第一節「平重盛」
平清盛が数年長生きし、史実とも異なる政策を取っていれば、日本は違う道を進んでいたのであろうか。
平清盛と安徳天皇を中心に展開する、史実を重視した歴史フィクション。
1179年8月下旬(治承三年閏七月下旬)
京・東山小松第
夏。
東山の緑は濃く、通る風も涼やかだ。
洛中の西八条第にある広大な南池に設けられた泉殿でも、京の厳しい蒸し暑さから逃れることは難しい。
しかし、牛車から降りる平清盛の苛立った感情には、東山の涼も意味がない。
清盛の苛立ちが伝わるのか、屋敷の車寄せで片膝を付き頭を垂れている平重盛の郎党たちは、僅かに汗をかきながら微動だにしない。
清盛が視線を前に向けると、その顔は一層険しくなった。
車寄せ先の板敷きには、二藍(赤紫色)と縹(水色)の直衣を着込んだ若者二人が平伏していた。
「維盛と資盛か」
清盛は怒気の籠った自身の声音に驚き、思わず顔を歪めた。
『病の穢れが籠る東山小松第に、逆縁の死が間近に迫る子が父を呼ぶ』という、平安時代の禁忌を破る行いに対する本能的な苛立ちと怖れには、破天荒な性格の清盛でも抗えない。
しかも重盛は、日本よりもはるかに進んだ南宋の医術による治療を拒絶し、死を覚悟の出家までしている。
その様な子が、父親を私邸に招く理由とは何か。
禁忌破りに対する怖れの奥底に、我が子に対するどす黒い疑心暗鬼があったとしても、当然と言えた。
清盛の苛立ちは、両人の普段通りな装束を目にすることで頂点に達し、思わず孫に怒気を帯びた声色を浴びせる事となった。
「入道殿、お待ち申し上げておりました」
しかし、二藍の維盛はひれ伏したまま、動じる様子もなく重い声色で清盛に返した。
「相国殿、よくぞお越しくださいました」
続いて、縹の資盛も落ち着いた口調で挨拶の口上を述べた。
清盛は二人をじっと見据え、徐に口を開いた。
「その姿はどういうことか。維盛、資盛」
「これは父君からの言い付けで……迷いましたが従いました」
「重盛から病の穢れが去ったという話は、まことか」
平伏したままの維盛と資盛は、口を閉ざした。
「……面をあげよ、維盛、資盛」
そこには、かつて後白河法皇五十の御賀で青海波を舞い光源氏の再来と称えられた美しさや、宮廷文化に精通した教養人の面影はなく、嘆きで縁取られた暗く光のない眼だけがあった。
その眼と合った刹那、清盛の暗い情念は、湧き上がる感情に押し流されて霧散した。
清盛は身体中から力が抜けるのを感じ、漸く口を開けなかった。
「……前内大臣は何処か」
寝殿に案内された清盛は、出家し墨染の衣を着た重盛と対面した。
「もう良いのか、小松の入道」
「は。入道相国殿には御心地いと平らかにおはしまして、嬉しゅう存じます」
清盛は思わず苦笑いした。
「よい、重盛。さて、一体どうしたのか」
「ここ数日、白湯以外は何も口にできませんでしたが、なぜか腹の痛みも収まり、誠に心地が良いのでございます。手足に力は入らず歩くのも難儀ではありますが」
重盛は清盛の剃髪した頭を見、自分の坊主頭を擦り、
「父君と同じく剃髪しておりますと、あらためて妙な感じがいたします」
と微笑んだ。
背後に広がる見事な池の柔らかな反射光に包まれて微笑む重盛を、清盛は何とも言えない思いで見つめた。
重盛は、そのような父の顔をこれまでに見たことがないと思った。
「父君、吉水の上人を御存でしょうか」
「噂だけはな。元は叡山にいたのであろう?」
「はい。今は吉水で庵を結んでおられます。父君も一度上人とお会いなさいませ」
「……それが我を呼んだ理由か?」
重盛は黙って平伏した。
「分かった重盛。いずれ会ってみようぞ」
清盛は重盛の方に身を乗り出すと、囁いた。
「前内府よ。それが今日の話ではないのであろう?」
重盛は身を起こし、
「維盛、資盛。塗籠に酒肴の用意を。誰も近づけてはならぬ」
と、後ろに控えていた両人に命じた。
重盛は、両人と周囲に控えていた家人達が急いで場を去ったのを確かめると、
「院のことでございます。父君」
と答えた。
壁の無い開放的な寝殿造りの中で、重要書類等を保管する塗籠だけは、四方が壁に囲まれ、閂のある扉を介してしか出入りできない個室となっていた。
灯明がゆらめく中、
重盛は清盛が手に持つかわらけに酒を注いだ。
「鱸の膾と、蒸し鮑か。美味そうじゃの」
「今日、若狭と淡路から届きました」
清盛は酒を飲み干すと、作法に則りかわらけを床に捨て、重盛を見据えた。
「また、『院と争うな』と言うつもりか。前内大臣」
後白河法皇と比翼連理であった建春門院(平滋子)が1176年に亡くなると、建春門院と堂上平氏が後白河院と武家平氏の間を調停する構図は崩壊した。
