと続く細道があった。




 その道を歩く三人の距離は昨日に比べてかなり近く、表情も穏やかで足取りも軽い。




 そんな中、


「今日の目標は本当にこっちで良かったのか?」


 ゼトはジェイドに尋ねる。


「ああ。ポルカでの優先順位は、俺の親よりアーシェに会う方のが上だからね」


 ジェイドは真剣な眼差しで前を見据え応える。




「では、そのアーシェさんにお会いした後は必ず、ご両親の元に行きましょう。アウロラ様もきっとご守護下さるはずです」


 と優しく穏やかにロシェルが付け加える。




 その道をしばらく進むと、古びた一軒家が静かに姿を現す。


「懐かしいなぁ……」


 ジェイドにとって、そこは十二年前、幼い日に大冒険を繰り広げた思い出の道のりだった。


 当時のジェイドにとっては、まるで世界の果てまで続くかのような道程だったが、青年になった今では、少しばかりの散歩道といった程度に感じられた。




「やはり、誰もいないか……」


 ジェイドは静かに呟いた。




 家は長い間、忘れ去られたかのように静まり返っている。


 屋根は大きく崩れ落ち、窓枠は失われ、黒い穴がぽっかりと空いている。


 壁には蔦が絡みつき、まるで家を飲み込もうとしているかのようだ。




「この場所に、まるで生気が感じられませんね」


 傍らに佇むロシェルが、物静かな声で同意した。




「ここで、俺の中の勇者は死んだんだ」


 突然も聞いた不穏な言葉に、ゼトは戸惑いを隠せない。


「はあ?どういうことだ? お前は勇者ではないのか?」


 と問い返す。


 さらに、ロシェルが純粋な疑問を投げかけた。


「もし勇者が死んでしまったのなら、あなたは一体何者なのですか?」


 無邪気な問いかけとは裏腹に、彼女の銀色の瞳はジェイドの心の奥底を見透かそうとしているようだった。




 ジェイドにとって、あの日の出来事は決して忘れられるものではなかった。




 ジェイドは朽ち果てた家の入口を見ながら、ぽつりと口を開く。




「……俺が、六歳の時の話なんだけど……」




 普段の飄々とした態度とは違う、どこか遠くを見つめるような眼差しをしている。




「伝承のとおり、千番目に産まれた俺は、たくさんの人から『運命の子』とか『世界を救う勇者』とか言われてさ。街全体で大事に育てられてたんだ」




 その声には、かすかに苦味が滲んでいた。


 彼は軽く息を吐き、続きを語る。




「勘違いしちゃったんだよ。……自分は特別なんだって思い込んで、自ら勇者を名乗ってた。友達を子分みたいに引き連れて、偉そうにしてさ…… 悪さも、たくさんした」




 ジェイドは顔をしかめ、苦笑いを浮かべた。




「……今思い出しても、めちゃくちゃ恥ずかしいんだけどな」




 その言葉に、ゼトが落ち着いた声で応じた。




「まぁ、子供ってそんなもんだろ。調子に乗らない子供の方が珍しいんじゃないか?」




 短い言葉だったが、ジェイドの胸にすっと染み込んでいく。


 けれど、彼は再び視線を落とし、淡々と話を続けた。




「悪さを続けてるうちに、だんだん友達が離れていった。街の人たちの態度も、少しずつ変わっていったんだ。……当然だよね……」


 ジェイドの横顔は、どこか寂しげだった。




「ある日、離れていった子が言うんだ。本当の千番目はジェイドじゃない。千番目は他にいるってな」


 その言葉にゼトとロシェルは、吸い込まれるように彼を見つめ、次の言葉を待つ。




「ただの噂話だったんだけど、俺はそいつをやっつければ、またみんなの見る目も変わるんじゃないか?って考えてさ……。来たのがこの家だった」




 そう言ってジェイドはその日の出来事を思い出していた。




「出てこい! 勇者ジェイド様が相手をしてやる!」




 古びた扉が勢いよく開かれ、飛び出してきた少女の姿は、今もなお鮮明に脳裏に焼き付いている。


 黒紫の髪が風に揺れ、ルビーのように紅い瞳が輝く少女。


 埃を被った箒の匂い、掌で燃え盛る炎の熱さ、そして「本当の千番目は私よ」という言葉。


 初めて味わった、完膚なきまでの敗北……。




「そして、ここにいたのがアーシェ。圧倒的に強くて、六歳なのにデフラムの魔法まで使えたんだ」


 首を小さく左右に振りながら口にする。




