(21)霊験あらたか?
「早い……」
店内に一歩足を踏み入れた時、郁の視線の先には「お待たせしました! 電子マネーが使えるようになったよ!」との吹き出しつきの、読み取り端末を掲げ持つクオンくんのイラストがあった。思わずまじまじと見入ってしまった郁に、久美が明るく声をかけてくる。
「新見さん、いらっしゃいませ!」
「こんにちは。ブレンドお願いします」
「かしこまりました。マスター、ブレンド一つお願いします」
「分かりました」
いつも通りカウンター席に座りながら、郁はレジ台の前に貼っている小ぶりのポスターを眺めながら尋ねる。
「それにしても……、狐のイラスト、もうできたんですね。しかもカラーで、ラミネート加工もされているなんて完璧じゃないですか。100均とかで売っているフィルムを買って手貼りしたんですか?」
その問いかけに、久美は軽く首を振りながら告げる。
「あの開かずの間にラミネーター、ですか? 専用の機械がありました。プリンターとか、他にも良く分からない物が色々とありまして……」
「そうですか……」
あの騒ぎで、とうとう開かずの間ではなくなったのかと、郁は笑い出しそうになった。しかし憮然としている久美の手前、それを必死に堪える。すると先にテーブル席で珈琲を飲んでいた鳥羽が、すっかり顔馴染みになってしまった気安さで郁に話しかけてきた。
「いやぁ、筑紫さんは本当に仕事が早いですよね。あの後すぐに電話をくれて、『退職して暇を持て余していますから、幾らでも描きますよ』と言ってくれて恐縮しました。そうしたら本当に一週間かからずに、うちの分のイラストを描いてくれたんですよ」
それを聞いた郁は、鳥羽が言及したイラストを思い出した。それで軽く身体を捻って振り返りながら、笑顔で言葉を返す。
「そうでしたね。先週、暁書店の前を通った時に、幸吉くんと彩華ちゃんのイラストが貼ってあるのを見ました。可愛いですよね。なんかあれを見ると、不思議とほっこりします。気分が軽くなるって言うか」
「うちのお客さんも、会計する時にそういう事を良く言ってますよ。これも幸彩神社の御利益かなぁ」
「あ、そう言えば、あの二人は幸彩神社の狛犬がモチーフでしたね」
由来を思い出した郁がそう告げると、鳥羽が苦笑いで話を続ける。
「それはそうなんだが、筑紫さんはイラストを描く度に幸彩神社にお参りして、『今度このように描かせていただきました』と報告しているそうなんですよ。今回色々話をしているうちに、初めて教えて貰ったんですが」
「え? 毎回ですか?」
「そうらしいですよ? 筑紫さん曰く『勝手にお姿を描いて、ご報告もしないのは申し訳ないだろう』とのことで。同時に『これが皆さんに受け入れて貰えますように』とお願いもしているとか。いや、さすがに大手銀行で上り詰めたくらいの人は心がけが違うなと、改めて感心しました」
「はぁ……、確かにそうですね……」
(なるほど。それだけ真面目にお参りしていたら、信心も自然に備わってくるわね。それに久遠様も神力を込めるとかなんとか言っていた筈だけど、その効力もあるのかしら?)
郁が密かに納得していると、鳥羽が嬉しそうに報告を続ける。
「それで、あのイラストを店の表側に貼って以降、じわじわと在庫と売り上げの差が少なくなっているんですよ」
それを聞いた郁は、少々驚きながら確認を入れた。
「と言うことは、万引きが減っている、という事ですよね? この短期間でも分かるくらいに、差が出ているわけですか?」
「はい。皆無にはなっていませんし本当に微妙な差ですが、それが凄く嬉しくて。今、マスター達に話していたところだったんです」
「そうだったんですね。それは良かったです」
「やっぱりまだまだ店は閉められませんね。女房と頑張りますよ」
(なるほど、確かに一定の効果はあるみたい。あまり期待していなかったけど、結構やるじゃない)
晴れ晴れとした笑顔で告げる鳥羽を見て、郁も嬉しくなった。そして久遠に対して少々失礼な事を考えていると、久美が話を引き取る。
「それでこのクオンくんを描き上げた時、夫に『あそこのお稲荷様に断りを入れなければ駄目よ』と言って、連れて行って報告させたの」
それを聞いた鳥羽が、笑みを深めながら頷いた。
「確かにあそこのお稲荷様は、こことは一つビルを挟んだマンションの敷地にあるご近所さんですよね。奥さんが、あそこのお稲荷様をモチーフに描いてくれと頼んだんですよね?」
「ええ。なかなかの出来映えで、きっと喜んでいただけましたよ」
「それじゃあ、ここは商売繁盛間違い無しですね」
「そうだと嬉しいですね」
上機嫌で笑い合っている二人を横目で眺めてから、郁は三好に呼ばれてカウンターに向き直った。
「新見さん、お待たせしました」
「ありがとうございます。いただきます」
そして珈琲を飲みながら、考えを巡らせる。
(筑紫さんは、久遠様をお稲荷様ではなく生きた狐だと思っている筈なのに、いきなり祠に連れて行かれて報告しろとか言われて納得したのかしら?)
そんな懸念が郁の脳裏を過ったが、すぐにそれを打ち消した。
(でも……、あの荒唐無稽な遺伝子組み換え狐の話を頭から信じたくらいだから、久美さんにあっさり言いくるめられている気がする。夫婦関係って奥深いわ……)
しみじみとそんなことを考えながら、郁はひとときの休息に入った。




