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第1話:緋色の覚醒

空は重苦しい鉛色をしていた。垂れ込めた雲は低く、まるで巨大な天井が街を押し潰しているかのようだ。


生気のない顔で街を行き交う人々は、互いの視線を合わせることもなく、淡々とした歩調で歩いている。


無機質な高層ビル群の隙間を、無数の監視ドローンが羽虫のように低く飛び回っていた。人間よりもむしろドローンの方が活発に動いているようだ。


ウィィィィン……


鼓膜に刺さる耳障りな駆動音。ドローンの複眼のようなレンズが、不規則に収縮しながら通行人の顔をランダムに覗き込んでいく。


監視ドローンが見ているのは、人々の感情。この国では「コード」と呼ばれている。

――コードは、この国において「汚物」であり、同時に「猛毒」でもある。


数十年前に起きたパンデミック以降、人類のコードは特定の閾値を超えると、その精神を、そして肉体をも変異させる「覚醒」を引き起こすようになった。

覚醒者は超常の力を得るが、力に溺れ覚醒犯罪者『レッカー』として犯罪に走るものも出てくる。


ゆえに、政府は徹底した管理社会を築き上げた。市民の感情を監視するためのドローンが街中を飛び回っているのだ。


街中で何らかの原因で「覚醒」した場合、監視ドローンに見つかって連行され、

矯正施設に入れられるか、

その追跡を逃れレッカーとなるか、

能力を活かして対レッカー治安維持組織「セラフ」に入るしか選択肢はない。


そのため、この町の人々は感情を外に出さず、波風を立てずに大人しく過ごすよう教育され、ドローンに監視されながらそれに従っているのだ。


様々な感情の覚醒者が存在するが、中でも《WRATH(憤怒)》だけはさらに特別だ。


WRATHの覚醒者は、例外なく暴走する。覚醒により凄まじい力を得るが、その力を人間が制御することは不可能で、自我のない破壊の化身となってしまうのだ。


そのため、WRATHの覚醒者には矯正施設に入る、セラフに協力するといった選択肢は存在しない。現れた瞬間に殺処分されるべき、「犯罪者」どころか「災害」として定義されていた。


街を行く人々の中に、一人の少年がいた。


年齢は17歳。他の人々と同じように無機質な表情ではあるが、切れ長の目の眼差しは鋭い。やや長めの黒髪は無造作だが清潔感は失われていない。

服装はあまり個性の無い黒のパーカーとワークパンツ。身長は平均程度、やや細身のどこにでもいるような少年、カイ・ルナスは買い出しを終え、唯一の身内である妹、ミナ・ルナスが待つ自宅へと帰る途中だった。

監視ドローンがカイの顔をのぞき込み、不快な電子音声を読み上げる。

『コード:静穏。検知結果、青。――良き市民でいましょう』


カイは表情一つ変えず、安物のパーカーのフードを深く被り、買い出しのレジ袋を握り直した。


「……良き市民、か」

カイは内心で自嘲する。感情を殺し、人形のように生きる。それがこの街における「良き市民」であり、政府に捕まらないための唯一のルールだ。


古びたアパートの三重ロックを解除し、部屋に入る。

そこにはカイの全てとも言えるミナが待っていた。


「お兄ちゃん!お帰り!」

 

ミナが部屋から顔を出し、屈託なく笑う。

年齢は13歳。栗色の髪をハーフアップにまとめ、赤いリボンで止めている。

白い部屋着に身を包んだその小柄な体は、兄であるカイと並ぶと色素が薄めだが、明るさと生命力に溢れていた。

「……ちょっと待ってろ、今から晩飯作るからな。」

「今日は何?」

「カレーだよ、久しぶりに肉が手に入ったから」

「やった!お兄ちゃんのカレー大好き!」


感情を押し殺した人間ばかりの中で、ミナはとても感情豊かに喜び、笑う。その笑顔を見るたびに、カイの胸の奥は温かい何かで満たされる。だが、それは常に鋭い刃を突きつけられているような不安と隣り合わせだった。


なんらかのきっかけでミナが覚醒者となった時、ミナと引き離されて暮らすことになったら……想像するだけでカイは胸が絞めつけられる。


そんな気持ちはおくびにも出さず、ミナに声をかけるカイ。

「部屋で宿題してな、できあがったら呼ぶから。テストも近いんだろ?」

「はーい、お腹空いてるから急いでよね」

「分かった、分かった」


カレーを作る準備にとりかかるカイ。

玉ねぎを刻む規則正しい音。フライパンで肉が焼ける香ばしい匂い。スパイスの香りが部屋を満たし、鍋の中でカレーがグツグツと心地よい音を立て始める。


「わ、いいニオイ!やっぱお兄ちゃん料理上手だよね」


いつの間にか部屋から出て来たミナが、カイの肩越しにカレー鍋をのぞき込んでいた。


「なんだ、びっくりするだろーが。宿題終わったのか?」

「まだ終わってないけど」

「だったら終わらせてから出て来いよ」

「だってぇ、お腹空いたんだもーん、こんないいニオイさせて宿題しろなんて、拷問だよ!」

「まだちょっと時間かかるから。大人しく部屋で宿題してろ」

「え~、ここで見ててもいいでしょ?お兄ちゃんが料理してるとこ見てるの好きなの」

「ダメだ、宿題終わらせないとカレー食べさせないぞ。ほれ、これやるから」

小皿に付け合わせのポテトサラダを盛ってミナに渡す。

「はぁ~い、ホント口うるさいんだから…」

「何か言ったか?」

「何でもない!宿題やってきます!」


この暮らしを守れるのなら、俺は一生、感情を殺して生きていける。

たとえ、心が死んだ家畜と呼ばれても構わない。

…我ながらシスコンかな?