己の美意識と判断を絶対視する後白河法皇と平清盛は、時に利害や志を共有するところがあっても、絶対に並び立つ事はできなかった。
その様な両者の調停役を、堂上平氏と血縁上繋がりのない重盛が建春門院の後任として務めていたのは、始める前から破綻が見えていたとも言える。
重盛を無理な仲介者に仕立てる事で堂上平氏と武家平氏の連携を壊し、武家平氏の中にも重盛と他一門の間で諍いの種を蒔いた後白河法皇に、清盛は底しれぬ智謀と悪意を感じていた。
重盛は、清盛に勧められた酒をゆっくり味わう様に一口飲むと答えた。
「いいえ、我が家と一門の事でございます。
私が死ねば、父君は福原に籠もられるのでしょう?」
清盛は黙って頷いた。
「それはお止めください。京から動いてはなりませぬ。
動いては、味方を増やすことはできませぬ」
意外な重盛の言葉に、清盛は思わず聞き返していた。
「味方?」
「近衛家の後見でおられた亡き白河殿(平盛子)と、その御子息(継子)である二位中将(近衛基通)になされた院の酷い仕打ちを、『正理に非ず』『無法なり』と内心憤る公卿は多くおります。しかも、院が無法を繰り返すことは」
「あり得ると申すか」
「は。院がどの様な謀をされるかまでは、重盛如きには分かりませぬが」
清盛は、重盛が新たに酒を注いだかわらけを見つめ、呟いた。
「二位中将が継ぐべき所領に、院が倉預として近臣の前大舎人頭(藤原兼盛)を任じ、近衛家領のみならず藤氏長者の殿下渡領までも院のものとされた事は、まこと腹に据えかねるわ。
公卿共も、一門の継承が院の思し召し次第となれば安眠できぬであろう。
だが、院であっても摂関家の嫡流が二位中将である事実は変えられぬ。
時と共に二位中将の官位が上がれば、自ずと正道に戻るであろう。
それに、維盛や資盛が同じ目に遭うのも考えられぬ」
「ですが、院は何をするか分からぬ御方。院の謀には底がありませぬ。
万が一の時に院の動きを封じるには、父君が主上(高倉天皇)の側を離れず、公卿共を我が方に引き入れねばなりませぬ」
「つまり、先ず主上を奉じよと」
「それ故に父君、兵馬を用いて院と対峙するのは絶対におやめください。
保元の時は、崇徳院(崇徳上皇)と御位におられた院(当時は後白河天皇)の御仲違が、事の起こりでありました。
その為に、洛中で我等が戦に及んでも、勝てば皆も認め従ったのです。
ですが、院と我らが直接に事を構えれば、胸の内に院への不満があっても、皆が我らを誹りましょう。
主上も院への不忠不孝は決してお許しになりませぬ。院に弓引けば、主上は平氏をお見捨てになります」
重盛は言い終わると、豪快に盃をあおった。
「……変わったの、重盛」
そんな重盛を見て、清盛は目を細めた。
「そちは、いつも院の事になると、我を喧しく諌めるか、事が終わってから嘆願するかであった。それが院との知恵比べを勧めるとはの」
「……何故でしょうか。今日は憂いが一切消えてなくなる程の、とても晴れやかな気持ちなのです。父君」
照れ隠しをするように、重盛は目を伏せた。
「さもあるか」
清盛は白扇で口元を隠した。
清盛を乗せた牛車が東山の夕映えの中で見えなくなると、重盛は正室のいる北の対に出向いた。
「我が君、八条入道殿の御気色は如何でいらっしゃいましたか」
北の方の出迎えに、重盛はにこやかに応じた。
「維盛らが言うには、御車から降りられた時は鬼の形相をされておられたそうな。
然れど、お帰りの時はとても晴れ晴れとしたお顔でしたよ。
麻呂も、今日初めて父君とありのままに話をした思いです」
「それは嬉しゅう存じます」
重盛は、北の方(藤原経子)の手を優しく取った。
「御前には苦労をかける。すまない」
経子は重ねられた重盛の手を握り、袖で顔を隠した。
平重盛の正室である藤原経子は、後白河法皇の側近であった藤原成親の実妹である。
ありきたりだが、盤石な政略結婚と思われていた。
しかし、1177年の謀反『鹿ヶ谷の陰謀』の首謀者として藤原成親は流罪。
その後、流刑地で殺害された。
2年後、今度は夫の重盛が死の淵にあり、小松家は平氏一門の中で微妙な立場に置かれていた。
その様な過酷な状況下にあっても重盛と経子の仲は変わらず睦まじく、
経子にとって継子である長男・維盛や次男・資盛との関係も良好だった。
重盛は経子と手を取り合い、静かに歌を詠んだ。
「暗きより 暗き道にぞ 入りぬべき 遥かに照らせ 山の端の月」
二人を囲う几帳の向こうから嗚咽が微かに聞こえる中、重盛と経子はただ寄り添うのだった。




