9.き、気をつかうよ~~
プールでの大波事故は原因不明とされたが、幸い、みんな気を失っただけで怪我人も出なかったので、大事にはならなかった。
普見蘭も、一応、怪我人が出ないように配慮(?)して僕を攻撃してきたようだ。
その日は、陸守ケイと海守マナの僕の三人で帰った。
「その……、マナは、どうして僕のクラスに転入してこなかったんだい?」
「そうよそうよ。
絆君と同じクラスに転入して、ほぼ二十四時間一緒にボディガードをするようにとの指示が出ていたはずでしょ?」
二人に言われ、マナは少し言いよどんだ。
「それはね……」
「うん?」
「それは?」
僕とケイは、マナの顔を覗き込んだ。
「間違えちゃったからなの」
頭の後ろに片手をやり、ぺろっと舌を出すマナ。
僕とケイはずっこけた。
結局、海守マナは、転入するクラスを間違えて、僕の隣のクラスに入ってしまったのだ。
しかし幸いなことに、水泳が学年合同男女一緒の授業だったので、マナも僕と授業が一緒だった。
だから、普見蘭からの襲撃に対抗することができたのだ。
もし、そうじゃなかったら……、危なかったよ。
「あの、ところでさ、マナ」
「なに、絆ちゃん?」
「その……、もしかして、マナも僕のうちに住むとか?」
「とーぜん。
だってそういう指示が出てるから」
「出てるからって……」
僕はいろいろ考えた。
まず、寝る場所はどうするんだろう?
それから風呂は?
まあ、風呂は、ケイかマナのどちらかが入っている時、もう一人のほうと一緒にリビングにいればいいとして……。
僕が入っている時は、やっぱりどちらかが脱衣所で僕のこと待っていてくれるのかなあ……。
そんでもって、寝るときだ。
やっぱり同じ部屋なのかなあ。
ベッドをまた買い足さなきゃならない?
う~ん。
などと考えている内に、家に着いた。
「ふーん、ここが絆ちゃんの家か」
マナは、家の中に入ると、珍しそうにあちこち見回した。
「人間の家は初めてなの?」
「まあね。ケイ、あなたもでしょ?」
「そうだけど……」
「人間って、家で何するの?」
「何って……、まあ、食事したり、勉強したり、お風呂入ったり、寝たり……」
「そうそう、聞きたかったのよね、それ。
お風呂って何?」
「何って……、人魚ってお風呂入らないの?」
と聞いてから気付いた。
考えてみたら、人魚は普段、海の中で暮らしているのだ。
もともと水の中にいるのだから、そもそも“お風呂”という概念が無いのかもしれない。
「その……、体の汚れをお湯で洗い流したり……、ためたお湯につかったりするんだよ」
「そうなんだ。
じゃあ、今日のプールみたいなもの?
あんな狭いところにつかったって、きゅうくつでしょう?」
マナは、お風呂をプールみたいなものだと思ったようだ。
しかも、それをきゅうくつだなんて……。
確かに人魚が暮らす海に比べたら、プールなんて比較にならない狭さだろう。
じゃあ、実際のお風呂を見たら、マナはどう思うのかな?
「ここが、その、お風呂だよ」
僕は、マナを浴室に案内した。
「へ? どこ?」
「ここ」
「ここって……、どこに水が……、お湯があるの?」
「お湯は、ここにためるんだよ」
僕はバスタブを指した。
「そして、こっちで体を洗う」
「ふーん」
マナは、ひょいひょいとバスタブの中に入った。
そしてボワンと煙が出て……、マナは人魚の姿になった。
「ちょ、ちょっとマナ?」
「お風呂っていうのに、入ってみたい。
お湯入れて」
マナは、バスタブのへりに両手をのせて、こちらを見上げた。
お風呂への期待(?)からか、尾ビレがぴったんぴったんしている。
なんだか、犬が喜んでいるみたいだな。
「まだ、明るいし……、お風呂は普通、夜、入るもんなんだけど……」
「えーー」
マナがちょっとがっかりした顔をする。
まあいいか。
命の恩人だし。
ちょっとお風呂に入るくらい。
僕はスイッチを入れた。
「お風呂をわかします」
というアナウンスがされ、お湯がバスタブに注がれ始めた。
「わ、なんか、これ、喋ったよ」
マナが珍しそうに、浴室壁に備え付けられているお湯のコントローラーを見る。
「まあ、そういうもんなんだよ」
ジャバジャバお湯が注ぎ続けられる。
「どう、マナ?」
マナは無言でじっとしている。
お湯がバスタブ半分くらい入った。
「絆ちゃん」
「な、なに?」
「……。あったかくて、いいね、これ」
マナはご機嫌だった。
「冷たい水の中はしょっちゅう入ってたけど、お湯の中というのはなかったわ。
案外、いいじゃない、この、お風呂ってやつ」
「そ、そうなの、それはよかった。
じゃあ、ゆっくり入ってて」
僕は浴室から出ようとした。
「絆ちゃん」
「まだ何か」
「絆ちゃんも一緒に入れば?」
「え、一緒に……」
そ、それはだめだよ。
昨日もケイからそう言われたけど、人間の男女中学生は普通一緒にそういうことはしないものなんだから……。
「なーんだ、つまんない。
じゃあ、ケイ、あんた、一緒に入る?」
「え……、私?」
どうしようという顔で、ケイが僕を見た。
「い、いいんじゃないか。
そうだ、一緒に入って、いろいろ使い方教えてあげてよ」
夕べ、僕がケイにシャワーや水栓の使い方を教えてあげたのだ(もちろん、服を着てだ)。
今日は、ケイがマナに教えてくれれば、その手間が省ける。
「まあ、じゃあ、絆君がそう言うなら……」
ケイは、さっそく服を脱ぎ始めた。
「あ、ま、待ってケイ、僕が外に出るまで。
あ、その前にマナ」
「何?」
「いったん、そこから出て、人間の姿に戻ってよ」
「どうして?」
「いいから」
マナは、不思議そうな顔をしながらも、湯船から出ると、人間の姿に戻った。
その姿は中学校の制服だ。
「マナも、人魚の姿じゃなく、人間の姿でお風呂に入ってよ。
そうやって、人間の生活に慣れてもらうからさ」
「ふーん、そういうことね。
分かった、いいよ」
マナも制服に手をかけた。
「だから、待ってってば」
まったく、ケイもマナも気が早い。
僕はあわてて脱衣所から出た。
風呂場の扉がしまり、中からお湯を使う音が聞こえてきた。
「絆くーん。
ちゃんと扉の外にいてーー」
ああ、そうだった。
ケイがお風呂に入っている時は、扉の外にいる約束だ。
ケイもマナも一人ずつお風呂に入ると思っていたから、この約束は無しになるかと思っていたのだけれど、結局こうなってしまった。
女の子が入っているお風呂の扉の外で、出てくるのをじっと待つ男って……、なんだか、僕、変態みたいじゃないか?
