第20話:夜明けの緋色
ドォォォォォォォォォン!!!
劇場の空気を震わせる、重い打撃音。
カイの左拳が、デウスの白塗りの顔面を正面から捉えた。ライナの正義、ガブリエルの執念、そしてカイ自身の積み重なった憤怒を乗せた一撃。
デウスの体は、まるで糸の切れた人形のようにステージを吹っ飛び、ステージ上でいつもデウスが座っている豪華な玉座に突っ込んでいった。
「……ハッ、……ハァ……。……どうだ、これで……」
カイは刃に貫かれた右手をだらりと下げ、肩で息をしながら、デウスの玉座を見据えた。
だが。
「……ア、アハ……。アハハハハハハハ!!!」
崩落する天井から降り注ぐ火の粉の中、デウスが玉座で高笑いを上げる。白塗りは剥がれ、顔面は歪み、鮮血が口端から溢れている。にもかかわらず、その瞳にはかつてないほどの狂気…狂喜が宿っていた。
「素晴らしい……!この痛み、この炎……そしてこの……完璧な孤独! スカーレット、君は最高だ! 私の脚本を、こんなにも無様に、美しくぶち壊してくれた!!」
デウスはもう立てないようだ。崩れゆくステージ上の玉座で天を仰ぎ、両手を広げている。
「完璧だ……私は私だけで完結する…ああ、そうだ! 私一人だ!スカーレット!!他人の目なんて必要なかったんだ!スカーレット、アナタさえいれば私には十分だったんだ!!」
「……狂ってやがる」
カイは吐き捨て、背を向けた。もはや、この男に言葉をかける価値はない。
「おい、…立てるか、筋肉ダルマ」
「……立てるわけないだろ。……いいから早く逃げろ。……セラフの隊長として…一般人を巻き込むわけにはいかない……」
カイはガブリエルが言うことを無視して、ガブリエルの巨体を左腕一本で強引に引きずり起こした。凄まじい質量が、ボロボロのカイの肉体にのしかかる。
「……くっ、……重てぇんだよ、アンタ……」
「何をしてるんだ…お前もボロボロだろう、さっさと逃げろ……」
背後では、スポットライトが撃ち抜いたメイン火薬が次々と誘爆し、劇場の屋根が轟音と共に崩落し始めていた。炎の壁が迫り、熱風がカイのコートを焦がす。
「……死なせねえぞ。……俺を『捕まえる』って、言っただろ……!」
カイは歯を食いしばり、ガブリエルを背負った。膝が笑い、視界が火花を散らす。しかし、カイには目の前で死にかけている仲間を見捨てることは二度とできなかった。
崩落する回廊。燃え盛るカーテン。カイはもう残りかす程度のWRATHのオーラを絞り出し、崩れる瓦礫を跳ね除けながら、出口へと突き進んだ。
劇場の正面扉が、爆風と共に吹き飛んだ。
黒煙の中から、ボロボロの影が這い出してくる。
「……スカーレット!ガブリエル!!」
包囲網の最前線にいたライナが、悲鳴に近い声を上げて駆け寄った。
彼女の背後には、銃を構えた数百人のセラフ隊員と、サーチライトを浴びせる装甲車の列。第4区を完全に封鎖していた、鉄の秩序がそこにあった。
ドサッ、とカイはガブリエルを地面に下ろした。
「……おい、……あいつを、……頼む」
ライナが駆け寄るよりも早く、FEAR部隊の隊員たちがガブリエルを保護するために殺到する。その緊迫した空気の中、わずかに意識が残るガブリエルが、カイの腕を強く掴んだ。
「……っ、……スカーレット……」
血を吐きながら、ガブリエルは三白眼でカイを射抜いた。その瞳には、かつての蔑みではなく、一人の「男」を認めたような、奇妙な色が混じっていた。
「……今回は、見逃してやる。……だが、……勘違いするな。……次に出会った時は、……お前は絶対に……俺が、この手で捕まえてやる……」
「……ハッ。……楽しみにしてるぜ、筋肉ダルマ」
カイはライナを一瞬だけ見つめ、小さく頷いた。
「……貸しだぜ、隊長さん」
ライナが何かを言いかける前に、カイは漆黒のコートを翻し、朝焼けが始まりつつあるスラムの路地裏へと、風のように消えていった。
セラフにそれを追うものは一人もいない。
サーチライトの光が、もはや誰もいない場所を虚しく照らしていた。
事件から数日後。
中央街区にあるセラフ指定病院の特別病棟。窓の外には、封鎖が解除され、日常を取り戻しつつある第4区の街並みが広がっていた。
コンコン、と控えめなノックの音。
「……入るわよ、ガブリエル」
ライナが病室のドアを開けると、そこには上半身を幾重にも巻かれた包帯で固定され、ベッドに上体を起こしたガブリエルがいた。
