エピローグ:次の境界へ
翌朝。
国境を覆っていた猛烈な吹雪は嘘のように止み、どこまでも高い冬の青空が『孤影荘』の尖塔を照らし出していた。
城の跳ね橋が重々しい音を立てて下ろされ、外界への道が再び開かれる。
ロッソとユキは、雪を踏みしめながら城の門を出発しようとしていた。
深々と頭を下げる老侍従ベルンハルトの顔には濃い隈ができている。一睡もできず、脳裏に焼き付いた「血塗られた第一時間軸の記憶」に苛まれながらも、彼は目の前で主人が生きているという奇跡をかみしめるように、静かに震えていた。
「……証人よ。君の脳に焼き付いたその敗北の血の記憶こそが、私がこの時間軸で勝利したという唯一にして絶対の証明だ。せいぜい、悪夢にうなされながら主人の無事を祝いたまえ」
ロッソの言葉に、ベルンハルトは深く一礼した。
その傍らでは、憑き物が落ちたように穏やかな顔つきを取り戻した元傭兵ヴォルフが、領主バルタザールに誓いを立てている。
「王国が再びこの領地を狙うなら、今度こそ俺がこの城の盾となる」
「頼む、ヴォルフ」
バルタザールとヴォルフの間に結ばれた新たな絆を見届けながら、ロッソは真鍮の懐中時計を弄った。
「さて、行くよ、ユキ」
「うん」
小さな黒いトランクを手にしたユキが、小走りでロッソの隣に並ぶ。
誰も死なず、誰も泣かず、ただ真実だけが静かに正された夜が終わる。殺人鬼を華麗に指摘して大衆から喝采を浴びるような、下劣で派手な遊戯はここにはいらない。
だが、それがいい。
時間遡行探偵の使命とは、世界に蔓延る悪意の歪みを未然に修正し、誰にも知られることなく悲劇の因果を書き換えることなのだから。
「さて、次はどんな歪んだ盤面が私たちを待っているのかな」
ロッソは白銀の谷間に向かって白く冷たい息を吐き出し、漆黒の外套を翻した。
終わりのない「論理的解決」の旅は、まだ始まったばかりである。
(第1話『雪山の密室』・了)
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