「六歳で火炎魔法を!?」


 ゼトが驚き、聞き直す。




「魔法だけじゃない。全てにおいて負けてた。あぁ……この子が勇者だったんだってね」


 薄い笑みを浮かべたが、どこか寂しそうだった。




 ロシェルは気持ちを推し量るように、


「……そこでジェイドの中の勇者は死んでしまったと……」


 と呟く。




「そういうこと。だから俺は勇者でも運命の子でもなんでもない。今は魔王倒す! そして魔物のいない世界にする! それだけだ」


 先程までとは違い、揺るぎない信念と強い決意のこもった言葉だった。




 初めての敗北。失敗や挫折。


 それらは全て、今のジェイドの心を突き動かす、宝物のような記憶の断片だった。




 ゼトは、


「そこからよく立ち直ったな」


 と彼の肩を武骨な手でポンと叩き、声をかけた。


 そして、その諦めずに、折れても立ち直る強さこそが、勇者の資質なのかもしれないなと考えていた。




 その心を読み取ったかのように、ロシェルは、


「やっぱり…… 勇者は生きてますよ。私とゼトはそう思います」


 と銀色の瞳を輝かせ、優しい笑みを見せた。




 ゼトもロシェルの真似をし、目を開き優しい笑みを見せた。




「怖いよ……」


 ジェイドは苦笑いを浮かべ呟き、二人に「ありがとう」と感謝を伝えた。




「それで、どうする?」


 ゼトが短く尋ねる。




「街に戻ろう。帰ってくるとも思えないしね。……ここに来れば何か分かると思ったのにな……」


彼は小さく息を吐き出し、力ない笑顔を見せた。その顔には、隠しきれない失望の色が浮かんでいた。




 しかし、まだ冒険は始まったばかり。街での聞き込みで何かわかるかも知れない。 


 そう思い振り返ると、ロシェルが目を見開き、森の奥を緊迫した表情で見つめていた。


 声を掛ける間もなく、


「何か……邪悪な……森の奥に何か……」


 これまで感じたことのない、底知れぬ邪悪な気配を、彼女は感じ取っているようだ。




「行ってみよう」


 ジェイドの決断は早かった。


 ロシェルは、ジェイドの決意に一瞬躊躇したものの、すぐに覚悟を決めたように、力強く頷いた。


 ゼトはロシェルの覚悟を見定めると、頼もしげに薄く笑みを浮かべ、鋭い視線を森に向けた。


「俺が森を切り開く。方角を指示してくれ」


 剣を抜き、道なき森へと足を踏み出した。




     *




 深い森の奥へ、邪悪な気配に導かれるように足を踏み入れた。


 道なき道を進むうち、周囲の空気が急に冷たくなり、淀んでいるのを感じる。


 まるで重い足枷をつけられたように、足取りも覚束ない。




 ロシェルは何かを感じ取ったのか、眉間に皺を寄せながらも、アウロラ神への祈りを捧げ続けている。




 不気味な静寂を破るように、言葉とも鳴き声とも違う音を発し、木々の陰から三体の異形が現れた。


 それはゴブリンと呼ばれ、成人男性よりも小柄で猫背の体躯は骨ばり、頭部は異常に大きい。


 その歪んだ口は耳元まで裂けており、まるで嘲笑しているかのようだ。


 そして、その奥からさらに一体、木々を薙ぎ倒しながら、ゼトよりも巨大な狼の魔物が姿を現した。


 漆黒の毛並みに紅蓮の瞳を持つそれは、低く唸り声を上げている。




「ヘルハウンドか、炎を吐いてくるぞ!」


 ゼトは二人の前に立ち、剣を構えた。


「ヘルハウンド!? 街のこんなに近くだというのに……」


 ジェイドは驚きながらも剣を抜き、ゼトの隣に並ぶ。


 ゼトが「下がっていろ」と言いかけた時、その間を縫うようにロシェルが一歩前に出た。


 その手には、いつの間にか金色の錫杖が握られている。




「ロシェル、下がれ!」


「コイツまた、勝手に!」




 と二人は叫ぶが、ロシェルは意に介さず、


「邪悪なるものよ、神からの宣戦布告です!」


 と錫杖を正面に持ち、右手を胸に当てアウロラ神への祈りを捧げた。


 すると、錫杖に眩い光が宿り、それをトンと地面に突きつけた瞬間、光は魔物たちの頭上へ飛翔し、弾け散った。


 神聖な光に目を焼かれた魔物たちは、「グギャオーー……」苦悶の呻き声をあげる。


 その隙を逃さず、ゼトは三体のゴブリンを豪快な一撃で葬り去った。


 黒褐色の血が、森の木々を汚す。


