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旅のきっかけは若い女、フォールの七歳の誕生日、彼女が生まれて初めて不条理というものを実感した日でした。
七歳の誕生日、両親に連れられ里長の家に連れていかれたフォールを待っていたのは、里中の大人が一堂に会して彼女を待っている異様な光景でした。
「この度、めでたくフォールが七歳になった。これでお前も里の一員じゃ。それによってこの里からおよそ二百年ぶりの生贄を出すことが決まった」
瞬間、歓声。
「「バンザーイ」」
当時のフォールは生贄という言葉の意味をこそ理解していませんでしたが、両親の苦悶に満ちた表情を見れば良くないことだと悟ることが出来ました。
「フォールよ、十六になったら我々が暮らすこの森の主に食べられてくれ。それが我々、里の民のためになるのじゃ」
里長から笑顔で告げられた死刑宣告に対して、彼女は怒りも絶望も感じていませんでした。その無気力さ、自己犠牲の精神、希薄な生存欲求こそが生贄としてこれ以上なくふさわしかったのでしょう。
「それまでの間は森の主に仕える巫女として修行に励むように。よし、それじゃあ堅苦しい話はここまでにして、生贄の誕生を祝って乾杯じゃ。この日のために商人から美味いツマミを仕入れておいたのじゃよ」
「またまた。そうじゃなくてもいつも飲んでるじゃないですか」
「バレたか。ハハハ」
言いたいことを言って満足したのかただ飲みたいだけなのか、フォールと両親を放っておいて大人達は次々と食卓につきました。
「それから二人とも、娘を逃がそうなんて考えるでないぞ」
もう限界だったのでしょう、脅迫のように告げられた言葉に耐えきれず、両親はフォールを連れて家に帰ると堰を切るように泣き出しました。
「どうしてうちの娘がこんな目に遭わなきゃいけないの?」
きっと私は逃げ出そうとしても逃げなくても十六で死ぬ。だからママとパパは泣いてるんだ。なんて齢七つの子が考えたのです。
それでも彼女は抗おうとも思わず、それが里のためになるなら受け入れようと思っていたのです。
だがその抗いようの無い死に感じたやるせなさ、それこそが彼女が生まれて初めて感じた不条理だったのです。
さて、ここまでご覧になって、年端もいかない少女を生贄にすることに忌避感を抱いた方がいるかもしれません。ですがそれも仕方のないことなのです。
もとは天候不順で作物に不安があるから、里の中から病で倒れたものが数人出たから、など受動的に生贄を出していました。
しかしそのように生贄を出すようになってから数え切れない年月が経ちますが、ただの一度も飢饉も疫病も自然災害も里を脅かすことはありませんでした。
それ以来、フォールのように能動的に生贄を出すようになったのです。
彼らは森の主に闇雲に縋っているのではなく、歴史が保障してくれているので妄信しているのです。
こんな歪も内側からだと存外気付きにくいものです。
フォールが生贄に決まったその日以降、護衛という名目で里唯一の猟師の親子が頻繁に家を訪れるようになりました。
森で獣を狩っている彼らから逃げられるなんて到底思えず、逃がすつもりがないことは幼い彼女にも感じ取れたようです。
両親もそのことを理解したために、母親からは笑顔が減り泣く頻度が増え、父親は一日中畑を見て家にあまり帰らないようになりました。
フォールは諦め、両親は目を逸らし、猟師の親子の父親の方であるオリヴァーは監視の目を光らせていました。そんな中で唯一明るかったのは、事態を説明されていなかったオリヴァーの息子のリッタだけでした。
彼はフォールが巫女の修行で忙しくても雰囲気が暗くてもお構いなしに遊ぼうとする、少し頭のさえない、…はっきりと言うと彼は馬鹿でした。しかしその明るさに全員が救われていたことも確かです。
けれどそんな彼も、成長するに従ってフォールの修行の意味や、間もなく訪れる使命のことを理解すると、様々なことに対して憤りを感じるようになりました。
その対象はフォールを食べようとしている森の主で、そこに彼女を送り込もうとしている里の民達で、そこから救い出す力を持たない己自身で、そしてそんな不条理な世界でした。
けれどリッタは里の民を皆殺しにして逃げるなんて野蛮な発想は持ち得ず、ただ己に与えられた監視の使命を果たすことしか出来ませんでした。
けれど誰がそのことを責められましょうか。十六で死ぬフォールとは違い、彼にはその後の何十年をその里で暮らすのでしょう。それならば余計なことをして、里だけど、村八分にされないために里長に従うしかなかったのです。
そして何よりフォールが彼を責め立てることをしなかったのです。それならば無関係の者が彼を責める権利など持ち得るはずもありませんでした。
このように事態が好転することはなく、気が付くとフォールの十六の誕生日、彼女が生贄として食べられる日が訪れました。






