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いらっしゃいませ、久遠様  作者: 篠原皐月


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19/19

(19)追及

「こんにちは、マスター。今日はマンデリンを」

「あなた!」

「おい、仕事中にそんな大声を出すな」

 笑顔で店に入ってきた夫を認めた久美は、思わず声を張り上げた。そんな妻を見て、努が咎めるように言い聞かせてくる。そんな中、鳥羽が狼狽しながら立ち上がった。


「あっ、あのっ! 筑紫さんっ!」

「ああ、こんにちは、鳥羽さん。奇遇ですね」

「すみません! 幸吉くんと彩華ちゃんのイラストを、筑紫さんに描いてもらっているのを、奥さんに話してしまいました! まさか奥さんがご存知なかったとは、夢にも思っていなかったものですから! 本当に申し訳ありませんでした!」

「……え?」

 顔を青ざめさせながらまくし立てた鳥羽は、努に向かって勢いよく頭を下げた。言われた内容が咄嗟に理解できなかった努が、呆気に取られた表情で固まる。すると勢いよく顔を上げた鳥羽はテーブルに千円札を一枚置き、脱兎の如くその場から逃げ出した。


「このお詫びは改めて! あ、マスター! これお勘定! お釣りは取っておいて! それじゃあ、ご馳走様!」

「あの! 鳥羽さん!」

「…………」

 三好が慌てて引き留めようとしたが、鳥羽は努の横をすり抜けざま再度軽く頭を下げ、そのままドアから走り出ていく。そして店内には重苦しい沈黙が満ちたが、すぐに、久美が硬い口調で夫に告げた。


「あなた。ちょっとここに座ってください」

 テーブルを指し示しながら椅子に座った久美を見て、努は渋い顔になる。


「お前、今仕事中だろうが」

「マスター、休憩をいただきます」

「はい……、どうぞ。あの……、筑紫さん。マンデリンをお持ちしますので、お座りください」

「……お願いします」

 有無を言わさない気迫を醸し出す久美に反論できず、三好は頷いて努を促す。努も仕方がないといった風情で、大人しく久美の向かい側の席に座った。 


「あなた。一応聞くけど、幸吉くんと彩華ちゃんはあなたが描いた、と言うか作ったのね?」

 断定口調での問いかけに、先程鳥羽から一方的に事情を聞かされた努は、下手に誤魔化すような真似はせず、若干ふてくされたように応じる。


「……それがどうした」

「絵を描くのが趣味なのね?」

「何か問題でも? 誰にも迷惑はかけていない」

「あの開かずの間には、その道具とか描いた物があるわけね?」

「自分で管理しているから、お前にどうこう言われる筋合いはない」

「どうして秘密にしているのよ?」

「私の勝手だろうが」

「あのね!」

「まあまあ、久美さん。少し落ち着きましょう」

 そっぽを向いた夫に、久美が声を荒らげかけた。そこで郁が、冷静に割って入る。そして慎重に推測した内容を口にしてみた。


「筑紫さん。もしかして若い頃に、周りの人から何か言われたりしたんですか? 『絵を描いて生活できると思っているのか』とか、『大の男がチャラチャラ絵を描いて恥ずかしくないのか』とか。今だったらそんな事を言われても誰も気にしないと思いますけど、筑紫さんが若い頃ですと色々ありそうですし」

 するとそれを聞いた努が、溜め息を吐いて答える。


「当たらずも遠からず。まあ、そんなところですね」

「それで周囲には言わずに絵を描いていらしたのは分かりましたが、外部に作品を出さないなんて勿体無いですね。必要な画材や道具を本格的に集めて作品を描いて、お部屋を一つ使って保管しているみたいですし」

「いえ、1〜2年に1回は本を出して」

「え?」

「…………」

 意外な話の流れに、郁は戸惑った顔になった。対する努は、「しまった!」とでも言わんばかりに顔を強張らせて口を噤む。そのまま少しの間続いた沈黙を、久美の叫びが打ち破った。


「あなた、本を出してたの!? そんな事、一言も言ってなかったじゃない!! それに仕事が忙しかったのに、そんな暇ないわよね!!」

「あの、久美さん。普通の商業的な出版なら、流石にご家族にも秘密にはできないかと。もしかしたら同人誌の類では……」

「え! 同人誌! 漫画とかアニメとかのあれですか!?」

 久美が驚きの声を上げた途端、努の憤慨した声が響く。


「本当にお前は知識が偏っているな! 確かにそういう物が多いが、コミケでは医療系や宗教系や教育系や経済系とかの、かなり専門的な同人誌も出品されているんだぞ!」

「コミケ、行ってたんですか?」

「…………」

「それで経済系の同人誌を作ってたんですか? 確か大手都市銀行にお勤めだったんですよね?」

 郁の冷静な問いかけに、努は再び口を噤んだ。しかし重ねて問われたことで観念したらしく、淡々とした口調で話し出す。


「……そんなところです。行内では人事部のごく少数が知っていて、毎年、新入社員や就活学生向けの資料作成を手伝っていました」

「どうして毎年作るの?」

「情勢は刻一刻と変化するんだ。内容をこまめに改訂していく必要があるだろうが」

「やっと分かったわ。どうして人事部の方から毎年お中元とお歳暮が届くのか、昔から不思議だったのよ」

 妻の不思議そうな問いかけに、努が眉根を寄せながら説明する。そこまで聞いた久美は深く納得して頷いたが、次の瞬間真顔で言い出した。






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