 視覚を失ったヘルハウンドは、牙を剥き出し、咆哮と共に喉奥から焦熱の炎を吐き出した。


「ロシェル、避けろ!」


 ジェイドの叫びが森に響く。


 炎は無防備だったロシェルの右肩を掠め、背後の古木の幹に着弾した。


 瞬く間に樹皮は黒く焦げ付き、そこから赤い炎が燃え上がる。


 ロシェルは煙の上がる右肩を庇いながら、次の攻撃に備えた。


 しかし、彼女の銀色の瞳に映ったのは、ジェイドが魔犬に飛びかかり、刃で喉元を貫いたところだった。


 ヘルハウンドは怒りの雄叫びをあげ、ジェイドの首元を噛み千切ろうと大きく口を開けたが、彼は突き刺した剣を横に払い、首半分を切り割いた。


 地獄の底から響くような咆哮は、喉を斬り裂かれたことで、音を失った。




 ヘルハウンドは巨体を震わせ、ゆっくりと後ろへ倒れ込む。


 その巨体が地面に叩きつけられると、鈍い音が森に響いた。


 開いた口からは、まだ小さな炎が揺らめいていた。


 それは赤く頼りなく揺らめき、やがて静かに消えていった。


 巨獣の亡骸は、燃え盛る木の光を浴びて、影絵のように静まり返っていた。




 ジェイドは刃についた血を払うこともせず、ロシェルに駆け寄り、


「早く手当を……ん?」


 ロシェルは火傷はおろか、法衣の煤汚れすらなかった。


「流石はAAAエースリーの法衣だな! ヘルハウンドの炎を食らって無傷とは!」


 ゼトは豪快に笑ったが、心から安堵した。


 初戦で誰かに怪我させたとあっては、ギリアムに合わせる顔がない。


 頼んだぞ、と肩を優しく叩かれたことが脳裏に浮かぶ。




 ロシェルは、


「全てはアウロラ様のご加護です」


 と胸に手を当て恭しく頭を下げた。




 ジェイドのAAAへの知識は、聞いたことがある程度だった。


 グランアストラ城内にガリシア王が設立した魔法学院がある。


 その学院長とアストラル大聖堂の司教、有識者、優秀な生徒で構成されるのが、アストラル・アーケイン・アカデミー。


 通称AAAだ。


「なんだ? AAAの法衣って」


 とジェイドはゼトに尋ねる。


「俺も詳しくは知らんが、魔法使いの偉い先生が、武具に魔法を付与してくれるんだよ」


「そうです。私の法衣も錫杖も魔法の加護を受けています。法衣は少しくらいのダメージなら受けつけません」


 ロシェルは付け加えた。


 ジェイドはAAAを魔法の研究機関くらいに思っていた。


 魔法の武具がグランアストラで作られていた事に驚いた。


「ギリアム様は何本も魔法剣を持っておられるぞ」


 ゼトは自分の自慢話のように朗々と話す。


「魔法剣によっては、小さな砦くらい一撃で壊滅できる。ギリアム様ならばな」


 と腕を組み、なお得意気だ。


 ゼトは次の話しを始めようとしたが、ロシェルの銀色の瞳はまだ森の奥を険しく睨み続けていた。


 ジェイドはまだまだ聞いていたかったが、そういう訳にもいかないようだ。




     




 鬱蒼とした森を進み続ける。


 醜悪な魔物を何体葬っただろうか。


 気づけば風が止み、鳥のさえずりも消え、森全体がまるで生きていないかのように静まり返っていた。


 その静寂こそが、この森の奥にある何かを物語っているかのようだ。


 突然樹木が全くない、それほど広くない空間にたどり着いた。


 ロシェルは緊張した面持ちで、


「ここですね……」


 とだけ発した。


 ジェイドもゼトも禍々しい気配を感じとっている。


 が、何も無い。


 ロシェルは両手で持った錫杖を地面に刺し、目を見開き集中する。


 何かが見えたのか、静かに歩き、足で払うように土を除ける。


 すると、石畳のような物が現れ、ロシェルも見たことのない古い文字が書かれている。


 ジェイド、ゼトも共に文字の続く方に土を払い除けながら進む。


 その文字の羅列は円を描くように配置されていた。


 ロシェルは確信したように、二人に円の中の土も取り払うようにお願いする。


「やはり……」


 三人の目の前には古く掠れた魔法陣が描かれていた。


 その魔法陣からは聖職者ではない、ジェイドとゼトでも禍々しい空気を感じることができる。


 何のためにこのような森の奥に存在するのか?


 何に使うのか?


 そもそも誰が描いたものなのか?


