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ゲヒュール3  作者: スペクトラム


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20/20

名前

ゲヒュールは名前を持たない。

というより、名前という文化そのものが人間にしか存在しない。

だが、ゲヒュールの中にも名前を与えられる個体がいる。

何故か?

凶悪すぎるからだ。

狡猾であり、強く、長きにわたって歴史上に君臨する個体。そんな存在に、人間は畏怖を込めて名前を与える。

フェレライとベギーデ。

この二匹がその筆頭だ。

あの二匹は別格である。

目撃情報がほとんど存在しないフェレライとは対照的に、ベギーデは数多くの目撃情報が残されている。

ベギーデは、出会った人間全員を殺すわけではない。

何故か?

殺さなかったという事実を作るためだ。

そうすることで、人間に「自分は殺されないかもしれない」と思わせる。

愛想を振りまき、自分にとって貴方は特別だ、貴方しかいないと思わせる。

そうして、殺すのだ。

ベギーデは極めて高い生物的スペックと愛嬌、そして一つの能力を持つ。

それは、自身が引き起こした現象に、対象の認識を集中させる能力だ。

ベギーデが見てほしいと思い、可愛らしい仕草をすれば目が離せなくなる。

ベギーデが発する甘い言葉には、耳を傾けずにはいられなくなる。

もちろん、制約もある。

効果時間が長くなるほど、対象は抗いやすくなるのだ。

だが、逆に言えば一瞬であれば、その効果を十二分に発揮できる。

鈴の音に意識を向けさせる一瞬なら、視覚情報への認識すら奪えるのだ。

そんなベギーデは今――。

---

「よーしよーし、いい子だよー」

ベギーデは、見るも無惨な肉片と化した男の頭を撫でていた。

まだ死体ではない。

ベギーデが能力によって男の意識を自分に向け続けているため、男は気絶することすらできないのだ。

「こちょこちょこちょ!」

ベギーデは男の脇をくすぐる。

本来なら、もはやくすぐったいと感じる余裕などないはずだった。

しかし、くすぐるという現象に認識を集中させられた男の身体は、ピクピクと反応する。

そのたびに激痛が走った。

「あ、目隠ししてあげるといいんだよねー」

ベギーデは男に覆いかぶさり、その目をじっと見つめる。

男の視界が暗くなった。

ポトリ。

何かが落ちる音がした。

男の眼球が落ちた音だった。

「さーて、くすぐっちゃうぞー」

ベギーデは男の脇に手を置く。

男の恐怖は、次第に麻痺していった。

もう諦めよう。

そう思った。

「大好き」

ベギーデが男の耳元で囁く。

「知ってるよ。いつも頑張ってること」

「誰も褒めてくれなかったかもしれないけど、貴方がいないと周りの人が困っちゃうんじゃないかな」

「縁の下の力持ちって、損な役回りだよね」

「それを分かってて頑張る貴方は、やっぱり優しいよ」

ベギーデの言葉に、男の心が温かくなる。

普段から認められたいと思っていた気持ちが湧き上がり、満たされていく。

その直後、男の身体が跳ねた。

激痛とともに。

ベギーデがくすぐりを再開したのだ。

指を失った足が、ビクビクと震える。

激痛の中、ベギーデの先ほどの言葉が頭から離れない。

ベギーデを恨む気持ちになれなかった。

そんな優しい男は、日が昇る頃には動かなくなっていた。

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