風呂の中からは、二人のやりとりが聞こえてくる。
やれ、どちらの胸が大きいかとか、どちらのウェストがくびれているかとか、どちらの肌がきれいかとか……。
聞いてて、い、いたたまれない。
やっと二人の入浴が終わり、入れ替わりに僕が入った。
ところが今度は二人が扉の外で監視してくれているのだ。
いや、監視というのは言葉が不適切だな。
見張ってくれているというか、ボディガードをしてくれているのだ。
実際、ヴァンパイヤの血祭冴とフランケンの普見蘭が僕の命をねらっている。
油断はならない。
時々、浴室扉の外、脱衣所で待機しているケイとマナから声がかかる。
「絆君、大丈夫ーー?」
「だ、大丈夫だよーー」
「絆ちゃーん、何かあったら言ってねーん。
直ぐに入っていくから」
「な、何もないから大丈夫だよ。
それに直ぐ入ってこないで。
『いいよ』って言ってからにしてくれるかな」
ケイがマナにかみつく。
「ちょっとマナ、絆君が嫌がることしないでよね」
「あらケイ。
守るべき相手のことをいつも心配するのは当然でしょ」
「絆君のことは私が心配するからいいわよ」
「あら、今日は私がいたおかげで絆ちゃんが助かったんじゃない」
「今日はそうかもしれないけど……、これまでは私が何度も絆君を守ってきたんだから」
「じゃあ、これからは私が何度も絆ちゃんを守ることにするわ」
扉の向こうから、二人の視線がぶつかり合い、バチバチと火花が飛ぶのが聞こえてくるようだ。
「ふ、二人とも……、僕もう出るからちょっとそこから外してくれるかな」
「えー、そんな絆ちゃん、遠慮しなくていいのに……」
「遠慮じゃないわよマナ。
人間の中学生の男女はそういうものなの。
人間世界のこと、何も知らないんだから」
「ぶーー」
ケイにやり込められてマナがふくれたようだ。
そういうケイも、こないだまでマナと同じだったのだけど。
「私、ベッドというので寝るの初めてーー。
今まで眠るのは海の中って決まってたから」
「そ、そうなんだ……。
じゃあ、どういう割り振りにしようかな」
僕の部屋にはベッドが二つ、L字形に置かれている。
お馬さん模様のパジャマのケイに対し、マナはお魚さん模様のパジャマ。
どちらも自分に合った柄のパジャマを選んでいるんだな。
さて、この三人でどうやって寝るかだが……。
二人がケンカしないためには……。
「じゃあ、ケイとマナは、ベッドで寝て。
僕は床でタオルケットをかけて寝るから……」
「あら、そんなのつまんない。
絆ちゃんも、ベッドで寝ようよ」
「いや、それはだね……」
「マナ、人間の中学生の男女は一緒のベッドで寝たりしないのよ。
人間世界はそういうものなの」
言いかけた僕にかぶせて、またまたケイがマナにつっこんだ。
「人間世界、人間世界って……、絆ちゃんだって、モンスターと人間のハーフじゃない。
そんなに人間世界のやり方にこだわらなくてもいいんじゃない?」
マナに言われてはっとした。
そうだった……。
僕は純粋な人間じゃなかったんだ。
ほんの三日前までそう思い込んでいたのに……。
「絆ちゃんが床で寝るなら、あたしも床で寝る。
ベッドで寝るのも床で寝るのも、初体験だから楽しいし」
「じゃ、じゃあ、私も絆君と床で寝る!」
全く何と言うことか……。
せっかく二つもベッドがあるのに、誰もそれを使わず、僕ら三人は床で川の字になって寝ることになった。
真ん中の僕は、真上の天井を見つめたまま微動だにしない。
右を見ても左を見ても、きっとケイとマナがけんかを始めるだろうから、公平さを保つためにはこうするしかないのだ。
「絆ちゃん、なんかお話ししよーよー」
「マナ、絆君は、ずっといろいろあって疲れてるのよ!
早く寝かせてあげなきゃ」
「ええー。
ちょっとくらいいいじゃない」
「だめ、マナが話しかけると、うるさくて絆君が眠れない!」
「そんなこと言って……。
ケイの声がいちばん大きいじゃない」
「そんなことないもん!!」
うう……、両耳から二人の言い合いが響いてきて、今夜もあまり眠れそうにない。