 三人は辺りを見渡すも、この魔法陣以外変わったものはない。


 以前として淀んだ冷たい空気は変わらず、少し息苦しく感じる。


 ロシェルはその場を聖なる光で浄めようと、錫杖を右手に持ち、左手を上げアウロラ神に祈りを捧げようとした。


 その時、地底のマグマが噴き出すかのように、魔法陣が不気味に明滅し、中央の空間が歪み始めた。


 歪みが少しずつ形を成していくと同時に、邪悪なオーラを放つ。


「なにか、くるぞ!」


 ジェイドとゼトは剣を抜き、戦闘態勢をとる。


 ロシェルはアウロラ神への祈りを続け、金の錫杖には聖なる光が集まり、眩く輝いている。


 歪みは形を肥大させながら、魔物へと姿を変えていく。




 巨大な二本の角が魔法陣の光を鈍く反射する。


 雄牛の頭を持ち、黒々とした毛皮に覆われた屈強な肉体。ミノタウロスが姿を現した。


 肩に大斧を担ぎ、怒りの咆哮を上げるその姿は、まさに圧倒的な威圧感を放つ。


背丈はジェイドの倍ほどもありそうだ。


 ゼトが、


「今のうちに逃げた方がいいんじゃないか?」


 と冗談とも本気ともつかぬ言葉を吐く。




 ジェイドも、


「何を今更……」


 と冗談ぽく返した。


 が、それを聞き終わる前にゼトは走り出し、全身の力を込めて大剣を頭上に振りかぶった。


 まるで山を砕くかのように大きく振りかぶられた剣は、一気に振り下ろされ、大地を震わせるほどの衝撃と共に、ミノタウロスを叩き斬った……かに見えたが、ゼトの刃がミノタウロスの頭部にあとわずかというところで、鈍い金属音が鼓膜を震わせた。


