ナナの日記。 +8月―――②
4月X日
こちらの呼びかけにお兄さんはぴくりとも動かない。
部屋のど真ん中で大の字になって眠っている。
触ると冷たい。
5月X日
こちらの呼びかけにお兄さんはぴくりとも動かない。
部屋のど真ん中で大の字になって眠っている。
少しだけ呼吸している気がする。
触ると冷たい。
6月X日
こちらの呼びかけにお兄さんはぴくりとも動かない。
部屋のど真ん中で大の字になって眠っている。
少しだけ呼吸をしている。
触ると冷たい。
7月X日
こちらの呼びかけにお兄さんはぴくりとも動かない。
部屋の真ん中で大の字になって眠っている。
呼吸をしている。
触るとほんのり冷たい。
8月X日
今日は花火の動画を一緒に見ようと思ってタブレットを持ってきた。
相変わらずお兄さんはぴくりとも動かない。
しっかり呼吸をしている。
触ると冷たくて気持ちいい。
9月X日
今日はお兄さんと一緒に寝ようと思って寝袋を持参した。
お兄さんの姿勢が変わっている気がする。
しっかり呼吸をしている。
触るとヒヤッとしている。
10月X日
学園祭が忙しいとお兄さんに話した。
聞いているかなんて関係ない。
ひたすら呼びかける。
11月X日
こちらの呼びかけに反応した気がした。
なのでもっと話し続けることにした。
秋なので庭で焼き芋を焼いて持ってきた。
鼻がぴくぴくしている気がする。
12月X日
クリスマスケーキを買ってきた。
食べられるかどうかわからないけど、クリームを指につけてお兄さんの口に入れてみる。
なんと口をもにゅもにゅさせている!
どうやらワタシのアプローチが間違っていたのかもしれない。
これからは食べ物を与えてみよう。
1月X日
ハッピーニューイヤーお兄さん。
今日はお兄さんの部屋でお餅を焼いてみた。
さすがにお餅を食べさせるわけにはいかないので、指に砂糖醤油をつけて口に入れてみる。
やはり口をもにゅもにゅしている。
そしてなんと今回は指に吸い付いてきた。
やはりワタシの仮説は正しかったのかもしれない。
2月X日
あれから何度か砂糖醤油やクリームで再チャレンジしてみたけど反応がない。
もしかしたら、一度経験したことより、新しいことのほうが反応を示すのかもしれない。
そう思って今度はチョコを与えてみた。
思った通り、口をもにゅもにゅさせている。
ハッピーバレンタイン。
3月X日
何か違和感を感じる。
夜にお兄さんに会いに来て、そして翌日の夜にまた来て。
そのサイクルでワタシはこの部屋に来ていた。
なんだかお兄さんの場所がズレている気がする。
気のせいかな……?
オカルトに詳しい友達に、幽霊は強い刺激や執着を与えると現世に留まり続ける……かもしれないって教えてもらった。
もしお兄さんが起きたらいっぱい刺激を与えないと……
4月XX日
お兄さんが消えた。
今日は学校もなくて朝から部屋に入ると、お兄さんがどこにもいなかった。
今までも、まるで誰もいなかったかのように空っぽの部屋だけがあった。
もう、会えないのかもしれない。
ワタシはわんわん泣き崩れた。
ツラすぎてもう立ち直れないかもしれない。
少しでも気持ちを落ち着かせるためにお酒を飲む。
でも全然落ち着かなくて、意識が飛ぶくらいまで飲んでしまった。
目が覚めると、ゲロまみれのお兄さんがいた。
十九歳の姿のままで。
いつの間にか、ワタシのほうが年上になってしまっていた。
だから、お兄さんがワタシを見てもナナだってわからなくて悲しかった。
でも、これを教えちゃうと、全部思い出して消えちゃうかもしれない。
記憶に関することは慎重にしないと。
8月XX日
またお兄さんが消えた。
駅前だったりショッピングモールだったり、思いつく限りの場所は探して回った。
そしてひとつだけ、心当たりが頭をよぎった。
『お盆』
もしかしたら、帰っているのかもしれない。
そう思うとワタシは電車で五時間ほどかけて故郷へ帰った。
数年ぶりでも変わらない街並みに、お兄さんとミズキちゃんとの思い出が蘇ってしまって眩暈がする。
お兄さんの家は今、ワタシのお父さんが「魂が帰る家がなかったらさみしいだろう」と残して管理してくれている。
ワタシは早足でお兄さんの家に向かうと、なぜだか途中で、ここから進んではいけない気がした。
空間が歪んでいるというか、入るのを拒まれているようだった。
なので限界ぎりぎりまで近づいて、名前を叫んだ。
すると、子供の頃のワタシが現れて手を引っ張ってどこかへ連れて行こうとした。
幽霊のお兄さんがいるんだから、こういうこともあるのかなと自分に言い聞かせてついていく。
たどり着いたのは墓地だった。
ざわざわと風が吹くと、お兄さんが現れた。
「――待ってたよ」
現れたお兄さんに向かってほほ笑む。
「やあ隣人さん。こんなところで奇遇だね」
あちこち走り回ったなんてつゆほどにも思わないお兄さんはいつもの調子だった。
「ふふふ。ワタシも、里帰りってところかな」
「隣人さんと同郷だったなんて、驚きだなあ」
「そう? ワタシはそうでもなかったよ」
お兄さんはワタシの服装を凝視してから、神妙な顔つきになった。
ああ、そういえば今、喪服みたいな格好してるんだった。
「へへへ…………そんな顔しなくても大丈夫だよ。別に誰か亡くなったわけじゃないから」
「え? あ、そう?」
真剣な顔からちょっと間の抜けた顔に早変わりしたお兄さん。
かっこいいんだからいつも真剣な顔してればいいのにね。
「そういえば隣人さんってどのあたり住んでたの?」
「んー? ふふふ。秘密です」
それを知っちゃうと、終わっちゃうから。
「そっか。残念」
ここにいたら、気づかれちゃいそうだなあ。
だからワタシは少し急かすことにした。
「ねえ、そろそろ帰ろ?」
お兄さんの手を掴んで、もう離さないとどこかで見ているかもしれない神様だか悪魔だかに意思表示する。
「え? 実家に着いたばかりだよ?」
ワタシは首を振った。
「ううん、キミが帰る場所は……ワタシのいるところだよ」
「アパートに、ってこと? うん、一緒に帰ろっか」
そういうとお兄さんは、墓地から霧のように消失し、その後アパートに戻るとのんきにいつもの定位置で眠っていた。




