決断
〈決断〉
「死んじゃうって?お前が?」
「そうだよ。僕も、自殺するんだ。」
「・・・・。」
私は息子に理由を聞けないでいた。一瞬、
「何故?」
という言葉が口から出そうになったが、寸前で口にするのを止めた。息子の口から理由を聞くのが怖かったのだ。
理由が怖い?他人からしてみたらそんなバカな理由と思うかもしれないが、私には理由は分かっていた。親子だからという訳じゃないが自分と、自分の子供の頃と同じなのだと確信した。だからこそ聞けなかった。
「ごめん・・・。ごめんな・・・。」
私は泣きながら謝り続けた。それは私が息子に見せた最初の、そして最後になるであろう、涙だった。
今更謝罪しても何も解決しないのは分かっていたが、謝る事だけが私にできる唯一の事だった。
「もう、遅いよ・・・。」
別に息子に許してもらいたいなんて思っていなかった。許してもらいたい為に謝っている訳じゃなかったが、息子の一言が今の私をより一層苦しめた。そうだ。何もかも遅いのだ。生きていたら、まだ何とかなったはずだったのに、死んでしまっては何もすることができない。全て、私の自分勝手な自殺から始まったのだ。
「父さんは、お前の事も、母さんの事も愛してたんだ・・・。生きている内に言えなくて本当にごめんな・・・。」
「僕だって!お父さんが大好きだったよ!お母さんが大好きだったよ!でも何で?何で二人とも僕を独りにして死んじゃうんだよ!だから・・・だから僕も死ぬしかないじゃないか!今更そんな事言ったって遅いんだよ・・・。」
(死んでから、こんなにも周りの事が分かるなんて・・・。生きている内に知る事ができたら・・・。)
そんな事を考えたが、それも全部自分の責任なのだ。気づけたはずの事も、自分が関心を持たなかったから見逃していたに過ぎなかった。私には自殺した事に対する後悔しかなかった。
「あなたにも自殺という罪の重さが分かったでしょう?時によって、自殺は殺人よりも罪が重いのです。自ら命を絶つというのがどれ程の影響を与えるのか・・・。神の審判の理由が分かってもらえましたか?」
死神はそう言うと私の前に歩いてきた。そして、胸の内ポケットから一枚の紙切れとペンを取り出し、俯いている私の目の前に差し出した。
「これは?」
私は顔を上げ、死神に尋ねた。
「これが、契約書です。」
そう言ってその紙を広げて見せた。
契約書
私 は、自らの運命を引き換えと
し、 の命を救う事を切に願う。
平成21年5月15日
13時10分08秒
その紙にはそう書かれていた。
「あなたが契約者になることを望むのであれば、ここにあなたの名前と、助けたい魂の持主に名前を記入して下さい。今すぐにとはいいません。考える時間はあります。契約者にならないのであれば、契約書を私の目の前で破り捨てて下さい。
ただし、契約書は一枚しかありませんので、もし破いた後に気が変わったとしても、もう誰も救えませんのよく考えて決めて下さい。それに、もし複数名の名前を記入したり、字を間違ったりしても無効になりますから注意して下さい。」
そう言って私に契約書とペンを握らせた。
「あっ、そうそう。あなたの奥さんですが、その契約書に書かれてある時間でいうと14時15分には自殺してしまいますから、もし奥さんを救うのであれば、それまでに書き終えないと手遅れになってしまうので気をつけて下さいね。」
契約書に書かれてある時間は時を刻むごとに字も変化していた。
平成21年5月15日
13時15分45秒
妻が自殺するまで、後一時間を切っていた・・・。
私は悩んだ。どうしていいのか分からなかった。できることなら二人とも助けたい。二人には生き続けてほしい。しかし、どっちかを選ばなければならない。その葛藤でおかしくなりそうだった。
こうしている間にも妻の寿命は刻一刻と迫っていた。
「悩みますか?悩みますよね?それでいいんです。それが人間なのです。一生に一度は運命の決断を迫られる時がくるのです。あなたの中にある選択肢は三つ。
一つは契約を結ばないで地獄で再生を待つ事。あなたの両親もそれを望んでいるんじゃないですか?」
私は父と母を見た。二人ともまだ涙を流していた。親からしてみれば自分の子を助けたいと思うのは当然だろう。
私が契約者になってしまったら、父と母のしてきたことを全部無駄にしてしまう。私の為に契約者になったのに、それを意味の無いものにしようとしている自分に気付いた。
「もう一つは奥さんを助ける事。もうあまり時間がありませんよ。」
私は力いっぱい握っている契約書を見た。
平成21年5月15日
13時59分11秒
後、15分足らずで妻が死んでしまう。こうしている間にも、死へのカウントダウンは刻まれているのだ。
「もう一つは息子さんを救う事。あなたと同じ運命を辿ろうとしている息子さんを、あなたは見捨てますか?それとも、あなたの両親がそうしたように、あなたも契約者になって自分の子を救いますか?」
私の分も息子には幸せになってもらいたい。我が子の死など考えたくはなかった。本当なら子供を助けたいと一番に思うのが親というものだろう。
しかし、息子を救ったとしても、私の様に心の何処かにトラウマを抱え、もしもまた自殺をする様な事があったら?それを思うとすぐに答えを出すことはできないでいた。
「あなたは生きている時、現実から逃げてばかりいた。だから今この場にいる・・・。今度ばかりは逃げられませんよ。」
死神はそう言って私の目をじっと見つめていた。私にはその顔がものすごく恐ろしく見えた。時間が・・・ない。決断の時は迫られていた。
「私は、私は・・・。」
その時は、それが本当に正しい選択だったのか分からなかった。
「私は・・・契約者になる。」
しかし、生きてほしいという一つの望みをかけて私は契約者になる決断をした。
「本当によろしいですか?」
「ああ。もう決めた。」
「わかりました。じゃあ、あなたの名前と助ける者の名前を。」
契約書を書く私の手は震えていた。後悔していたからじゃない。地獄に行くのが怖いからでもない。何故かわからないが震えと涙が止まらなかった。
契約書を書き終えた私は、死神に紙を渡した。あんなに震えていた手の震えがいつのまにか病んでいた。
「確かに。あなたは契約者として認められました。」
死神は契約書を畳んで胸の内ポケットの中にしまいこんだ。私は両親に、この決断を謝らなければならなかった。私は涙をこらえ父と母の方を向き頭を下げた。
「お父さん、お母さん・・・。
最後の最後まで、バカで、親不孝者で迷惑ばっかりかけて・・・。自分勝手な子供でごめんなさい。」
私は頭を上げる事ができなかった。両親の顔を見る事ができなかったのだ。私はそのままの姿勢で泣き続けていた。
そして頭を上げた時には、両親の姿も、息子の姿もそこには無かった。また、その何もない空間には私と死神の二人だけが残された。
「さて、これで全て終わりです。お疲れさまでした。もう少ししたら、あなたにも迎えがきますよ。最後に言い残した事はありませんか?」
しかし、私には言い残した言葉など何も思い浮かばなかった。大切な誰かの為に自分を犠牲にするなど生きていた自分からは考えられなかった。自分を殺す事で、初めて人になれたのかもしれない。そして、こんなにも自分は愛されていたという事も分かってしまった。私は、最後の最後まで気付けなかった。本当にバカだった。
「私は・・・。」
そう言いかけた時、光が私を包んだ。もう時間が残されていなかった。
言い残した事などないはずだったが最後に、自分が消えてしまう前に、言いたかった事があった。
「もっと・・・
生きたかった・・・。」
そして私は、地獄に落ちた・・・。