数日前、死の淵を彷徨っていた男とは思えないほど、その眼光は既に鋭さを取り戻している。
「……ライナか。……街の様子はどうだ」
「劇団の残党狩りはほぼ終わったわ。市民たちも日常を取り戻しつつある……皮肉なものね、私たちが守ろうとした秩序を、一人のレッカーが救ったんだから」
ライナはサイドテーブルに花瓶を置き、椅子に腰を下ろした。
「……話せるくらいには回復したみたいね。信じられない、あれほどの重傷から………じゃ、さっそく聞くけど、例の『赤い薬』について、何か分かった?」
「……ああ」
ガブリエルが、苦々しげに顔を歪めた。
「……あの薬の名はGEHENNA。……人間の感情……憤怒のコードを強制的に抽出し、WRATHへと変異させる薬だ。……デウスに、俺の軍時代の相棒だったシドが供給していたようだ」
「シド……前にあなたが話していた……」
「アイツは必ず捕まえなければならない。あとでセラフにも報告するが、お前も顔を確認しておいてくれ」
ガブリエルがスマホでシドの写真を出し、ライナに見せる。
「……!!左目に傷の男…!」
「知っているのか?」
「以前にある現場で見かけた、理性が残っているWRATHよ」
「お前が報告していたあれのことか。……シドは、GEHENNAの唯一の適合者だと言っていた。GEHENNAを打っても理性を失わないんだそうだ」
「……!」
「シドとデウスが繋がってるのも、デウスの手下の犯罪者を使ってGEHENNAの人体実験をするためらしい」
「実験……? あの大量のWRATH化は、単なるテロじゃなかったっていうの?」
「……そうだ。ヤツは、自分と同じように理性を保ったままWRATH化できる『適合者』を探している。……データを集めているのは、適合者探しと同時にGEHENNAの改良を行うためだろう」
ガブリエルが、包帯越しに腹部の傷跡を強く握り締めた。
かつての相棒が、人間を怪物に変える地獄の門番へと成り下がっていた事実。その重みが、沈黙となって病室を支配する。
「……それで」
ガブリエルが、意識して声を低くした。
「……劇場の『後片付け』は終わったのか?」
ライナは、視線を窓の外へと逸らした。その表情は、どこか晴れない。
「……劇場の焼け跡からは、数十体の劇団員の遺体が見つかったわ。……どれもこれもひどく損傷してた」
「……デウスは」
「……出ないのよ。……どこを探しても、座長……デウスらしき遺体も、遺留品も見つからなかった」
ガブリエルの頬が、微かに引き攣った。
「……バカな。……スカーレットの一撃を受け、あの崩落に巻き込まれたんだぞ。……生きて出られるはずがない」
「……私もそう思うわ。……でも、現場を封鎖してセラフの総力で瓦礫をどかしても、あいつの王冠すら出てこない。……まるで、最初からそこに誰もいなかったみたいに」
二人の間に、不気味な寒気が走り抜けた。
デウスは死んだのか。それとも、あの地獄の舞台から、誰かが彼を回収したのか。あるいは、彼自身がそれすらも演出していたのか、だとすればどこからが演出だったのだろうか。
病室で2人が重苦しい沈黙に支配されていた同じ頃。
旧市街を見下ろす、古びたビルの屋上。
カイは、スカーレットの漆黒のコートを羽織り、街の夜を切り裂く朝焼けを見つめていた。
激闘の痛みは、まだ消えていない。だが、それ以上にカイを苛んでいるのは、シドが最後に残した言葉だ。
『――貴様のオーラは、GEHENNA投与者特有のノイズが無い。……貴様、まさか……』
カイは、自らの左拳をじっと見つめた。
「……ミナ。……俺は、何者なんだ?なぜ、WRATHなのに俺は俺でいられる?……いつまで俺は俺でいられるんだ?」
風が吹き抜け、カイの髪を揺らす。
ミナの声は聞こえない。だが、胸の奥に灯る熱い塊だけは、はっきりと感じられた。
シドは生きている。
カイがすべきことは何も変わっていない。
「……待ってろ、シド。……俺がいずれ、怒りに飲まれただのWRATHに成り下がるとしても……」
カイは仮面を手に取り、静かに顔を覆った。
市街区の方から、監視ドローンのアラートが鳴り響く。……レッカーが現れたようだ。
「……その前に、お前を殺す」
アラートの方へ飛び出していくスカーレット。
彼の戦いに、終わりは来るのだろうか。
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