 それは、ミノタウロスが振りあげた巨大な斧が、ゼトの剣を捉えた音だった。


 鋼鉄同士が激突した刹那、衝撃波が周囲の空気を揺らし、ゼトの巨体はまるで風に舞う木の葉のように宙を舞い、傍らに生える古木をなぎ倒した。


「ガフッ!」


 激しく地面に叩きつけられ、ゼトは血を吐き、呻き声を上げた。


 なんとか起き上がろうとするゼトだったが、巨獣の膂力による一撃は彼の巨体を容赦なく叩き伏せた。全身に鋭い痛みが走り、思うように力が入らない。


 ロシェルは錫杖の光をミノタウロスへの攻撃か、ゼトへの回復に使うか、一瞬の判断を迫られた。


 ミノタウロスは再び咆哮する。


 風を切り裂くような唸りは、雷鳴のように轟き、耳をつんざく。




 その咆哮に導かれるように、ゴブリン三体と人型の魔物二体が新たに姿を現した。


 グールと呼ばれる食人鬼だ。


 悍ましく腐敗した灰色の肌、死肉を切り裂く長く鋭い爪。


 血走った大きな目は三人を激しく睨みつけ狡猾に襲いかかる。




 ミノタウロスの巨体は大地を揺るがす轟音と共に、ゼトへと迫り来る。


 石畳を叩きつける蹄は、まるで戦鎚のように重く、その一歩一歩が地を震わせた。


 同時に、二体のゴブリンが姑息にもゼトの背中に鉤爪を振り上げる。




「ゼト!」




 ロシェルの悲痛な叫びが響く。




 しかし、ゴブリンの鉤爪がゼトに届くことはなかった。




 ジェイドがゼトの背後に素早く回り込み、雷光のごとき速さで刃を閃かせる。


 次の瞬間、ゴブリンの両腕が宙を舞った。




 刃は止まらず、弧を描き、返す刀で次のゴブリンの肩口から腹へと、深々と食い込んだ。


 切り裂かれたゴブリンは、その場で崩れ落ちるように倒れた。


 ジェイドの動きは、冷酷なまでに正確で、躊躇がなかった。




 ロシェルはゼトの回復をアウロラ神に祈り、ラ・フェリート(聖なる光)をゼトへと注ぎ込んだ。


 錫杖から飛翔した光がゼトの傷を癒やしていくのが感じられる。




 ゼトはなんとか立ち上がり、眼前に迫るミノタウロスに剣を向ける。


 ミノタウロスが大斧を頭上高く振り上げた瞬間、赤々と燃える炎が一直線に飛来し、牛の顔面を焦がした。


 ジェイドがデフラム(火炎魔法)を唱えたのだ。


 ミノタウロスが苦悶の雄叫びをあげる。


 不快な肉の焼け焦げた匂いが鼻につく。


 それでもミノタウロスは黒く焦げた顔をゼトに向けギョロリと睨み、再び斧を振り上げた。


 無造作にあげた腕をジェイドは見逃さず、疾風の如き速さで切り落とす。


 そしてゼトは目の前の隙だらけになった右腹に、仕返しの一撃を食らわした。


 怒りに狂うミノタウロスは鋭い二本の角を振りかざし、ゼト目掛けて突進する。


 ゼトは剣と盾を使っていなすが、あまりの力の差に押され始める。


「なんて馬鹿力だ……!」


 ミノタウロスの突進は、まるで巨大な岩が転がってくるかのようだった。


 ゼトは盾で受け止めきれず、体勢を崩しそうになる。


「ゼト!」


 ジェイドが叫び、ゼトを助けようと駆け寄るが、ミノタウロスはジェイドの動きを捉え、空いた左手を振り抜いた。


 ジェイドは辛うじて剣を盾代わりに防御したが、衝撃に耐えきれず吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。




 倒れたジェイドに、二体のグールが長い爪を蠢かせ忍び寄る。




「ジェイド!」




 ゼトは焦りジェイドの方に一歩踏み出すが、ミノタウロスは容赦なく再び突進してくる。




「フラム・サグラード!」(聖なる炎よ)




 ロシェルは叫ぶと同時に、左手をミノタウロスへ向けて突き出し、そのまま真横に鋭く振り払った。


 神聖な光が、眩い輝きとなって、ミノタウロスの足元を包み込む。


 次の瞬間、激しい閃光




「アウロラ様の聖なる炎は、邪悪な物ほど熱くなるのでお気をつけを」


 と僅かに微笑む。


 振り払えない炎の熱に、ミノタウロスは膝をつき、焼かれる苦悶に顔を歪めた。


 しかし、その巨体は容易くは屈しない。


 凄まじい生命力で、燃え盛る炎を振り払うと、ゼト目掛けて、体ごと角を突き出し突進した。


 その勢いは、倒れる寸前の獣とは思えないほど力強い。




 ミノタウロスの角が、ゼトを捉えようとしたまさにその瞬間、ジェイドは「うおおおおっ!」と唸り声を上げながら、剣を両手で握りしめ、己の全てを込めた一撃を放った。


 剣は、ミノタウロスの角の根元を捉え、鋼鉄同士がぶつかり合うような衝撃音と共に、巨大な角を叩き斬った。




 バランスを崩したミノタウロスの巨体がよろめく。


 膝が落ちたことで、その頭部はゼトの剣が届く絶好の位置にあった。




「ゼト! 頼んだ!」 




 ゼトはジェイドの攻撃で生まれた一瞬の隙を見逃さなかった。


 全身の力を剣に集中させ、振りかぶった剣を、ミノタウロスの頭頂部へと振り下ろした。




 破砕の音と共に、剣はミノタウロスの頭部を真っ二つに斬り裂いた。


 巨体が魔法陣の上に崩れ、地響きが起きた後、静寂が訪れる。


「俺の仕返しは二倍だ、牛ヤロウ……」


 ゼトは未だに痙攣したまま絶命しない怪物に吐き捨て剣を納めた。




 ロシェルは聖なる炎が消えたことを確認すると、アウロラ神に静かに感謝の祈りを捧げた。


 巨獣は、もう二度と動くことはないだろう。




「やったな!」




 ジェイドは興奮冷めやらぬ様子で、ゼトの肩を力強く叩いた。


 その顔は安堵と達成感に満ち溢れていた。




「助かった……。二人には借りを作っちまったな」


 ゼトはそう呟き、深く息を吐き出した。




 そして思い出したように、


「そういえば、さっきは大丈夫だったのか? 吹っ飛ばされて、グールが来てただろ?」




「ああ、あれか?」


 ジェイドは剣先で、転がった肉塊を指し示す。




 ロシェルは、


「……回復魔法も自分で唱えちゃうんですよ。信仰心もないのに……」


 と頬を膨らませ、子供のように拗ねた表情をした。




 ジェイドは慌てて、


「ちょっとだけな。齧った程度しかできないんだ……」


 と弁明するも、彼女は、


「齧った程度……ですか。アウロラ様、どうかジェイドに罰をお与え下さい……」


 と手を組み、静かに祈りを捧げる。




 ゼトは打ち付けた腰に手を当て、込み上げてくる笑いを抑えられない。




 三人は疲労の色が見えるものの、その表情には確かな勝利の光が宿っていた。




 激しい戦いの終わりを告げるように、静かな風が吹き抜けた。

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