自嘲気味に笑い、鍋をかき回すカイ。カレーを少し取って味見をする。

「……うん、そろそろよさそうだな。」


その時だった。


――ドォォン!!


ミナの部屋の方から凄まじい破壊音がする。


「…なんだ!?」


包丁を投げ出し、カイはミナの部屋へ駆け込んだ。


扉を開けた先にあったのは、地獄だった。窓ガラスが破壊され、部屋の中はぐちゃぐちゃに荒れており、その中でミナが小さな体を折るようにして床に倒れていた。


「……っ、ミナ!!」


破壊されたミナの部屋の窓から、漆黒の服に身を包んだ大男が出ていくのが見えた。重厚な素材に、鈍く光る皮のベルト。威圧的で直線的なデザインからすると、軍服の様だ。

部屋を出ていく前にカイの方を一瞥した男の左目には、戦地で刻まれたものか深い裂傷が刻まれていた。


「なんだ、アイツは…!?いや、それよりも!」


床に倒れたミナに駆け寄るカイ。


「ミナ!大丈夫か、ミナ!?」

「あ、お兄ちゃん…よかった、無事だったんだね……」

自分の方が致命傷を負っているというのに、彼女はカイの無事を確認して、力なく微笑んだ。

「俺のことはいい!それよりも…」


カイの腕の中でみるみる冷たくなっていくミナ。傷がどこなのか分からないほど、大量の出血をしている。

「ミナ、ミナ……死ぬな、ミナ……」

「お兄ちゃん、最後に、手を……」


カイの手を強く握りしめるミナ。その直後、糸が切れたようにミナの体から力が抜けた。


「ミナ……!?ミナ………!!」


なぜ?なぜミナが殺されなければいけないのか?

あの左目に傷の男は何者だ?

1人にしなければ、ミナは死なずにすんだのか?宿題なんか、後でも良かったのに………


様々な感情が渦巻く中――

――カイの中で、何かが、音を立てて折れた。


感情を殺せ。石になれ。静穏でいろ。

政府の、スキャナーの、世界の言いなりになって生きてきた。

なぜか?

守りたかったからだ。守りたかったのはミナの、たった一人の笑顔だった。


それが、今。


「……あ。……ああ、あああ……っ!!」


カイの喉から、人間のものではない咆哮が漏れる。

カイの全身から、禍々しい緋色のオーラが溢れ出してくる。


カイ・ルナスが《WRATH》として覚醒した瞬間だった。


カイの部屋に、二人の男が土足で部屋に踏み込んできた。

左目に傷の男に、後始末を命じられたチンピラだ。


「あーあ、また派手にやってくれて……」

「あの人も仕事はできるけどよ、もうちょっと繊細にやってほしいよな。後始末する方の身にもなれってんだ」


軽口を叩きながら死体を確認しようとした男の一人が、ふと、緋色のオーラを纏うカイと目が合った。

 

「……あ?なんだ、コイツ。……ヒッ、WRATH!?」

「やべぇ、逃げろ!!」


逃げようとするチンピラの背後に、カイは一瞬で肉薄した。

人間ではあり得ない脚力がフローリングを爆ぜさせ、カイの拳が男の背中を直撃する。


グシャッ、という生々しい音。

悲鳴を上げる暇もなく、男は壁まで吹き飛び、肉の塊へと変わった。

返り血を全身に浴びながら、カイはもう一人の男の首を掴み、そのまま床へと叩きつける。

一瞬で、チンピラ二人はモノ言わぬ肉塊となった。


それでもカイの怒りは収まらない。

――殺せ。壊せ。すべて焼き尽くせ。

そこにいるのはすでにカイではなく、人型の破壊衝動そのものと言える存在だった。


衝動のままに、街へ暴れ出そうとしたその時、カイの頭の中でミナの声が響く。


「お兄ちゃん…やめて、お兄ちゃん…」

「…ミナ?」


狂ったように暴れていた緋色のオーラが、一瞬だけなぎになる。

WRATHの覚醒者としてはあり得ないことだ。一度火がついた憤怒は、死ぬまで消えないはずなのに。


窓の外では、数十台の監視ドローンが集結し、鼓膜を潰さんばかりのアラートを鳴らし続けていた。このままではセラフの精鋭部隊が駆けつけ、殺処分されてしまう。


「……っ、ここで、死ぬわけにはいかない……!」


カイは、窓から夜の闇へと飛び出した。その際の衝撃で、ドローンが3つ破壊されるほどのパワーを身につけていた。


重力を無視したスピードでビルからビルへと飛び移る彼の脳裏には、あの左目に傷を持つ男の、冷徹な横顔が焼き付いていた。


「左目に傷の男……奴だけは絶対に…!!」


遠ざかるアパートからは、いつまでも空虚な警告音が響き続けていた。

緋色の眼光を闇に引かせ、カイ・ルナスは復讐者として闇の中へと消えていった。

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